あの日、海が見ていた
@sun65445
和泉島
朝、7時本土に向かうフェリーの汽笛で木下航は目を覚ました。秋も終わりに近づき、本格的に寒くなってくる季節である。波のざあざあと言う音、フェリーの汽笛、そのどちらも航にとっては大切なものだった。この音がないとあさが来たという感覚がないのだ。
眠たい目をこすりながら、カーテンを開けると見渡す限りの海とその向こうまで続いている水平線が見える。この景色を見て、水平線の向こうをじっと眺めてみる。あの水平線の先には何があるのか、島を出ればどんなことが待っているのか、それらを想像することは航にとっては必要不可欠であった。生きる希望と言ってもいいかもしれない。
「航、美香、ご飯の材料いつものとこにおいてあるからね」
母親がいつものように耳にガンガン響く声で言う。
母親がいつものように耳にガンガン響く声で言う。そのあとにバタバタと廊下を走玄関のドアを開ける音が聞こえた。
「はいはい。行ってらっしゃい」
「お母さん、お仕事行ってらっしゃい」
航は気だるげであくび交じりの声で、美香は、元気はつらつとした高い声で母親の声に答える。これが木下家のいつもの光景だ。リビングに降りて、朝食の支度を始めると今年で中学2年生になる妹の美香が降りてきた。目はまだ開ききっておらず、だらしないあくびをしているが、髪はきちんとセットし、制服もばっちり着こなしている。美香は島の中ではおしゃれ番長として有名だ。島の同年代の女子たちだけでなく主婦の人たちにも服の着こなし方や髪型などを伝授することがあり、家で美香によるおしゃれの仕方講座が開かれることもあるのだ。正直ファッションに全く興味のない航からしてみれば、よくわからないことだらけなのだが。
「お父さん、今度いつ帰ってくるんだっけ。」
美香がふと思いついたようにつぶやく。
「確か2か月後じゃなかったか」
二人の父親は商社マンであり、今はアメリカに単身赴任中である。最後に会ったのは半年前だが、その時はアメリカのお土産とむこうでの暮らしぶりを一晩中聞かせてくれた。家を空けているとはいえ二人にとってみれば子供思いの良い父親なのだが、島の中では爪はじきにされている部分がある。長期間家を空けているのが好意的にとらわれていないのか。
「あそこのお父さんはきっと海外で浮気してるのよ。じゃなきゃあんなに奥さんと子供をほっとけるわけないもの」
などという陰口を何回も聞いたことがある。そのくせして父が島に戻ってきたときにはしっかりとお土産をもらっているのだからあきれるを通り越して感心してしまう。
「まずい、飯が冷めちまうぞ」
そう言って我に返り二人そろって慌てて朝食を食べ始める。
今日の朝食はたらこおにぎりと味噌汁だ。さすが、島の台所といわれている定食屋「風」の女将というべきか、シンプルな料理ながらも、しっかりと味がついていて美味い。
「おいしいなあ。まだ私にはここまでのものは作れないよ」
美香は将来「風」を継ぎたいらしく放課後には店の手伝いを積極的にしており、家でも母親指導の下、料理を作ってふるまうことも多い。
「でも、最近は大分上達したじゃんか。そろそろ厨房立たせてもらえる日も近いんじゃないのか?」
「まだまだよ。なにかが足りないんだよねえ」
そう言って、美香はうんうん言いながら腕を組んでいる。ひいき目なしで見ても妹の料理は店で出せるレベルだと思うのだが、母親曰く
「まだ大事なことがわかってない。それを自分で見つけられない限り厨房には立たせられないよ」
とのこと。もったいつけずに教えてやればいいのにと航は思っていた。
「そういえばさあ、確かお兄ちゃんのクラスに冴島さんて人いたよね。その人彼氏とあんま上手くいってないってほんと?」ご飯を口いっぱいにほおばりながら、美香が聞いてきた。
「俺はよくわからん。そういうことには興味がないのは知ってるだろ、あとあんまりそういう話をすんな」
「そりゃ、そうかもしれんけどさ。気になるじゃない?そういうのって」
そう言って美香は目を光らせながら話す。
航はため息をついた。幼いころから島の人間のこういうところが好きにはなれない。島というものは娯楽があまりない。テレビもやっている番組は限られるし、テーマパークがあるわけでもない。そうなると、人の娯楽は専ら人間関係のうわさ話になってくる。例えば、島民の誰かが誰かに告白したとなれば、それは光のような速さで島中をめぐり、翌日には近所の人から
「よう、昨日あの子に告白したんだって?」
とにやけながら言われることもあるのだ。
この程度ならまだいい。本人たちは恥ずかしいかもしれないが、それ以外には何もないからだ。問題はよくない話が広がったときである。
「あそこの人たち、最近調子乗ってるわよね?」
などと島の中で権力を持った者が言った場合、ほとんどの島民がそれに乗っかる形であーだ、こーだとその人たちに対する不平不満を言い出す。そうなってしまえば島で生活を送ることはほぼ不可能だ。昨日まで仲良くしてくれた人たちが一斉に自分のことを無視するなんてことも起こる。島という狭いコミュニティの中で、周りの人に嫌われるというのは想像以上に影響が大きいものだ。ただデマや噂を流されるだけでなく、ゴミ捨て場を使わせてもらえなかったり、回覧板が回ってこなかったりと生活にまで影響が出てくる。もとから島に住んでいる人であればまだ仲良くしてくれる人もいるかもしれないが、移住してきた人たちの場合そうはいかない。ただでさえ島の生活にも慣れていないというのに、助けになってくれるはずの人たちに嫌われてしまったらどんなに心ぼそいだろう。最悪の場合島から出ていかざるを得ないという事態にまで追い込まれることもあるのだ。
「それより、お前早く学校いかんと遅刻するぞ。今日掃除当番だって言ってただろ」
「あ、そうだった。じゃあもう出ないと」
朝ごはんを慌てて書き込んだ後、バタバタと足音を立てながら家を出ていく。
「行ってきまあす」
「行ってらっしゃい」
母親とそっくりな様子で美香は家を出ていった。
家族の朝食の後片づけと家の洗濯をするのは航の仕事だ。といっても洗濯物はすでに洗濯機の中に入っているのであとは洗剤を入れてスイッチを押すだけだし、洗い物は、量が少ないのでそれほど大変でもないが。母親は食材の仕入れの関係上家を早く出ることが多いし、美香は部活の朝練や掃除当番などで航よりは早く家を出ることが多い。そうなるとこれらの家事は自然と航の担当になってくる。
「さて、やりますか」
そう言って、眠いからだを無理やり起こすように立ち上がった。
家事を終わらせ、しばらくたつと
「おーい。航―」
という間延びした今川美南の声が聞こえてきた。
「はいはい。今行くから」
そう適当に答えて、家を出る。
「早くしてよね。もうみんなフェリー乗り場ついてるよ」
少し茶髪がかったボブカットにまっすぐな鼻筋、くりくりとした目をしている。正直モデルや女優といわれてもおかしくないレベルだ。東京に2泊3日の旅行に行った際に、芸能事務所から3回スカウトされたと聞いた時は流石に驚いたが。航たちが通っている本土の高校でも一番の美人と評判であり、美南を紹介してくれという頼みは数えきれない。
「何ぼんやりしてんのよー」
そういわれて我に返った。見ると美南は、はるか先にいて、笑いながら手を振っている。
「ここまでおいでーだ」
そう言って笑いながら美南はどんどん先へと進んでいく。
「あんにゃろ」
そうは言いながらも、口もとには笑みを浮かべながら、航も美南の後を追って走りだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます