6話 - 記憶の解剖室
鉱山から逃げ帰って三日目の夜、私は再び悪夢にうなされた。左腕の魂鉄が発熱し、皮膚の下で銀色の血管が不気味に脈打つ。夢の中で繰り返し聞こえるのは、潮崎豪の叫び声だ。
「…病院…天照丸の…記憶が…」
目が覚めた時、枕元に一枚の写真が置かれていた。潮崎の昏睡状態を写したスナップだ。裏には「市立病院西棟4階 量子記憶隔離室」と走り書きされている。差出人不明――だが写真の隅に写り込んだ窓ガラスに、星蝕亭特有の銀河模様が反射していた。
冥界市立病院の西棟は、他の病棟とは明らかに違っていた。壁の塗装が不自然に新しいのに、鉄扉には1960年代の錠前がついている。深夜の病院というのに、ナースステーションに人影はない。代わりに、天井から無数の電線が垂れ下がり、所々に銀色のテープが巻かれている。
「量子干渉防護テープですよ」
突然背後から声がして、私はぎくりとした。振り向くと、白い看護帽を被った少女が立っていた。だがよく見れば、それは骨鳴浜の幽霊ではなく、生身の人間だ。名札には「実習看護師 三上」とある。
「潮崎先生のお見舞いですか?あの方は…特別なんです」
彼女の瞳が一瞬、看護少女のそれと重なった。意識的にまばたきをすると、また普通の目に戻る。
「隔離室はあの奥です。でも、今は入れません。枢さんが『手術』中ですから」
私は息をのんだ。「手術だって?」
「記憶の量子転写です」三上が不思議な調子で囁く。「天照丸の記憶を潮崎先生の脳から取り出すの。そうしないと、両方の記憶が融合して崩壊しちゃうから」
病室の覗き窓から中を覗くと、信じがたい光景が広がっていた。
潮崎のベッドの周りに、銀色の糸で作られた立方体の檻が組まれている。中で潮崎は痙攣しながら浮遊し、頭部から無数の光の糸が伸びていた。その糸を辿っていくと――手術台のようなテーブルの上で、枢が「何か」を編んでいる。
「あれは…」
「記憶の再構築です」三上が説明する。「枢さんは、潮崎先生に憑依した看護少女の記憶を紡いでいるの。1945年3月17日の天照丸で何が起きたのかを」
ふと、三上の手首に気付いた。注射痕だ。幽子と同じものが無数に刻まれている。
「あなたも…二重身劇場に?」
彼女は悲しそうに笑った。「違います。私はもっと昔からここにいます。天照丸の看護婦だった頃から」
その言葉の意味を考えている間も、病室内では異様な手術が進行していた。枢の指先から伸びた生体ナノマシンが、空中に浮かぶ記憶の断片を縫い合わせていく。次第に形を成してきたのは、錆びた輸血瓶だ。
突然、枢の手が止まった。輸血瓶の中から、小さな黒い影が這い出してくる。
「…サムドニクス」
三上の唇が震えた。
「治癒ナノマシン…私たちが最後に隠した……」
枢が素早く手を動かし、その黑影を銀色の容器に封じ込めた。同時に、病室内のモニターが一斉に警報を鳴らし始める。
「まずい」三上が私の腕を掴んだ。「幽子さんが動いた。鉱山で『あの子』を起こそうとしている!」
モニター画面には、鉱山入口でヴァイオリンを構える幽子の姿が映っている。彼女の背後には、無数の「観客」が整列している――二重身劇場の常連たちだ。全員の左腕に、私と同じ魂鉄の紋様が浮かび上がっている。
「調律が始まります。あの子たちが演奏すれば、母船が完全に覚醒する」
三上の目から黒い涙が零れ落ちた。その涙は床に触れると、小さな手の形になって這い始める。
「もう止められない…私たちの罪が、ついに……」
病室のドアが突然開き、枢が現れた。彼の白衣は血ではなく、銀色の液体で染まっている。右手には先程の容器、左手には潮崎の逆回転する時計を握っていた。
「準備が整いました」
枢の声には、初めて「熱」がこもっている。
「『サムドニクス』を回収した。これで母船の暴走を止められる」
私は混乱していた。「暴走?でも幽子は母船を起こそうとしているんじゃ…」
「勘違いです」枢が冷たく言い放った。「母船は既に目覚めている。問題は、その『操縦者』です」
彼が時計を逆回転させると、病院の壁が透明になり、遠くの鉱山が見えた。山頂から噴き出す銀色の光柱。その中で、巨大な「何か」が蠢いている。
「被検体の祖父さんが残した魂鉄が、間違った形で目覚めた。幽子さんたちはそれを『神』だと思い込んでいる」
枢の目が光る。銀河が加速し、星々が爆発していく。
「真実を教えましょう。母船の目的は『治癒』です。しかしそれは――」
その瞬間、病院全体を衝撃が襲った。鉱山から放たれた光の波だ。窓ガラスが一斉に割れ、看護婦たちの悲鳴が響く。
「間に合いません」三上が泣きながら言った。「『調律』が完了します」
枢は静かに容器を開けた。中から這い出る黒い影――サムドニクスが、彼の腕に絡みつく。
「最後の手段です。私が直接介入します」
彼の体が光の糸に分解され始めた。天井を貫き、鉱山へと伸びてゆく。
「あなたは潮崎さんを連れて逃げなさい。そして……」
枢の声が遠のいていく。最後の言葉は風に消えた。
病室のベッドで、潮崎がうなされながら目を覚ました。彼の首筋には、銀色の注射痕が新しい。
「…大変なことに…なってる…」
潮崎の目が、看護少女のそれと完全に重なっていた。
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