第20話 不協和音が溶けるとき

コンクール本番の朝。

 心音は、少し早めに会場入りして、静かな舞台袖で深呼吸していた。


 背中には、いつもと同じヴァイオリン。

 でも今日は、少しだけ重さが違っているように感じる。


 ──ひとりじゃない、って思えるから。


 そこに、奏多が現れた。黒のスーツに身を包んだ彼は、どこか少しだけ緊張した面持ちで、心音の隣に立つ。


 「……遅れてないよね?」


 「うん。ちょうどいいタイミング」


 ふたりは目を合わせて、微笑んだ。

 その表情には、もうかつての迷いはなかった。


 「練習、あんまりできなかったけど……」


 「だいじょうぶ。音なら、通じてるから」


 心音の言葉に、奏多は静かに頷いた。





 そして、舞台へ。


 客席のざわめきが遠くなる。

 まるでふたりだけの世界に、時間が溶けていくようだった。


 譜面台の上には、あの手書きの楽譜──

 《Unspoken Harmony(言葉にならない和音)》。


 心音が弓を構え、奏多が鍵盤に指を置いた。

 視線が合い、軽くうなずき合う。


 そして、最初の音が、静かに響き出した。


 やさしく、でも芯のある旋律。

 心音のヴァイオリンが、まるで語るように歌い、奏多のピアノがそれを包む。

 それは、ただの技術でも、演出でもなくて──


 本当の気持ちを奏でる音だった。


 途中、転調の瞬間。

 不安げな短調のメロディが、ピアノの和音とぶつかる。

 一瞬、不協和音のような響き──けれど、それがどこか切なく、美しい。


 (たとえぶつかっても、混ざって、溶けて、音になる)


 心音は、奏多のピアノに耳を傾けながら、そう思った。

 気づけば、ふたりの音は完全に調和していた。


 ラストのフレーズ。

 ヴァイオリンが、高く、高く、空に舞い上がるように伸びて――

 ピアノが、そっとその音を受け止めて、やさしく締めくくる。


 静寂。


 それは、聴衆が息をのんだ瞬間。

 そして次に、大きな拍手が響いた。



 舞台を降りて、ふたりは裏手の控室へと戻る。


 「……弾けたね」


 「うん、最後まで」


 ふたりは小さく笑った。


 「ねえ、心音」


 「ん?」


 奏多は、少しだけためらってから、言葉を選ぶように呟いた。


 「また、君と音を合わせたい。これからも、ずっと」


 心音の胸が、あたたかく満ちていく。


 「わたしも。……一緒に、奏でたい」


 ふたりは見つめ合い、小さくうなずき合った。

 不器用で、少しだけぎこちない。でも、確かに心を重ね合えた瞬間だった。


 言葉では言い尽くせない感情が、静かにふたりの間を満たしていた。

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