人間嫌いの俺が、少子化対策で導入された【校内マッチングアプリ】で最高の彼女を見つけるまで。

みんと

第1話 校内マッチングアプリ


 正直、目の前で繰り広げられるクラスの喧騒が、俺には異世界の出来事のように感じられる。

 なにがそんなに楽しいのか、なにが彼らをそこまで駆り立てるのか。

 まるで集団催眠にでもかかっているかのように、誰も彼もが同じような笑顔を浮かべている。薄っぺらい共感と、刹那的な興奮。俺にはそれがひどく滑稽に、そして少しだけ……そう、少しだけ羨ましく見えることさえあった。認めたくはないが。

 そもそも、他人に過度な期待を抱くだけ無駄だと、俺はとっくの昔に学習済みだ。


 俺の名前は、夕凪ゆうなぎほたる。私立天ヶ丘高校の二年生。平凡という言葉を人型にしたような存在だ。

 他人からはよく、「何を考えているかわからない」「無気力なやつ」などと評される。

 そしてその評価は、残念ながら九割方、的を射ている。残りの一割は、たぶん俺自身にもよくわかっていない。


 ルックスが平凡なのは生まれつき、これといった特技もない。

 成績は平均点をわずかに上回る程度で、運動神経に至っては平均点を大きく下回る。

 女子に騒がれた経験など皆無だし、親友と呼べる存在も……まあ、お察しの通りだ。

 クラスに話し相手がいないわけではない。だが、彼らが俺の不在に気づくのは、たぶんプリントが回ってこない時くらいだろう。

 それでいい。俺は誰にも期待しないし、誰からも期待されたくない。


 俺はただ、このありふれた、しかし平穏な日常が静かに続いていくことだけを願っている。

 朝起きて、可もなく不可もない授業を受け、家に帰って好きなだけ本を読み、気が向けばゲームに没頭する。

 そんな日々が、俺にとっては至福だ。

 このまま大きな波風も立たず卒業し、そこそこの大学に入り、目立たない企業に就職して、生涯を一人で全うする。

 そんな、まるでテンプレートのような未来予想図を、俺は割と気に入っていた。

 そう、今日この瞬間までは――。


 


 

 それは、初夏の気配が漂い始めたある日の全校集会でのことだった。

 体育館に充満する生徒たちの退屈そうなざわめきと、埃っぽい空気を切り裂くように、壇上に一人の女子生徒が姿を現した。

 息を呑むほどに整った容姿と、一点の曇りもない自信に満ち溢れた佇まい。

 完全無欠にして、生徒会長の座に君臨する女帝、布藤ふどう優華ゆうかその人だった。

 彼女がマイクの前に立つと、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る。まるで、彼女だけが発する特別な引力に、体育館全体が支配されたかのようだ。

 布藤は、その涼やかな瞳でゆっくりと生徒たちを見渡し、落ち着いた、しかし芯のある声で語り始めた。大人びた、というよりは、既に完成された指導者の風格さえ漂わせて。


「昨今、我が国日本において、少子化が深刻な社会問題となっていることは、諸君も周知の事実でしょう」


 布藤の声は、体育館の隅々までクリアに響き渡る。

 内容は教科書の記述のように堅いが、なぜか彼女が口にすると、そこに妙な説得力が生まれるから不思議だ。

 しかし、少子化問題か……。たしかにニュースでは連日報道されているが、こんな朝の集会で、しかも生徒会長直々に語られる話題としては、あまりに場違いな気がする。俺の隣の男子生徒なんて、もう船を漕ぎ始めている。

 そして、布藤は一呼吸置くと、さらに衝撃的な言葉を続けた。


「この憂慮すべき事態に対し、政府は大胆な一手を打ち出すことを決定しました。それは、試験的導入として、高校年代における男女交際を積極的に推進するための新システム……【校内マッチングアプリ】の全国展開です」


 一瞬の静寂。そして、爆発的なざわめきが体育館を揺るがした。

 こ、校内マッチングアプリ……? なんだそれは、初耳だぞ。

 俺の眠気も一瞬で吹き飛んだ。


「校内マッチングアプリとは、その名の通り、学校という限定されたコミュニティ内でのみ利用可能なマッチングアプリケーションです。一般のアプリと異なり、18歳未満の利用が正式に許可されています」


 いや、問題はそこじゃないだろう。

 学校内で恋愛を強制するってことか? 冗談じゃない。


「このアプリ導入の目的は、言うまでもなく、若年層の恋愛体験を促進し、将来的な婚姻率の向上、ひいては少子化問題の解決に繋げることにあります。現代の若者は、異性とのコミュニケーションやデートの経験が乏しいとの調査結果もあります。ならば、感受性豊かな高校時代に、健全な恋愛を経験してもらうことが最善であると、政府は判断したのです」


 政府の判断……ね。ずいぶんと大胆なご判断だ。

 というか、俺の静かで平穏な日常はどこへ行った?

 恋愛なんて、俺の人生の辞書には載っていない単語なんだが。


「いくつかの候補の中から、記念すべき試験導入校の第一号として、この都立天ヶ丘高校が選ばれたことは、誠に光栄なことです。本日この後、各クラスのホームルームにて、生徒全員のスマートフォンに、政府開発の専用アプリをインストールしていただきます。諸君、この機会を活かし、大いに青春を謳歌し、素晴らしいパートナーを見つけてください」


 おいおい、ちょっと待て。

 普通、学校といえば「不純異性交遊は禁止」が常套句だろうが。

 恋愛推奨どころか、アプリでマッチングって……いくらなんでも政府、舵を切りすぎじゃないか? 俺の知ってる日本はどこへ行った。


 俺の困惑と絶望とは裏腹に、体育館の空気は一変していた。

 さっきまで退屈そうにしていた連中が、今は目を輝かせ、興奮した囁き声がそこかしこから聞こえてくる。


「マジかよ、校内マッチングアプリだって! 俺、布藤会長とマッチングしたら人生変わるぜ!」

「馬鹿言え、お前みたいなのが会長の目に留まるわけないだろ。でも、ワンチャンあるかもな……!」

「これで俺にもついに春が来るのか……!? 夢みたいだ!」

「あー、彼女欲しい! 超欲しい!」


 まったく、現金な連中だ。脳内お花畑とはこのことか。

 そんなアプリ一つで簡単に恋人ができるなら、世の中に非モテなんて言葉は存在しない。

 どうせ、運動部のエースやクラスの人気者たちが「いいね」を総取りして、ますます格差が広がるだけだ。

 俺のような日陰者は、ダウンロードさせられるだけ無駄なデータ容量を食うだけだろう。


 ああ、面倒くさい。

 どうせ俺には関係のない話だ。

 今まで通り、傍観者に徹すればいい。


 他人との関わりなんて、深入りすればするほど厄介なだけだ。

 そう、俺はこれからも変わらない――はずだった。

 



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