第19話:若き祖父のゴーストとの対峙

 ドームの中央。

 そこに、一人の男が立っていた。

 背中をこちらに向け、何か巨大な装置を操作している。その背中は、俺の記憶にある老人としてのじいちゃんのものではなかった。もっと若く、力強い。鉱山で働き盛りだった頃の、若き日の黒瀬弦太の姿だった。


「…じいちゃん…」


 俺が声をかけると、男はゆっくりと振り返った。

 その顔は、間違いなく若き日の祖父だった。だが、その瞳には、光がなかった。まるで、プログラムに従って動くだけの人形のように、空虚な表情をしていた。

 これは、生前の人格をコピーした、量子的なゴースト。残留思念の塊だ。


「…侵入者ヲ、確認。排除スル」


 若き弦太のゴーストは、感情のない声でそう告げると、背後のコンソールを操作した。

 途端に、ドームの壁から、無数の機械アームが伸びてきて、俺に襲いかかってきた。アームの先端は、鋭いドリルや、高熱を発するカッターになっている。


「くそっ!」


 俺は義肢のプレートを展開し、エネルギーシールドでアームの攻撃を防ぐ。

「目を覚ませ、じいちゃん!俺だよ、譲だ!」

 だが、俺の声は、ゴーストには届かない。彼は、ただ淡々と、コンソールを操作し続けるだけだ。


「廻!あの装置は何だ!」

 シールドで攻撃を防ぎながら、俺は叫んだ。


『…アストラル・ワンダラーに搭載されていた、惑星環境改造用の防衛システムです!地形改変、気象制御、そして…敵対存在の殲滅を目的とした、強力な兵器です!弦太氏は、それを起動させてしまった!』


 防衛システム?じいちゃんが、なぜそんなものを。

 俺が必死に攻撃を凌いでいると、ゴーストが、初めて口を開いた。その声は、相変わらず感情がなかったが、その言葉の内容は、俺を凍りつかせた。


「コノ街ハ、危険ダ。魂鉄汚染、量子記憶ノ暴走…ヤガテ、全テガ崩壊スル」

 ゴーストは、コンソールから視線を外さずに、呟く。

「ダカラ、作ラナケレバナラナイ。家族ヲ…譲ヲ…守ルタメノ、安全ナ場所ヲ」


 シェルター。

 その言葉に、俺はハッとした。


「コノ船ノ技術ヲ使エバ、可能ダ。地下深クニ、外部ノ影響ヲ受ケナイ、完璧ナシェルターヲ作ルコトガデキル。ソノタメナラ…多少ノ犠牲ハ…仕方ナイ…」


 そうか。そうだったのか。

 じいちゃんは、俺たち家族を守るために、この異星のテクノロジーに手を出したんだ。魂鉄の力を利用して、地下にシェルターを作ろうとしていた。

 だが、その過程で、彼は誤って、この恐ろしい防衛システムを起動させてしまった。そして、システムは、シェルター建設の障害となる鉱山の地上施設を「敵」と認識し、攻撃を開始した。

 あの鉱山事故は、事故なんかじゃなかった。

 じいちゃんが引き起こした、防衛システムの暴走だったんだ。


 そして、彼は、自らの命と引き換えに、このシステムを、この地下迷宮に封印した。

 彼の魂がここに囚われているのは、このシステムを二度と起動させないための、最後の「楔」として、自分自身を捧げたからだ。


「じいちゃん……あんた、そんなことを……」


 真実の重みに、膝が折れそうになる。

 機械アームの攻撃が、さらに激しさを増した。エネルギーシールドに、亀裂が入り始める。


 このままじゃ、やられる。

 だが、どうすればいい?ゴーストを破壊すれば、この防衛システムの暴走が再開するかもしれない。

 俺は、どうすれば、じいちゃんの魂を、この永遠の番人という役目から解放できるんだ?



「譲さん!ゴーストの核を破壊せずに、防衛システムだけを停止させる方法があります!」

 廻の声が、絶望的な状況に一条の光を差した。

「ゴーストは、弦太氏の『後悔』の記憶によって、システムに縛り付けられています!その『後悔』を、貴方が受け入れることができれば…彼をシステムから切り離せるはずです!」


 後悔を受け入れる?

 どうやって。


「貴方の魂鉄義肢を使ってください!それは、弦太氏の記憶と最も親和性が高い!義肢を通して、貴方が彼の『愛』と『後悔』の両方を理解し、受け継ぐことを示すのです!」


 俺は、暴走する機械アームの群れと、無感情にコンソールを操作する祖父のゴーストを見た。

 もう、迷っている時間はない。


「やってやる…!」


 俺は、エネルギーシールドを解除した。

 無防備になった俺に向かって、無数のアームが、殺到する。

 その猛攻の只中を、俺は、ただ真っ直ぐに、ゴーストに向かって突き進んだ。


「うおおおおおおっ!」


 ドリルが肩を掠め、肉を抉る。カッターが頬を焼き、激痛が走る。

 だが、俺は止まらない。

 じいちゃんの、あの優しい笑顔を思い出す。俺を、この街を守ろうとした、彼の不器用な愛を。そして、その愛ゆえに犯してしまった、取り返しのつかない罪を。


「じいちゃん…!」


 ついに、ゴーストの目の前までたどり着いた。

 俺は、血まみれの体で、彼の胸に、魂鉄の左腕を、そっと押し当てた。


「あんたの気持ちは、分かった。俺を守ろうとしてくれたことも…そのために、過ちを犯したことも…」


 俺は、義肢の出力を最大にした。

 だが、それは破壊のためじゃない。共鳴のためだ。

 俺自身の記憶――祖父を失った悲しみ、左腕を失った絶望、そして、それでもこの星蝕亭で生きていくと決めた覚悟――その全てを、義肢を通して、ゴーストへと流し込む。


「だから、もういいんだ。じいちゃん。もう、一人で背負わなくていい」


 俺の左腕と、ゴーストの体が、眩い光を放って共鳴を始めた。

 ゴーストの空虚だった瞳に、初めて、光が宿った。それは、驚き、困惑、そして、深い安堵の色だった。


『…譲…』

 それはもう、機械的な音声ではなかった。

 俺が知っている、じいちゃんの、温かい声だった。

『…大きく…なったな…』


「後は、俺が引き受ける」


 俺は、彼の肩に手を置き、力強く言った。

「あんたの愛も、後悔も、全部。だから、安らかに眠ってくれ」


 じいちゃんのゴーストは、ゆっくりと微笑んだ。

 そして、その体は、穏やかな光の粒子となって、静かに霧散していった。


 彼が消えると同時に、暴走していた機械アームは全て動きを止め、壁の中へと収納されていく。防衛システムは、完全に沈黙した。


 後に残されたのは、静寂と、俺一人だけだった。

 俺は、その場に膝から崩れ落ちた。全身の痛みが、一気に襲ってくる。

 だが、不思議と、心は穏やかだった。


 左腕の魂鉄義肢が、静かに、温かい光を放っていた。

 もう、暴走することはないだろう。

 じいちゃんの魂は、解放された。そして、彼の想いは、確かに、この腕の中に、俺の中に、受け継がれたのだから。


 俺は、ゆっくりと立ち上がった。

 この地下迷宮から、帰らなければならない。俺の帰りを待っている奴がいる、星蝕亭へ。

 そして、いつかまた、この場所に眠る異星のテクノロジーが、牙を剥く日が来るのかもしれない。

 その時は、俺が、この腕で、それを止めよう。

 それが、じいちゃんの想いを継いだ、俺の役目だ。


 俺は、迷宮の出口へと、確かな一歩を踏み出した。

 その背後で、沈黙した防衛システムのコンソールが、一瞬だけ、緑色のランプを灯して、静かに消えた。


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