私たち、不協和音
菊池まりな
第1話 交差点の前で
ヴァイオリンの弓先が、わずかに震えた。
放課後の音楽室。窓の外では西日が傾き、淡く差し込む光が譜面台を照らしている。
――違う。音が、届かない。
もう何度目かの演奏を止めて、小さく息を吐く。柔らかな髪が肩に触れて揺れた。
今日はひとりきりで練習したくて、授業が終わってすぐに音楽室にこもっていた。
「……また、空回りしてる」
そう呟いた瞬間、ドアがノックもなく静かに開いた。
振り向くと、黒髪の男子が立っていた。
無表情で、無言で、何かを問うように心音を見ている。
「あ、ご、ごめんなさい……。もう出ます」
心音は慌ててヴァイオリンをケースに仕舞おうとした。
けれど、奏多は微動だにせず、静かに一言だけ発した。
「その曲、続けて」
「えっ?」
「気になった。君の音……途中だったから」
心音の胸が一瞬だけ跳ねた。自分の演奏を、"気になった"と――彼がそんなことを言うなんて。
でもすぐに不安が顔をよぎる。今日の演奏は、ぜんぜんダメだったのに。
「……わたしの音、変だったと思う。揺れてて、響きも浅くて……」
「そうだね。歪んでた。でも……」
奏多は、ゆっくりとピアノの前に座った。そして、彼女の目を見ずに、続ける。
「嫌いじゃない」
その言葉が、胸のどこかに柔らかく刺さった。
言葉よりも先に、何かが心音の中で震えた。
この人のピアノとなら、重なれるかもしれない――そんな予感が、ほんの一瞬、心を掠めた。
けれど、すぐに思い出す。来週から始まるアンサンブル授業で、心音は「新しいグループ」に配属される。
奏多、澄香、陸、そして――自分。
交差点の前に立たされている気分だった。
誰の音とも、まだ重ならない。
それでも、いつかきっと、どこかで響き合えるのだろうか。
ピアノの鍵盤が、やわらかく押された。
奏多が、心音の止まっていた旋律を続きを弾き始めた。
まるで、次のページをめくるように――
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