第16話

私は寝不足の目を擦りながら、王宮へと向かう。馬車の中で大欠伸をしていると、旦那様が溜め息を吐いた。


『中々眠れなかった様だな』


「へ?何故それを?」


『君が何度も寝返りを打つから、私まで眠れなかった』


「すみません……」


『謝るな。誰にだってそんな日ぐらいある』


旦那様の声が優しく響く。


「ネルも……そんな日がありますか?」


『昔は……な。今は眠くてかなわん』


その言葉に、私の胸が痛む。どんどんと犬らしくなる旦那様に、私は自分の無力を感じた。私しか旦那様を元に戻す事が出来ないのに……。だからといって嘘が苦手な私は自分の心に嘘をつけそうにない。


私は無意識に俯いていた。


『君がそんな顔をする必要はない』


「でもっ……!」


『なるようになる。大丈夫だ』


何の根拠もない『大丈夫』という言葉なはずなのに、何故か私はその言葉に少し安心してしまった。旦那様の言葉だからだろうか?


『眠れないから余計な事を考えるんだ。……最近仕事ばかりで体が疲れてないんだろう。今度、畑仕事に付き合ってやるから、たまには思いっきり体を動かすと良い』


「……っはい!」


私はその時出来る精一杯の笑顔で答えた。旦那様が私を元気づけようとしてかけてくれた言葉が嬉しかった。


旦那様は私の顔を見て、満足そうに頷いた。

私は話題を変える。


「ところで……今日お見えになる王女様は殿下の婚約者候補……という認識で合ってますか?」


『あぁ、それで間違いない。この前の視察の時にそういう話が出た。だから今回王女を招く事になったんだ』


「粗相のないように気をつけなくちゃ……」

私の顔が少し強張る。


『……君は落ち着けば問題ないんだ……多分』


「どうしてそう自信なさそうに言うんですか?!」


『自信がないからだ!』


そんなやり取りをしていると、少しだけ肩の力が抜けてきた。


「……ありがとうございます」

私は素直にお礼を言った。


『何がだ?』


「私の気持ちを楽にして下さったんですよね?」


そう私が言うと旦那様はプイッと顔を背けた。


『べ……別にそういうわけではない』

少し照れたようにに言う旦那様を心から可愛いと思った。



そうこうしているうちに、馬車は静かに王宮へと入って行く。


『ほら、着いた。仕事だ』

椅子からピョンと旦那様が飛び降りる。私もそれに続いて馬車を降りた。




「緊張する……」

王女を出迎える為、私は殿下と共に広間に居た。ここには陛下も妃陛下も同席中だ。

私の小さな声がウォルター様の耳に届いた様だ。


「貴女が緊張する必要はない」

ウォルター様の平坦な声が聞こえる。彼は私の事が嫌いみたいだ。……というより旦那様が嫌いなのだろう。


「どういう事です?」


私の言葉にウォルター様は少し馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「王女は婚約者候補ですよ?側近代理とはいえ女性が殿下の側に居るのは、良く思われないに決まっているでしょう?出迎えのこの時だけですよ、貴女の出番は。それぐらい少し考えたら分かるでしょう」


ウォルター様の言い方は気に入らなかったけれど、私としてはとても助かる。


「なるほど……。ならば此処さえ乗り越えれば大丈夫って事ですね」

私はちょっとだけ肩の荷が降りた気がして、思わず笑顔になった。




「まぁ……この前の夜会で婚約者が決まればこんな大変な思いをしなくても良かったんですけど。どこぞの奥方が殿下のダンスのお相手を独り占めしたせいですね」


ウォルター様がチクリと嫌味を言う。彼もまた、少し前に王宮の庭園で噂話をしていたご令嬢達と同じ様な目で私を見ているのかもしれない。


(所詮、嫉妬。嫉妬されているだけ)


私は旦那様に言われた事を思い出すと、それを呪文の様に心の中で繰り返した。


ウォルター様の嫉妬の対象は旦那様。旦那様の方がウォルター様より仕事が出来る。それは僅かな差かもしれないが、ウォルター様にとっては旦那様が行方不明になった事はラッキーな出来事だったのかもしれない。

そんなタイミングに私がしゃしゃり出てきたから……私にも敵意をむき出しなのだろう。しかも殿下はやたらと私を構うし……。


そうこうしているうちに、王女の到着を告げるラッパの音が響いた。


私は気合いを入れ直し、背筋を伸ばす。

今私に出来ることはウォルター様の嫌味に心を痛めることではない。代理として旦那様に恥をかかせない様に振る舞う事だ。


広間の扉が近衛によって大きく開かれた。そこには、たくさんの護衛の真ん中に、何とも妖艶な美女が立っている。

しかもその女性のドレス……ドレスというより、きっと民族衣装なのかもしれないが、お腹が見えてている。

私はその衣装に釘付けとなった。我が国にはない装いだか、とても美しい。王女は黒髪をなびかせて入って来ると、陛下達の前で優雅に腰を落とした。



「お招きありがとうございます。カルドーラ王国の第一王女、ジェシカと申します」


赤い唇が綺麗な弧を描く。口元のほくろが何ともセクシーだ。


「遠路遥々ようこそ!私が国王のゾルゲだ。これは正妃サブリナ、そして王太子の……ここは紹介は不要であったな。二人はもう面識があるわけだし」


陛下がガハハと笑う。殿下の婚約者選びは陛下の頭痛の種だ。ここで決めてしまいたいという陛下の思惑が透けて見える。


「ようこそ、オリファンド王国へ。ゆっくりと過ごし我が国を楽しんでくれると嬉しい」


殿下も笑顔で応じる。これって好感触って事かしら?

殿下もそろそろ結婚しても良い歳だ。陛下の為にも是非とも身を固めていただきたい。私はそんな事ばかり考え、少しばかりボーッとしてしまった。私の悪い癖だ。集中力が続かない。


私はその時、ジェシカ王女が私にずっと視線を向けている事など、全く気付いていなかった。

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