私は悪役令嬢なんかじゃなかったと思うまで

限界集落

第1話



 私は公爵家令嬢としてその身を捧げてきたつもりだった。

 たいして好きでも無い第二王子の婚約者⋯政略結婚の道具になることさえ、貴族の女の務めとさえ自負してきた。民と国の繁栄の為、時代の王族を生み育てることこそ────私に突きつけられた運命であると。

 

 乳母も、侍女も、家庭教師ガヴァネスも私にそう言ってきた。貴方様は次世代を担う婦女ですのよ。より良い子を産むことは誉であり責任です。

 人形のように首を縦に振り、勉学に励み、裁縫をし、美しく身を整え、女には不要とされる魔法の宮廷資格をもぎ取った。


 どれも全て、王族に嫁ぐ女の意地だ。

 その仕打ちがこれか。


「────よって、ここにネローネ・シュヴァルツ公爵令嬢との婚約破棄を宣言する!」


 目の前で雷が弾けた。

 贅を尽くした王城のホール。第二王子、ブラン・フロリエータの誕生日パーティは一瞬で沈黙に還る。

 そんな場の空気すら読めない愚かなブラン様は、ひとりの女を抱き寄せた。


「ネローネはこのフローラ・コーラリア男爵令嬢に加害行為を重ね、あまつさえ自殺未遂にまで追い込んだ! 僕は未来のフロリア王国を担う一人の男として、貴族の慈悲を忘れたネローネを許さない!」


 ああ、この男はどこまで。

 周りから突き刺される白けた視線が分からないのか、流石は落第王子とまで呼ばれた男だ。来年の生誕祭はどんな失笑が飛ぶか見ものだな。


「ネローネ様⋯⋯フローラは貴方様が恐ろしいです。お優しい貴方様がなぜあんなことを⋯⋯フローラはわからない、悲しい⋯」

「ああ僕のフローラ、泣かないでおくれ」


 王子がフローラの涙をハンカチで脱ぐう。私の刺繍入りのハンカチだ。せめてこの場に持ってくるなと叫ぶ衝動を必死に押しとどめる。

 私の腹の底は熱い泥で満ちていた。魔王出現で混乱のこの時代、一体何を考えていらっしゃる。

 

 ブラン様が私を気に食わないのは知っていた。

 落第王子とまで呼ばれた男だ。それなりに文武両道を兼ね備え、魔法すら嗜む私は目の上のたんこぶだったことでしょう。冷笑と失望に満ちた人生十数年では、きっと可愛げの欠けらも無い私よりフローラの方が可愛かったはずだ。


「女のくせに魔法や勉強に取り憑かれたように没頭する様⋯⋯この悪役令嬢め。だからこそ僕はお前をここで止めなければいけない」


 私に向かって嘲笑が飛ぶ。ああ、この貴族の中に私の味方はいない。


「安心してくれ、フローラ。僕は君をどの国より素晴らしい妃にする!」


 それを第一王子が聞いたらどんな激が飛ぶだろう! まったく茶番劇にも程がある。婚約破棄、婚約破棄か。

 この時代に女性の地位は非常に低い。今までずっと口を閉ざしていた私は、ようやく唇を開いた。


「ブラン様⋯いいえ殿下・・。婚約破棄の旨、了承いたしました」


 男が女に逆らうことは許されない。最後にひとつ、優雅なカーテンシーを見せる。この国には珍しい黒髪がさらりと揺れた。

 ああ、殿下の嘲笑が目に浮かぶ。私の16年間はなんだったのかしら。なんの意味があったのかしら。


さすが悪役令嬢。いい気味。

 興味と失笑の視線を浴びて、私はホールから姿を消した。その後ろ姿はきっと、惨めな女だったことでしょう。

 他の貴族から奇異の目で見られていることは知っていた。魔法を止めなさい、これ以上の勉学はやめなさいと何度躾の鞭が飛んだかわからない。いつしか私は悪役令嬢とすら呼ばれるようになった。

 

 それでも、私は強く在りたかったのだ。

 殿下を支える王妃として。他の追随を許さないほどに。


 彼がそれをよく思わなかったくらい知っていた。知っていたのよ。けど私は私に妥協なんかしたくなかった。


 城の廊下を抜けて、バルコニーに出た。民を、街を、フロリア王国を見渡せる一番の夜景。星空をひっくり返したような光景のひとつひとつに民の暮らしがある。

 私はこの光景を守るため生きてきた。

 けれど義務とか責任とか、もうわからない。


 ぽた、ぽたと手のひらにちいさな海が出来る。

 ドレスが汚れるのも知らぬとばかり、雪崩のように私は崩れ落ちた。


「あは、あはははははは!」


 ああ、ああ! なんて滑稽なのでしょう!

 この16年王妃教育の為に人生を尽くし、時代の荒波に揉まれながら魔法を極めた結果がこのザマ! 愚か、愚か、愚か! 私はなんて愚かな女なのかしら!


 きっと傍から見れば婚約破棄のショックで狂った女にしか見えなかったでしょうね。ああ、家に帰ってなんて言えばいいの。

 涙腺の痛みと心の痛みは同じだった。指の間からぼたぼたと熱い水滴がドレスを濡らす。宝石を散りばめたオートクチュール。この誕生日パーティの為に作った彼の瞳の色のドレス。


「ああぁ、ああ! うわあああああ!」


 とうに気づいていた。殿下の心が離れていたくらい。それでも、いつか未来でブラン様のお力になれるならと努力してきたの。わかってくれる日が来ると思ってきたの。

 時代に逆らおうとしてはいけません。女は男に逆らってはいけません。そんな周りの同調圧力に、風を吹き込んでくれたのが彼だった。


『凄い! 魔法ができるの? きれいな光だね、君みたいだ』


 10年前、初めてお会いした時、私はあからさまに恋に落ちた。その青い瞳があんまりにも純粋に私を褒め称えるから、彼に喜んで貰うために必死に勉強した。

 後に魔法の無才を知った彼にとって、私の存在にどれだけ絶望したか。いつもいつも私という婚約者と比べられる彼にとって、弱く脆く美しいフローラにどれだけ救われたのか。


 わからない、もうわからないわ。

 私は悪役令嬢。皆の嫌われ者。

 このまま身を投げてしまいたい! 赤い泥になって消えてしまいたい。


「私、これからどうすれば⋯⋯⋯」


 その時だった。

 視界の端で白いローブがはためいた。それは国際特別魔法士の資格。


「────ネローネ・シュヴァルツ公爵令嬢、突然の無礼をお許しください」


 夜の闇からふわりと舞い降りたそのシルエットは、私の前に恭しく跪いた。私は赤い目元を拭った。恥ずかしいこと。


「⋯⋯ええ、許します。名を」

「寛大なお慈悲に感謝申し上げます。私は国際聖魔協会、副会長のドロテアと申します」


 聖魔協会。魔王及びその配下たる魔族の討伐を掲げる国際協会。その副会長たる男がなぜいち公爵令嬢に。


「英傑たる貴方に、魔王討伐の件についてお話が」


 ああ、私の人生はこれ以上どうなってしまうのかしら。

 これが、ネローネ・シュヴァルツが閉ざされた運命を切り拓く始まりだった。

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