ロレーヌ王国物語

長船 改

前編


N

「ロレーヌ王国物語。前編。」


N

「うららかな陽気のもと、ふたつの剣の交わる音が周囲に響き渡る。清々しく、そして気合のこもった声とともに。」


ブリギッド

「ハッ!」


アラン

「ふん!」


ブリギッド

「トォー!」


アラン

「まだまだっ!」


N

「まるで舞を舞うかの如くに剣を繰り出すのは、長くウェーブがかったブロンドをなびかせる男装の麗人ブリギッド。それらを受け止め、弾き返しているのは、重い鎧と兜に全身を包んだ豪傑、アランである。ここはロレーヌ王国宮殿内にある訓練場……。」


ブリギッド

「ヤッ!」


アラン

「エエーイッ!」


ブリギッド

「くぅ……。トォ―ッッ!!」


アラン

「うお……!」


N

「ブリギッドの裂帛れっぱくの気合と共に放たれた一撃が、アランの剣を弾き飛ばした!」


アラン&ブリギッド

「はぁ……はぁ……」


N

「この瞬間、勝敗は決した。ブリギッドの勝ちである。思わず片膝をつくアラン。対するブリギッドは、息を整えながら剣を鞘に納め、アランに手を差し出した。」


ブリギッド

「その重い鎧にもずいぶん慣れたようだな、アラン。ほら、手を取れ」


アラン

「いや、まだまだだな。よい……しょっと。ふぅ……。どうも、まだこの鎧の分厚さに戸惑ってしまっていけない」


ブリギッド

「……なら、もう一本いくか?」


アラン

「願ってもない。いくぞ!」


N

「再び剣を構えるブリギッドとアラン。と、そこへ拍手とともに、ひとりの中年の小男が姿を現した。男は、まるで吟遊詩人が朗々と歌い上げるかのように、いかにも仰々しい調子で賛辞の声を上げた。」


コバート

「いやーすばらしい!」


アラン&ブリギッド

「ん?」


コバート

「さすがは、我が王国の誇る騎士団長殿たちですな。迫力が違う!」


ブリギッド

「コバート大臣か……」


コバート

「溢れんばかりのそのパワーで並み居る敵をなぎ倒す『剛腕のアラン』!」 


アラン

「ハハ……」


コバート

「知性と俊敏さでもって敵を翻弄する『華麗なるブリギッド』!」


ブリギッド

「ふぅ……」


コバート

「貴公らの勇名は今や大陸全土に知れ渡っておりますぞ? いやはや、まったく頼もしい限りですなあ。貴公らがいれば、次の戦の勝利は確実! はっはっはっは!」


アラン

「大臣……。まだお考えを改める気にはならないのですか?」


コバート

「うんん? そういえば、いつだったか貴公がそのようなを申しておりましたな」


アラン

「いえ、あれは独り言などでは……」


コバート

「ほう! と、いうことは、あれは『進言』だったわけですな。はっはっはっは、これは面白い! 騎士団長に就任して何を勘違いしたのか知らんが、弱小貴族の、しかもまだ爵位も継承していない子せがれ風情が、名門コバート伯爵家のあるじであるこの私に、進・言! はっはっはっは!」


アラン

「く……」


ブリギッド

「コバート大臣」


コバート

「ふむ、今度はブリギッド殿か」


ブリギッド

「彼の非は、私がお詫び申し上げます。戦となれば私とアラン、最強の矛と盾になり、必ずや勝利の知らせをお届けしましょう」


コバート

「ほーう、さすがはブリギッド殿。良く分かっていらっしゃる」


ブリギッド

「しかし、名前だけでは戦に勝てないのは歴史が証明しております。仮に同じ兵数での戦となれば、勝負の境目はやはり兵の質です。先の隣国との戦争で優秀な兵を多数失った以上、今後の主力となるであろう若い兵の育成は必要不可欠。もうしばらく、お待ちくださいますよう」


コバート

「ふむ、まぁ良いでしょう。ただし、彼奴きゃつらが先に力を蓄えてしまっては本末転倒。時間は限られているという点はお忘れなく」


ブリギッド

「は……」


コバート

「ブリギッド殿も大変ですなァ。……しかし、役職が同じとは言え、そこな重騎士殿は貴公の子飼いのようなものだったはず。手綱はしっかり握っておいて頂かないと。はっはっはっは!」


アラン

「…………」


コバート

「それでは失礼。私も仕事がありますのでね」


ブリギッド

「大臣。……いえ、


コバート

「……なにか?」


ブリギッド

「つい先日のことですが、私の家の敷地内に侵入した者がおりましてね。後を追ったのですが、逃げられてしまいました。そういえば……賊が逃げたのはコバート伯爵家の方角でした」


コバート

「ほ、ほう……? そそそれで、何を仰りたいのですかな?」


ブリギッド

「念のためにお知らせを……と思いまして。安心してください、手傷は負わせました。私の銃が、賊の足に命中しています。あれではそう簡単に傷は癒えないでしょう。ただ、恐れ知らずの賊です。そちらの方に忍び込んでいないとも限りません。なにせ奴が侵入したのは、私の父・マジェンタの屋敷なのですから」


N

「ブリギッドの父、マジェンタ侯爵。ロレーヌ王国において、侯爵の位は伯爵よりも上である。」


コバート

「……ぐっ……! ……お、お言葉、耳に留めて、おきましょう。で、では……今度こそ失礼いたす」


ブリギッド

「お気をつけて! ……ははは。どうやら、アタリだったようだな。あの賊は、コバート大臣の放った間者だ」


アラン

「すまん、ブリギッド……。お前は公務以外では、お父上の名前を出したがらないというのに……」


ブリギッド

「気にするな。私も腹に据えかねただけだ。けれど、あのような意趣返しをしてしまってはコバート大臣と同じ穴……。まったく、まだまだ幼いな、私も。ははは」


アラン

「ありがとう……」


ブリギッド

「き、気にするなと言った……! ……しかし、コバート大臣もこれで少しは自重してくれるといいのだが……」


N

「と、そこへ、また別の人影がやってきた。まるで小高い丘を優しく吹き抜けてゆく春風のような、そんな優雅な足運びであった。」


ダーナ

「どうしたのブリギッド? 顔が赤いわ?」


アラン&ブリギッド

「!」


ダーナ

「ね、アラン? そう思わなくて?」


ブリギッド

「女王陛下!」


N

「ブリギッドとアランは即座にひざまずき、服従の姿勢を取った。ダーナ・フォン・ニーレンベルギア・サン・ロレーヌ。父である先王を隣国との戦で亡くし、若くして王の座につかなければならなくなった悲劇の少女である。また、ブリギッドとアランが生涯その身を捧げると誓った人物でもある。」


ダーナ

「今日はいい日ね。お散歩のコースを変えたら、ふたりに会えるだなんて」


ブリギッド

「私たちも同じ想いでございます。女王陛下」


ダーナ

「女王陛下……? ぷっ。ふふふ。ブリギッドったら、こんな場所だからってそんなにかしこまらなくてもいいのに。ねぇ、アラン?」


アラン

「申し訳ありません。ブリギッドはこういう『形式』ばった事が好きなんです。付き合ってやってください」


ブリギッド

「アラン! 場所を考えろ……!」


アラン

「こんなにいい天気の下だ。少しくらい自由に話したっていいじゃないか。それに、それをお望みなんだよ、。ね?」


ブリギッド

「アラン……!!」


ダーナ

「ふふふ。あなた達はいつも私に変わらぬ姿を見せてくれる……。それが、どれだけ私の心を安らかなものにしてくれていることか……」


ブリギッド

「まったく、アランにはかないません。……私たちがお世話係に任命された時、ダーナ様はまだ9歳。あれから……もう7年になりますか……」


ダーナ

「そうね。あの頃の私は気難しくて……投げやりで……いつも心に寂しさを抱えていた。そんな私に、あなた達はいつも優しくしてくれた。時には外にこっそりと連れ出してくれたりもして」


アラン

「これからも、俺たちはダーナ様のお味方ですよ」


ダーナ

「ありがとう、アラン……。ふふ、なんだか湿っぽくなってしまったわね。ところで、ここで何をしていたのかしら?」


ブリギッド

「そうでした。アラン、さっきの稽古、最後の一本が残ってるぞ。さぁ、剣を取れ」


アラン

「よーし!」


ダーナ

「見物していて、いいわね?」


ブリギッド

「は。では、少々後ろにお下がりください。何かあってはいけませんから」


「そう言いつつ、ブリギッドは自らダーナから距離を取った。アランもそれに続く。先ほど大臣と話していた時の、あの陰鬱な気持ちはどこへやら。ふたりは、また新しく清々しい気持ちで互いに向き合った。」


ブリギッド

「よし、アラン! いいな! 行くぞ!」


アラン

「よし来い!」


ブリギッド

「はー!」


アラン

「おおおっ!」


N

「勇ましい掛け声と共に、ブリギッドが突進した! アランも同時に動き出す。戦いの構図は変わらない。速度を生かし変幻自在に攻めるブリギッドと、それを防ぐアラン。アランは重騎士としての防御力を生かした、カウンター狙いである。」


ブリギッド

「やー!」


アラン

「ふん! そうりゃっ!」


ブリギッド

「ははは! アラン! 先ほどよりも、キレが増しているんじゃないか!?」


アラン

「かもしれないな! もうちょっと速度を上げても構わないぞ、ブリギッド! まだ余力を残してるんだろ?」


ブリギッド

「言ったな? では行くぞ! やああああ!!」


アラン

「づうっ! ……だが、なんとかなりそうだ! うぉっと、危ない危ない!」


ブリギッド

「たあああああ!」


アラン

「おおおおッッ!! ……! ぐっっ!」 


「ふたりの剣が再び交わろうとしたその瞬間、不意にアランの動きが止まった。ブリギッドの剣は、なににも阻まれることなく、アランの鎧に直撃した!」


アラン

「うわああああ!!」


ダーナ

「あぁっ!」


ブリギッド

「っ! アラン!」


「ブリギッドは思わず剣を放り出し、アランのもとへ駆け寄った。少し遅れて、ダーナも心配そうな表情を浮かべてやってくる。」


アラン

「う……。だ、大丈夫だ」


ブリギッド

「なぜ剣を止めた、あんな危ないタイミングで?」


アラン

「……」


ブリギッド

「いや、剣だけじゃない。動きそのものが急に強張ったような……?」


アラン

「き……気のせいさ」


ブリギッド

「……アラン。まさか、……?」


ダーナ

「え……!?」


アラン

「い、いや、違う! ……違うさ。ほら、さっきも言ったろ? 鎧が分厚くって、まだ動きづらいだけなんだ」


ブリギッド

「しかし、そんな風には……」


アラン

「ブリギッド。心配してくれるのはうれしいが、見ろ。ダーナ様まで不安にさせてどうする?」


ブリギッド

「あ……」


ダーナ

「私のことはいいわ。アラン、本当に違うの?」


アラン

「ええ。ただの俺の不注意ですよ」


ダーナ

「…………」


アラン

「ブリギッド、強烈な一撃をありがとう。これは自室に戻って、傷の手当をしなきゃいけないかもなあ」


ブリギッド

「はぁ……。アラン……さては、ついでにサボる気だな? ……分かった分かった、行ってこい。さ、ダーナ様も。次の公務が控えておられるのでしょう? 中へお戻りください」


ダーナ

「え、ええ……」


N

「ダーナは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。続いてアランも、痛む体に手を当てて、宮殿の中へと姿を消していく。ブリギッドは、その後ろ姿をじっと見つめていた。」


ブリギッド

(アラン……。呪いに侵されたお前の体は、今、どうなっているのだろう……。私は、お前の体をもう随分とこの目で見ていない……)


N

「そんな3人の姿を、宮殿2階にある執務室の窓から眺めている人物がいた……。」


コバート

「ち……。あのふたりが騎士団長でいる限り、女王陛下はこのコバートの話を聞き入れることはない。隣国の戦力が整いきるまでに……………おい!」


N

「コバートは兵を呼び出した。これは宮殿付きの衛兵ではなく、コバート自身の兵……いわゆる私兵のようなものである。」


コバート

「調査はどうなっておるのだ! あのふたりの関係は怪しいんだ。なにかしらスキャンダルを手に出来れば、それをネタにどちらかでも引きずりおろせるというのに! さぁ行け! とにかく急がせろ! ……ちっ、茶がぬるくなっているではないか。おーい誰か! 茶の代わりを持ってこんか!」


N

「その日の夕刻――。ここは宮殿から南西に進んだ先にあるピエスの湖。太陽はまだ山の向こうにその夕焼けた顔を残し、湖のほとりには、昼間に比べ幾分か涼しくなった風がそよいでいた。ブリギッドは、青々と生い茂った草の上に足を投げ出して、すっかりくつろいでいる。その隣でアランは鎧を着たまま、兜も脱がずに寝そべっている。ふたりの他には誰もいない。ここは、ふたりにとって秘密の場所なのだ。」


ブリギッド

「夏もそろそろ終わるな。少し前までは、まだこの時間でも明るかったのに」


アラン

「あぁ、そうだな」


ブリギッド

「冬が訪れる前に、街の復興を終わらせないといけないな」


アラン

「あぁ、そうだな」


ブリギッド

「……ふぅ。おい、アラン!」


アラン

「あぁ、そうだな。……ん? なにか言ったか?」


ブリギッド

「はぁ……。いったい何を考えこんでいたんだ? お前らしくもない」


アラン

「失礼だな。俺だって、考え込むことくらいあるさ」


ブリギッド

「そうだな。1年……いや、3年に一回ほどな」


アラン

「おいおい。ひどいな……」


ブリギッド

「それで、いったい何を?」


アラン

「……あぁ、大臣の事さ。あの御仁の言い分も分かるかもなって、そう思っていたのさ」


ブリギッド

「大臣の言い分……。侵略戦争を肯定するのか?」


アラン

「そういうわけじゃないさ。ただ、このまま行ってもジリ貧なんじゃないのか? 悲しいかな、復興のペースは予定よりも進んでいないんだ。それに、あちこちで出没している山賊やら盗賊やらのせいで、戦の被害を受けなかった村々まで危険にさらされているときた。俺たちはより広範囲に渡ってケアしなきゃならない。そうすると、さらに復興は進まない。悪循環だ」


ブリギッド

「うん……」


アラン

「もうひとつ困った事に、この国は隣国と違って、作物が育つ環境としてはお世辞にも良い所だとは言えない。もし何かあって農地がやられてしまえば、元の状態に戻すのにかなりの時間が必要になる。俺たちが明日のご飯に悩んでいる間に、隣国の態勢は整い切ってしまうわけだ。それなら今のうちに……ってな」


ブリギッド

「あの男に、そこまで考えるだけの心はない。少なくとも、出世に目が眩んでいる今のあの男には……」


アラン

「そうだな。……ま、とにかく、そういうことを考えていたんだ。戦争しないで済むなら、それが一番いいに決まっているさ」


ブリギッド

「隣国と協力関係を築くことが出来れば……」     


アラン

「そうは言うが、こっちから攻め入ってちゃあな……」


ブリギッド

「なぜ先王陛下はあんなご決断を……」


アラン

「あ、あぁ……」


N

「その時、アランは兜の奥で苦悶の表情を浮かべていた。アランの声音の、そのわずかな変化を、ブリギッドは聞き逃さなかった。」


ブリギッド

「アラン……?」


アラン

「ぐっ……! あ、あぁ……。大丈夫、ちょっと体が熱いだけさ……。うがぁっ……!」


N

「突然、アランの体がビクンと跳ね上がった……! 灼熱の炎に身を包まれたかのような熱さが、アランの全身を襲っていたのだ。アランは体を『く』の字に曲げて、重たい鎧を着こんでいるにもかかわらず、のたうち回り始めた。」


ブリギッド

「アラン! 大丈夫か!? アラン!!」


アラン

「ううっ……! す……すまん、そこの湖のでいい、水を汲んできてくれないか……」


ブリギッド

「分かった。少し待っていろ!」


アラン

「う…ううう………」


ブリギッド

「そら、アラン! 水だ……さぁ……!」


アラン

「っ……! んぐっ、んぐっ。……ぷはっ。はぁ……はぁ……」


ブリギッド

「もう一杯、汲んでくる」


アラン

「すまん……」


N

「アランは次の水を飲み干すと、やっと痛みが和らいできたのか、少し落ち着きを取り戻した。ブリギッドはまだ荒いアランの息が整うのを待って、話しかけた。」


ブリギッド

「やはり……呪いが……? 一年前、他国との武力交流の帰りに、賊から受けた……」


アラン

「ああ……。まったく……人前で発作なんて起こらないで欲しいもんだ……」


ブリギッド

「そういう問題じゃないだろう。それに、私の前ではそんなこと気にしないでいい」


アラン

「ハッ……。そうだな……」


ブリギッド

「たしか傷を受けたのは右腕だったな。見せろ」


アラン

「……断る」


ブリギッド

「アラン!」


アラン

「見せたくないんだ」


ブリギッド

「しかし!」


アラン

「見せたくないんだよ!! すまん、声を荒げて……。だが、最近じゃあ、鏡で自分の姿を見ることもしていないんだ。どんなおぞましい見た目になってるかなんて、知りたくもないからな……」


ブリギッド

「…………」


アラン

「もう自分の肌の色も質感も思い出せない。俺は……すっかり醜くなっちまった……。そんな姿を誰にも、特にお前には、見られたくないんだ……!」


ブリギッド

「アラン……。お前がどのような姿になってもお前はお前だ。あの時も言ったろう? 私はお前のことをあいして……」


アラン

「……! ブリギッド、それ以上は言うな。言ってはいけない。俺達は騎士団長となった時に、この国のため、女王陛下のためにこの身を捧げると、改めて誓い合ったじゃないか」


ブリギッド

「アラン……。そう……だったな……。すまない」


アラン

「……いや、俺の方こそ、すまん。取り乱してしまって。でも、お前が俺のことを俺だと言ってくれるのなら、その通りなんだと思う。そしてそうあらねばと思うよ」


ブリギッド

「あぁ……そうだ。お前はお前だ。剛腕のアランだ」


アラン

「この腕で、国を、女王陛下をお守りするのが、重騎士に転向した俺の使命。だが、それも先陣切って勇ましく戦ってくれる男装の麗人がいるからだ。なぁ、華麗なるブリギッドよ……」


ブリギッド

「ふっ……。言っておくぞ。私のことをと呼んで許されるのは、お前だけだからな」


アラン

「知ってる。……ありがとう」


ブリギッド

「え?」


アラン

「さぁ、だいぶ日も暮れた。いつまでもここにいては、今度は逆に冷えてしまう。引き上げよう」


ブリギッド

「うん……」


アラン

「……俺は……ずるい男だ……」


N 

「再び所かわって、ここはコバート大臣の屋敷……。」


コバート

「……で、どうだったのだ。スキャンダルらしきものはつかめたのか? なに、つかめなかった? 一週間も張り込んで何も得られなかったのか、この馬鹿め! 

 ……なんだと? スキャンダルではないが、妙なことがあった? よし、言え。……ふむ、アラン殿が急に苦しみだした……しかも差し出された水を、兜も取らずに飲んだと? ふーむ……たしかにそれは妙な話だ。分かった、下がれ。

 そういえば……昼間のあの時も、あの男の様子はおかしかった。急に動きが止まって、ブリギッド殿に吹き飛ばされた……ような……? そして兜を取らずに水を飲む。苦しくて水を飲むなら兜は取るはずだ。なのにそれをしない……。

 なにか理由があるのか? 兜を取らない理由が? いや、取りたくないのか? よし……」


N

「それから数日が経った、ある日のこと。一週間に一度執り行われる女王謁見の儀。ブリギッドとアランも、それぞれ騎士団長として顔を並べていた。そこにはコバート大臣の姿もあった。」


ブリギッド

「滞っていた町の復興ですが、地方に出ていた大工たちが戻ってきた事で、作業ペースが改善されつつあります。そのため、これまで復興に回していた騎兵隊・歩兵隊は、来週より通常任務へと戻す予定でございます」


アラン

「重装隊、弓隊も同様です」


ダーナ

「長期間にわたっての慣れない任務、ご苦労でした。兵たちにもそのように伝えて、ねぎらってあげてちょうだい」


ブリギッド

「もったいないお言葉……」


アラン

「兵たちも、天へ舞い上がるような心持ちになるでしょう」


コバート

「ブリギッド殿もアラン殿も、この数か月大変だったでしょう。戦うことが仕事の兵隊が、大工仕事をするのですからな。しかも、その合間を縫って訓練もしなければならない。いやはや、頭が下がる思いです」


ブリギッド

「ありがとうございます」


コバート

「……ときに、アラン殿」


アラン

「は。なんでしょう?」


コバート

「先日の訓練の際に受けた怪我の具合は、いかがですかな?」


アラン

「え? あ、あぁ……アレですか。幸い、大したことはありませんでしたが……」


コバート

「ほう。しかし私はあなたが苦しんでいる姿を最近よく見かけますが?」


アラン

「私が……!? ははは、ご冗談を……。私はこの通り、ピンピンしていますよ」


コバート

「そうですか。ああ、そうそう。そういえばつい先日、面白い噂を耳にしたのですが」


ブリギッド

「コバート大臣。謁見の儀の最中です。世間話ならば後でもよいでしょう?」


コバート

「まあまあ。町の復興が進んでいるという良き報告。この喜びの際に少しくらい話が脱線しても良いではないですか」


ブリギッド

「…………」


コバート

「よいですな? えーと……そう、噂でした。その噂というのはこういうものなのです。重騎士隊、弓隊を統べるアラン騎士団長殿は食事の時間も、水を飲む時でさえも、けっして兜を取ろうとはしない――」


ブリギッド

「!」


ダーナ

「……!」


アラン

「…………」


コバート

「それが本当だとしたら大変なことだ。その兜の隙間から食事を摂るなど、まさに神業。まぁそのような事をする必要など、そもそもないはずなのですが」


ブリギッド

「大臣……」


コバート

「たかが噂と一笑に付すことは簡単です。しかし私は思ったのですよ。いくら職務上でしか対面することがないとは言え、私はもう1年ほどもアラン殿の素顔を見ていない」


アラン

「……っ」


コバート

「どうでしょう? 久々にあなたの素顔を私は見たい。噂が本当で無ければ、その兜を外せると思うのですが」


アラン

「う、ううう……」


ブリギッド

「大臣! そのような噂を信じるのですか!」


コバート

「信じてなどおりませんよ。ただ私はアラン殿の素顔を久々に見たい、と申しておるのです。これが変な要求でしょうか?」


ブリギッド

「く、くぅ……!」


コバート

「さぁ、アラン殿。どうか、お顔を我々に! それとも、見せることができない理由でもあるのですか? だとしたらこれは大変な事態だ。素顔を見せないということは、正体が分からないということ! もしかしたら中身が入れ替わっているかもしれない!」


ブリギッド

「な、なにを馬鹿なことを! この者のことは私が保証する!」


コバート

「どう保証すると仰るのですか!? あなたの言葉ひとつだけで、我々全員の信用が得られるとお思いなのですか? それは思い上がりですぞ!」


ブリギッド

「それは……!」


ダーナ

「もういいでしょう、コバート。そこまでにしなさい」


コバート

「女王陛下……! しかしこれは重要な事です!」


ダーナ

「私は、先日のふたりの稽古の様子をこの目で見ています。ふたりの実力は伯仲していました。ブリギッドと並ぶ腕の持ち主がこの国に……いえ、近隣諸国も含めてどれだけいますか?」


コバート

「そ、それは……」


ダーナ

「少なくともこの国には一人しかいません。言わずともわかりますね?」


コバート

「は、はい……」


ダーナ

「ならば、この話は終わりです。それよりコバート、あなたのおかげで時間が掛かりました。私には次の公務もあるのです。そろそろお開きにしませんか?」


コバート

「お、おお……もうそのようなお時間。これは失礼致しました」


ダーナ

「では、ブリギッド、アラン。ご苦労でした、下がりなさい」


アラン

「は……」


ブリギッド

「失礼致します」


コバート

「ぐ……ぬぐぐぐ……」


N

「ダーナの助けによって、何とか窮地を逃れることができたアラン。しかし、そのダーナによってアランの秘密が漏れることになるとは、この時誰にも想像することはできなかった。当のダーナでさえも……。

 その日の夜――。」


ダーナ

「さ、入って入って」


ブリギッド

「女王陛下、このような時間にいかがなされたのですか?」


アラン

「ええ。それも人目につかないように、だなんて……」


ダーナ

「早く扉を閉めて。……ふぅ、誰にも見られなかったわね?」


アラン

「は、はい。そりゃあ、まぁ……なんとか」


ブリギッド

「それで、私たちふたりを呼んだのは、どのような……?」


ダーナ

「分かるでしょう? 昼間のことよ」


ブリギッド

「謁見の儀――ですね。というよりも……


ダーナ

「ええ。私は、先週のふたりの稽古の時まで、アランの受けたというその呪いを甘く考えていたわ。とっくにもう治ったものだと思っていた。でも、違った。まだ呪いは、あなたの体を蝕み続けている。そうでしょう?」


アラン

「…………はい」


ダーナ

「アラン。顔を見せてちょうだい。それに体も」


アラン

「ダーナ様……! そ、それは……」


ダーナ

「これはつい最近知ったことなのだけれど……。私の母の祖国、イグナティ王国では、古くから魔術や呪術、特に解呪の方法についての研究を行っていたそうなの」


ブリギッド

「イグナティ王国と言えば……4年前、隣国との戦争時にダーナ様がご避難をされていた国」


ダーナ

「そう。そして私の祖父母が治めている国でもあるわ。当時の私は、そんな研究をしているだなんて夢にも思わなかったのだけれど……。とにかく、イグナティ王国の力を借りれば、アランの呪いを解くことができるかもしれない。でもそのためには、あなたの状況を知らなければならないの。アラン、私のお願いです。聞いてもらえませんか?」


アラン

「……ずるいですよ、ダーナ様。俺は誰にもこの醜い体を晒したくなかったのに。それを女王陛下に命令ではなくお願いなんてされてしまったら、断れるわけがないじゃないですか……」


N

「アランはそう言うと、鎧を脱ぎ始めた。ブリギッドの手を借りながら、上半身のパーツを取り外してゆく。そしてふたりに背を向けると、ためらいがちに兜を脱ぎ、それから服を脱いだ。」


アラン

「どうぞ……ご覧になってください」


N

「振り向いたアランの姿は、とても人間のものとは思えないほどに変わり果ててしまっていた。赤黒く染まった上半身。肌はまるで爬虫類のようにゴツゴツとして、まったく滑らかでない。しかもアランの顔や体には、所どころのようなものまでが生えていた。アランは、両の眼をぎゅっと閉じていた。何もかも見ないようにして、ぎゅっと閉じていた……。」


N

「ダーナは、アランの体を観察し始めた。そして得たものを事細かに紙に記していった。その表情に、怯えやためらいといったものは一切ない。あるのは、ただアランの力になってやりたいという純なる想いだけであった。」


ダーナ

「……触るわね」


アラン

「いっ、いけません……! 呪いが移ってしまうかもしれ……あっ……!」


N

「腹部に触れる小さな手。その柔らかさと、ひんやりとした温度が、アランの全身を電流のように駆け巡った。アランは、思わず涙した。」


アラン

(こんな……俺なんかのために……。申し訳ありません……ダーナ様……)


ブリギッド

(アラン……。私はお前になんと言葉を掛けたらいいのか分からない……。愛するお前がこんなに苦しんでいるというのに……。私はなんと無力なんだ……)


N

「ブリギッドは気付かなかった。部屋の外で息をひそめる、わずかな気配に。そして、これが運命の分かれ道になることにも……。」


コバート

(呪い……か。なるほど……。ついに、ついに尻尾をつかんだぞ……! ふふふ……。ははははは……!)


N

「ロレーヌ王国物語、前編、終わり。そして、後編へ……」


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