第17話

「はぁ……」


 私、神野しずかは自宅の扉を閉めた途端、深くため息を吐いた。


 憂鬱の理由は、様々だ。


 先ず、弟の翔の事。


 少し前までは快活で無邪気な少年だった彼が、ある日突然髪を金色に染めた。何の予兆もなく、本当に唐突な出来事だった。


 当然、両親は彼を叱った。まだ中学生の身で髪を染めるなど言語道断である、と。そして幾らか金を渡して、髪を切ってこいと言った。


 所詮一時の気の迷いであると、父は考えていた。母も、そして私もそう思っていた。


 だって、昨日までの翔は両親の言いつけをきちんと守る良い子だったから。


 友達に唆されてやってしまっただけ。だから、叱られたのなら反省してまた元の翔に戻ってくれる。


 家族みんながそう考えていた。


 けれど。


 そうはならなかった。


 家族に暴力こそ振るわないものの、言動は粗野で乱暴になっていく。反抗期なのだろうと両親は半ば諦めたような態度だったけれど、私にはそう思えなかった。


 だって昨日までずっと良い子だったのに。ある日を境に、急に人格が変わったようになってしまった。何か理由があるに違いない。


 私は調べた。あらゆる人脈を駆使して。


 そして蛇蝎会に行き着いた。


 市内で活動する不良グループの中でも最大の勢力を誇る集団。しかも、違法な薬物を取り扱っているとの噂すらある。そんな所に、翔は所属している。


 絶望的な気分だった。


 どうしてこうなってしまったのか。


 コミュケーション不足?


 私達の愛情が足りなかったから?


 そんなはずない!


 家族みんな仲良く暮らしていたのに!


 きっと無理矢理所属させられたんだ!


 そして私は蛇蝎会について自分の足で調査することにした。翔が脅されて入会させられているなら、その脅迫材料を調べて警察に届け出る。そうすればきっと翔は抜けられる。そんな考えで私は夜の街に飛び出した。


 そして彼と出会った。


 もう一つの悩みの種。


 名前も知らない、黒ずくめの男。多分若いと思う。背丈は中高生程度だし。でも、恐ろしく強い。そして何より容赦が無い。


 私を助ける為とはいえ、淡々と相手の骨を折っていくあの光景には戦慄した。だから、弟を助けてくれると言ってくれた後も、あの人が少し怖い。


 二度も助けてくれたのにね。私ってこんなに薄情な人間だったんだ、ってちょっと落ち込んだりもした。


 それに、雰囲気が真田君に近しいものを感じる。それもあって、少し苦手意識があるのだ。


 そう、真田君もそうだ。悩みの種の一つ。


 最初の印象は、少し怖い、だった。顔は童顔で可愛らしいのに、何と言うか、醸し出す雰囲気が剣呑なのだ。


 表情はにこやかなのに、腹の底で何を考えているか分からない。そんな感じがしていた。


 それに、あの脅迫。


 これ以上調べるな。って、そんな事を言われたら、何かやましい事を考えていると暴露しているようなものだ。


 けれど、あらぬ噂を流されても困るので、これ以上は詮索しない。しかも身内が組織に関わっている以上、悪い噂が流れるのはよろしくない。


 結局、私は彼の要求を飲んだ。


 彼があそこで何をしていたのかは気になるけれど。


 そう言えば。真田君がいなくなった直後、彼が現れたんだった。偶然にしてはタイミングが良い。まるで彼らが同一人物であるかのよう––––


 いや、よそう。詮索しないと決めたんだから。


 弟の不在を確認して、自室に戻る。あの人は解決してくれると言ってくれたけれど、結局は具体的な方策を何一つ聞かされていない。


 あの人がいくら強いと言っても、相手は市内で最大勢力を誇る不良グループなのだ。一個人でできる範囲など高が知れている。


 それこそ各個撃破で潰していくぐらいしか、私には方法が思いつかない。けれど、そんな事をしていたらいくら時間があったって足らないのではないか。


 途端に不安になる。


 やっぱり、私も何かした方が良いのではないか。彼はこれ以上動くなと言ったものの、そもそもは私たち家族の問題なんだし。


 今夜からでもまた調査を再開した方が––––


 そんなことを考えていると、不意に窓ガラスに何かが当たった音がした。


「……?」


 なんだろうと思い、外を見てみる。が、特に何もない。道路に面してはいるものの、車通りは殆どない生活道路だし、飛び石が来るような所でもない。


 鳥でも当たったのだろうか。


 私は窓を開けて下を覗き込んでいると。


 耳音で風切り音が通り過ぎた。


「––––––––!?」


 慌てて振り返ると、部屋の壁に一本の矢が刺さっていた。


「〜〜〜〜〜〜〜!?」


 私は声にならない悲鳴をあげた。



          §



「おっ! 上手く刺さったな!」


 俺はその様子を双眼鏡で覗いていた。矢尻が吸盤タイプだったから、上手く壁にくっついてくれるか心配だったが、なんとかなったな。


「やはり、手紙は矢文に限る」


 特に隠密性を重視するなら、コレ一択である。


「さて、帰るか」


 用は済んだので俺はそそくさとその場を去った。


 この時の俺は知らなかった。


 この後、神野に滅茶苦茶怒られることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る