第14話 ふたりだけのピアノ室

 放課後の校舎は、いつもより静かだった。


 明日に控えたアンサンブル発表会に向けて、

 校内のあちこちから練習の音が漏れ聞こえるはずなのに、

 この時間、この場所は──まるで、時が止まっていた。


 「ごめんね、付き合ってもらって」


 ピアノ室で、神谷奏多が軽く頭を下げた。


 「ううん、むしろ練習したいなって思ってたの。細かいテンポの合わせとか……」


 心音が笑って言うと、奏多も安心したように微笑んだ。


 グランドピアノの前に座る奏多。

 その隣に、ヴァイオリンを構えた心音が立つ。


 「じゃあ、最初から」


 頷いて、心音は深く息を吸った。

 奏多の指が鍵盤に触れた瞬間、室内に音が広がる。


 その音は、誰かに見せるためのものじゃなかった。

 ただ──心と心を重ねるためだけの、音楽だった。


 (……やっぱり、神谷くんのピアノ、好き)


 柔らかくて、でも揺るぎなくて。

 そこに乗ると、まるで自分の音まで優しくなれる気がする。


 曲が終わったとき、ふたりは、しばらくそのまま沈黙していた。


 「……心音の音、最近変わったよね」


 不意に、奏多が言った。


 「え?」


 「前より、深くなった。色が増えたというか……温かくて、柔らかい。

 誰かのために弾いてる、そんな感じがする」


 心音の頬が、ふわっと熱を帯びた。


 (それって……美月さんのこと?)


 でも、その問いを飲み込む。


 「……もしかしたら、そうかも」


 「誰のため?」


 すぐに返された問いに、心音は答えられなかった。


 でも、答えは心の中にあった。


 (──あなたのため、だよ)


 その沈黙の意味に、奏多は気づいたのだろうか。


 「明日、うまくいくといいね」


 「ううん、“うまくやる”じゃなくて、“伝える”演奏がしたい。

 私たちの音で、ちゃんと何かを届けたい」


 そう言った心音の言葉に、奏多はふっと笑った。


 「……心音ってさ、やっぱり強いね」


 「え?」


 「ううん、なんでもない」


 奏多はピアノの蓋をそっと閉じた。

 それは、ふたりだけの秘密の時間の終わりを告げる仕草のようだった。


 (もっと、話したかった)


 (もっと、奏多くんのことを知りたかった)


 けれど、今はまだ、胸の奥の言葉を「音」にして届けるしかない。


 明日、ステージで──

 心音は、自分のすべてを音に乗せると誓った。

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