星嘗の獣よ、歌え

鳥辺野九

1


 はるか遠く。我らが故郷の地球には冷たい雨が降るという。

 空から水滴が落ちてくる気象現象、雨。わたしの祖先の惑星では恵みをもたらす命の水は空から与えられる。

 惑星シグムントには巨人の肉が降る。

 荒れ果てた地表に棲みつくわたしたちに恵みをもたらす命の糧は、途方もなく大きな巨人から与えられる。

 水蒸気が青白く煙る空の彼方、ぽつんと赤褐色の塊がある。霞むほど遠く、高く、はるか空の向こう。大きな塊が降ってくる。惑星シグムントに降る雨は肉の塊だ。

「じいちゃん! だいぶ大きくなってきたよ!」

 荒野を疾走するトラックの窓から身を乗り出して、広い空の一点を指差す。昼間に輝く恒星でも衛星でもない赤褐色の肉塊。腕を伸ばして親指と人差し指を目一杯広げて落下中の巨人の肉を測る。大きい。とてつもなく大きい。見る見るうちに指では測り切れなくなり、その神々しくも肉肉しい表面が肉眼でも観察できるようになる。

「揺れるぞ。ちゃんと座っていろ、ニケ。ベルトも締めるんだ」

 じいちゃんも運転席から空を睨む。険しい顔でハンドルを握り直し、進路を調整する。落ちてくる肉に押し潰されない距離にはいるが、念には念を入れて、だ。それほどまでに肉の塊は大きい。

 ゆっくり回転しながら降ってくる巨人の肉の落下予想地点からはもうだいぶ離れたというのに、じいちゃんは未だ停まる気配を見せない。落下の衝撃で地面は激しく揺れるだろう。トラックがひっくり返らないよう衝撃波に対して直角の進路に入らなければならない。

「わたしが見た中でもとびきり大きいけど、あれってやばい?」

 シートベルトをしっかりと固定して、胸の前で腕を組む。あれだけ大きな肉の塊の落下なんて見たことない。初めての現象に胸がドキドキしてくる。

「今まででも最大のばら撒きだろうな。あの巨人もだいぶ弱ってるようだ」

 じいちゃんがようやくアクセルを緩めた。わたしにはベルトを絞めろなんて言ったくせに、自分は窓から半身を晒すようにして降ってくる巨人の肉の位置を確認する。

「最期に邪魔な腰の肉でも振り落としたんだろう。あれはそのうちの一個だな」

 赤褐色したいびつな楕円形で、一見してゆっくりと横回転しながら空に浮いているような巨大な肉塊。あれではるか上空からものすごい速度で落下中なのだ。あまりに大き過ぎて、その挙動がゆっくりに見えてしまう。

 肉はぐるりと回転して、いびつに膨らんだ側の表面が見えた。巨人の身体に降り積もった堆積物が土壌となり、そこに背の低い木々が生い茂り森を形作っている。そんな肉の森が落ちながら風に吹かれてざわめいている。

「落ちるよ」

 トラックの走行音が小さくなり、代わりに風の音が聞こえだした。びょおうびょおう。

 助手席に深く座っているというのに吹き込む風に前髪が揺れる。落下するあまりに大きい巨人の肉が地表の空気を押し退けている。

 樹木が森のように生えた肉塊の直径は短い所でも数百メートルにも及ぶだろう。剥がれ落ちた切っ先まで含めると一キロメートルに達するくらい。落下の瞬間を近くで見たいけど、さすがに大き過ぎて離れないと危ない。

「落ちたら遅れてドンッて来るぞ」

 やがて、空の彼方から降ってきた巨人の肉がゆっくり回転しながら鋭角の面を下にして地面へ接触した。しかしながら相変わらず風の音しかしない。びょおうびょおうと空が鳴るばかり。

 荒涼とした大地に突き刺さるように沈んでいく巨人の肉。いや、違う。地面の方が硬いから、柔らかな肉がひしゃげ潰れているんだ。接地した辺が押し広げられるように畳まれて、無音のまま肉の表面に繁った森がぶるぶると波打って衝撃が伝わっていく。

 落下面がぐしゃりと潰れて広がって、それでも肉の上側は未だ落下の勢いが衰えずにどんどん地面へと突き進んでいる。上下にスローモーションで静かに圧縮されているみたいだ。

「地面にもやみたいなのが走ってるよ」

 風向きが変わる。もやの正体は衝撃波だ。激突音と衝撃を連れてくる。

「口を開けて、耳を塞いどけ」

 じいちゃんが運転席で小さくなり、大きく口を開けて耳を手のひらですっぽり覆った。慌ててわたしもじいちゃんに倣う。

 しんと風の音が聞こえなくなった。

 のろのろと惰性で走るトラックを墜落した肉の衝撃波が追い抜く。轟音。そして激しい揺れ。

 荒野のでこぼこを乗り越えるみたいにトラックが派手に跳ねた。わたしの身体も助手席で飛び跳ねて、シートベルトにがくんと押し戻される。地震なんてものじゃない。小さな崖を飛び降りたみたい。ちょっとした事故だ。

 重低音が大きく轟く暴風の最中、サスが弾け飛んでタイヤがバーストするんじゃないかってくらいにトラックが跳ねた。

 そして、ひとしきり暴れた後ようやくおとなしく停まってくれた。

 バックミラーに見える巨人の肉は自重で歪み潰れて、まるで斜めに樹木が生い茂った丘みたいにこんもり傾いていた。

 あれはすでに標高の低い小山か。柔らかい肉のせいでまだ肉表面の森全体が揺れて見える。土煙がもうもうと舞い上がり、しばらくは竜巻みたいに荒れまくるだろう。

 やがて、落下の振動も落ち着く頃。惑星に棲息する数少ない原生生物たちが巨人の肉や墜落した森の木々を食べに集まってくる。肉の表面に生えていた樹木も地面に根を張り新たな森林が広がる。長い時を経て、ここら辺一帯が肥沃な丘陵地帯となる。一個の肉片に新たな生態系が生まれる。

 わたしたち人類もその構築された生態系の恩恵に預かるわけだが、今回の肉落下は少し事情が違った。わたしとじいちゃんが狙うは巨人の本体だ。まもなく、あの巨大な生命体は終わりを迎える。

 トラックの窓から身を乗り出して空を仰ぐ。落下して崩れ落ちた肉の山のはるか空高く、とてつもなく巨大な生物が立ち尽くしている。あまりに大き過ぎて、頭は空の向こうに霞んで見えないくらい。わたしもじいちゃんもただただ空を見上げるだけだ。

 惑星シグムントに巨人あり。そしてその巨人の遺骸に街を作り生活する人類がいる。

 巨人と人類が生きる大地に、はるか上空から風が巻いて降りてくる。びょおうびょおう。




 惑星シグムントには二種類の巨人がいる。生きて歩き続けている巨人と、死んでもう歩くことができずに遺骸となって横たわっている巨人と。

「あの巨人も、もってあと七日間くらいでしょうね」

 人類が宇宙航海時代に惑星シグムントへ入植しておよそ百年。惑星シグムントには二種類の人類がいる。生きて歩き続けている人類と、巨人の遺骸に穴を掘って住処を作って歩くことを止めた人類と。

「もっとも、私は巨人の医者じゃあないんでわかりませんがね」

 遺骸街の住人、フレデリさんは窓の外を眺めながらケラケラと笑った。そう。フレデリさんは巨人のお医者さんではない。家畜のお医者さんだ。そして、巨人の観察者だ。

「そもそも七日間というのも我々人類の時間であり、あの巨人にとっては一瞬の出来事かもしれませんよ」

 巨人の観察者は久し振りに訪れた遺骸掘り師を快くもてなしてくれた。遺骸街上層に掘られた自分の部屋へ招き入れ、食事と寝床も用意してくれた。

「人類の時間で何年振りになるかな。他の遺骸掘りたちは、まだ来てないのか」

 独り呟くようにじいちゃんが煙草を燻らせた。しーっと口の隙間から細く吐き、出窓から外へと薄く流れる煙を目で追う。その視線の向こう、夕刻色に染まる空と巨大な異形のシルエットが、まるで世界を切り抜いたかのように黒々と佇んでいる。

 はるか地平線から盛り上がり、その巨体で空を覆い尽くし、頭部と思われる体躯の頭頂部は空の向こうにかすんで消える。まるで山だ。いや、壁か。

 普段はただそこにいるだけの巨人。わたしも子どもの頃から惑星の原風景の一部と認識している。ゆったりと平地を歩き続けて、たまに巨体から大きな肉片を振り落とす。それは原生生物や人類にとって恵みの肉の雨となる。

 そんな巨人が死ぬ。空の彼方から落ちるように倒れる。この惑星で一番のイベントだ。わたしが生まれてからはまだ一度も巨人の死と対面していない。すなわち十六年以上、巨人倒壊は発生していない。遺骸掘り師たちがあちらこちらの土地から集まってくるわけだ。

「ええ。まだ誰も。連絡はついているんですが、何せ遠方ですからね。まさかこの遺骸街の近くに弱った巨人がやって来るだなんて」

「遺骸街に倒れてくるなんて、そんなことないといいがな」

「そりゃあありませんよ」

 フレデリさんはまたケラケラと笑った。じいちゃんもわかってるよって顔して煙草を喫む。

「巨人が遺骸に近づくことすら珍しいんですから」

「死に場所を求めた巨人が、この遺骸に呼ばれたのかもな」

「やめてくださいよ。巨人がそんな意思を持つなんて。そういえば……」

 フレデリさんが黙りこくって二人の会話を目で追っているわたしに顔を向けた。わたしが生まれる前からじいちゃんと付き合いがあるらしく、親戚の叔父様みたいな深く皺が刻まれた優しい笑顔だ。

「お孫さん、遺骸掘り師になるんですね。ニケ、遺骸掘りを見たことはあるのかい?」

「あ、いいえ。まだ、遺骸街の区画拡張を手伝ったことくらいしか」

 わたしがたどたどしく答えると、じいちゃんは皺だらけの険しい顔で煙を吐く合間に言葉を継ぎ足して返してくれた。

「遺骸掘りなんてそう滅多にある仕事じゃねえからな。ニケもまだ若い。こんな化石みたいな稼業を無理に継ぐ必要もないさ」

 指に深く挟んだ煙草の先で窓の外の巨影を差す。煙がふわり揺れた。

「あの巨人が落ちたら、新しい遺骸街にじっくり腰を落ち着けて暮らすのもいい。案外、ニケにはそういう人生の方が似合ってるかもしれん」

 そして美味そうに煙草を一服する。またその話だ。わたしはじいちゃんとフレデリさんの会話から目をそらして、振る舞われた食事を楽しむことにした。

「遺骸掘り師の数も減りましたからね。とは言え、新しい住居を作ったり、食糧や資源素材を調達したり、大事な稼業ですよ」

 フレデリさんがフォローしてくれる。

「新しい遺骸街が出来れば、ニケに子どもが生まれて、その子がまた子どもを産んで、さらにその子が巨人の遺骸を探索に出るくらい成長するまで」

 じいちゃんは窓の外の巨人を眺めながら続ける。わたしの顔は見てくれない。

「ワシらは食うものにもエネルギーにも住む場所にも困らん。遺骸はまさに天の恵みだ」

「わたし、まだ子ども産む気はないな」

 わたしもじいちゃんみたいな遺骸掘り師になる。誰かのお嫁さんになるつもりはない。ひとつところに留まって暮らして、誰かと寄り添って生きて、子どもを産んで、育てて、そして死んでいく。そんなシンプルな人生にどんな意味があるのか。わたしの頭上には巨人がいる。さまざまな土地へ旅をしながら巨人を追わずして、惑星シグムントに生まれた意味があるのか。

「まあ、それもいいだろう」

 あまり腑に落ちていないような声でじいちゃんはつぶやいた。わたしはあえてそれ以上答えなかった。じいちゃんはわたしを遺骸掘り師にしたくはないのだ。

「いろんな生き方はある」

 わたしたちがいるのは遺骸街の上層階、フレデリさんの部屋。その窓の外にははるかなる巨人が見える。巨人を観察するにはまさに特等席になる。二十年以上前にじいちゃんが巨人の遺骸に掘った住処だ。

 じいちゃんは窓に向けて、巨人に煙草を勧めるかのように、しーっと細く煙を吐いた。

 巨人の全高は四万メートル以上ある。あまりに大き過ぎて正確に計測できていない。体重なんて計り知れない。わたしみたいなちっぽけな人間からすれば、四万メートルの巨体は一日経っても脚が動いているかどうかわからないくらい雄大な存在だ。

 巨人に生物学的名前はない。わたしたちはただ巨人と名付けて呼んでいる。

 人は生きる。それぞれの恒星系でそれぞれの人類が新たな生活圏を構築する。食べ物を収穫し、エネルギーを確保し、子孫を増やし、知識を伝承する。時に慎ましやかに。時に貪欲に。それはまさしく人間の生き様、そして人類の歴史だ。

 わたしたちシグムント星系人類は惑星シグムントの巨人の体内で生きて、そして体内で死ぬ。巨人の中に住居を、生活規模で言うならば一個の街を構築して暮らしている。それがシグムント星系人類の歴史だ。

 惑星シグムントの巨人の死体をわたしたちは遺骸と、そして遺骸に作った街を遺骸街と呼んだ。

 人の手で巨人の遺骸を掘り、血管のように坑道を張り巡らせ、巨人の肉体各部位を資材として活用し、臓器のように適材適所で人が生活する空間を築き上げる。

 巨人の遺骸は肥沃な大地そのものだ。それだけ巨人は大きく、偉大だ。腕に、脚に、尻尾に、腹部に、心臓部に。遺骸を解体しながら人が暮らす街を作る。それが遺骸掘り師なのだ。

「野生のシェヌーも巨人の恵み目当てで集まってきています。巨人が死ぬのは確かです。問題は、それが何時、何処に倒れるか、ですね」

 フレデリさんがこの遺骸街で獲れた巨人の肉を取り分けてくれた。それぞれの遺骸街によって巨人の肉の風味も味付けも変わり、新しい食感も味わえて美味しい。

 また煙霧が巻いて風が吹き下ろされた。びょおうびょおう。分厚い雲の灰色がゆらり波打って、どろり流れ落ちて、夕闇に巨人の身体の一部が露わになった。あれは巨人の胴体部だ。たぶん。

「人間も巨人もいつかは死ぬ。生まれた星は違えど同じ獣だ。そう変わらんさ」

 じいちゃんはやはり美味そうに煙草を喫む。わたしもローストされた肉の一欠片を戴く。巨人の住居で巨人の肉を食べる。海が遠いこの辺りでは一番のご馳走だ。

 じいちゃんは巨人の肉を頬張るわたしをにこやかに見つめて、窓の外の巨人へ目をやった。横を向いた壁のようなシルエットが夕闇の月に照らされている。ちょうど陽が沈む方向を見つめるように、巨人は横向きの歩き姿を見せてくれている。振り上げた一本の脚を踏み込む体勢で。

 巨人の肉体は人類のそれとはまるでかけ離れている。文字通り、異形の者だ。

 腕と思しきものには三つの関節があり、肩だと判断できる部位からだらりと垂れ下がっていて、あまり激しい動きは見せないが自由度はわりと高い。腕の先っぽには二対のぐるぐるが生えていて、手のひらのようなものがあるので、たぶんあのぐるぐるは指だ。たまにぐるぐるを伸ばして背中を搔いたりしている。背中を掻くと、周辺の肉塊と堆積した土壌、その土に根を張った原生林がぼろりと剥がれ落ちて、荒れ果てた大地に豊穣の恵みを降らす。水分をたっぷり含んだ肉と森は原生生物群の貴重な糧となる。

 胴体部は意外とひょろ長い。これと言って特徴がなく、山の岩肌や大樹の表皮のようにごつごつとした表面で空に向かって伸びているだけだ。皮膚にあたる部位に堆積物が溜まって、風に飛ばされた種子が根付いて成長して森になって巨人を部分的に覆っている。

 脚だと思われる移動に使われる部位は七本確認されている。人間との大きさが違い過ぎて、その動きは思いっきりスローに感じられる。七本の脚のうち実際に歩行のため接地しているのは六本。短くて太い六本の脚を順繰りに踏み出して歩いている。残りの一本の脚の用途は未だ不明。実は足じゃないかも説。バランスをとるようにいつもぶらりぶらりゆっくりと揺らしている。

 そして尻尾が一枚。一本と言うよりも一枚。引きずって、たまに宙に浮かばせて姿勢のバランスを整えている。引きずり過ぎて尻尾には土が堆積して、地表の森と同様の樹々が育っている。尻尾は引きずり森林だ。

 巨人はいつも若干前屈みの姿勢で、その丸みのある背中に大きな何かがひと盛りある。これが何だかさっぱりわからない。こんもりと大きく盛り上がった山脈を背負っているようなものだ。

 角らしきものが何本も生えた頭部のような出っ張りがあるが、普段は遠過ぎてかすみの向こうにあってよく見えない。わたしたちは巨人の顔に目や口っぽいものがあるのかどうか確認できていない。かろうじて角が数本突出しているとわかるシルエットを見ているに過ぎない。

 人類は巨人と出会って百年経つが、未だ生きた巨人と顔を付き合わせたことがないのだ。

「……うん?」

 不意に室内が少し暗くなった。フレデリさんが天井を見上げた。わたしもつられて上を見る。電灯は点灯している。

「電気ではないな。月が巨人に隠れたんだ」

 じいちゃんが窓の外を見ながら言った。ぽんと煙草の灰を落とし、じじっと音が立つほど吸う。

 窓を見やれば、さっきまで荒野を照らしていた月が黒い壁に吸い込まれるように消えていくのが見えた。じいちゃんの言う通り、明るい月が歩く巨人の向こう側に隠れたのだ。

 金環日食のように、横を向いた巨人の歩き姿がほのかに光る。六本の脚で一歩踏み出した姿の輪郭に沿って金色の光が走る。惑星シグムントを歩き回る巨人と人類と、同じ生き物であるのにこうまで違うものか。怖いくらい神々しく見えてしまう。何処へ歩いて行くのだろう。

 荒野に伸びる横を向いた巨人の影がぐるり巡ってこの遺骸街に差し掛かる。それほどまでに巨人は街の近くに歩いてきている。あの巨人は、すぐ側に横たわる巨人の遺骸があり、そこに人類が街を作って暮らしているのに気付いているのか。あるいは、目的もなく歩き回っていたら偶然遺骸のすぐ側にたどり着いただけで、あの巨大な生き物にそんな感傷的な感情はないのかもしれない。

 遺骸街は巨人の遺骸に穴を掘って街を作っている。なので肉の壁に遮られていて中はけっこう静かなものだ。それでも、窓の外を見ていると、外から色々な音が届き聞こえて来る。何だか騒がしい。

 びょおうびょおうと風の音。それに混じり、木片を擦り合わせるようなかすれた声が響いて来る。一つじゃない。何か、たくさんの音がざわめきだす。

「これは、家畜のシェヌーの鳴き声ですね」

 シェヌー。惑星シグムントでも数少ない人間に飼われた原生生物だ。窓から身を乗り出して見れば、牧場の方に明かりが走っている。誰か、騒ぎ立てるシェヌーの群れを制御しようとモーターサイクルを走らせているようだ。遠く、モーター音も響いている。

 ひゅうるひゅうる。巨人が巻き起こす風の音に混じって、甲高い歌声も聴こえてきた。モーターサイクルの駆動音とよく合う澄んだ歌声だ。

「うちの娘の歌ですよ。シェヌー牧場の管理を任せているんですよ」

 フレデリさんがどこか自慢げに言った。

「巨人の大きな姿を見るとシェヌーが興奮して騒ぐ。餌が降ってくるぞと鳴く。家畜も野生も変わりありません。ただの獣です。騒がしいけど、そのうち収まりますよ」

 雑音を締め出そうと窓枠に手をかける。と、フレデリさんは思い出したように付け加えた。

「この遺骸街もやはり例に漏れず若い娘が少ないんです。うちの娘も歳が近い友達がいないようでね。ニケ、君さえよかったら話し相手にでもなってくれないか。まだしばらくはこの街にいるんだろ?」

 じいちゃんの顔色をちらり覗く。何も言わなかったが、口元は微笑んでいるようだ。

「ええ、わたしでよければおしゃべり相手ぐらいいくらでも」

「おお、それはありがたい。今夜は騒ぐシェヌーの世話に追われるだろうから、明日にでも頼みますよ」

「はい。シェヌーの話も聞いてみたいです」

 巨人の影が近付くと肉と森が降ってくると知っているのか。シェヌーたちは歯軋りするような鳴き声で騒ぎ、シェヌーを追うモーター音とひゅうるひゅうると甲高い歌声はしばらく止まなかった。

「うちの娘はソアラっていうんだ。よろしく頼むよ、ニケ」

「はい」

 わたしは輪郭を月の明かりでほのかに光らせる巨人を眺めた。だいぶ遠くにいるはずなのに、月による影が街まで覆い被さっていた。意外と近くまで来ている。

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