死神の心臓

雪見

死神の心臓

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俺は死神だ。


いつも死期が近い人間らの魂を狩りに行っている。一人の人間につき、必ず7日間のうちに魂を狩る。万が一7日の期限を過ぎてしまったら…

その場合は俺自身が処されるから、絶対に任務は遂行させなければならない。


まあ、そうは言っても、俺はいつも対象と顔を合わせてすぐに魂を狩ることがほとんどだ。

そして、俺たちが狩った魂を天使たちが回収して、魂を天界へと導いてくれる。だから俺たち死神は本当に魂を狩るだけ。


今日もつまらない任務のお時間だ。




「おーい、死神。そろそろ仕事だぞ?」


しゃがんでいる俺の横から、そう話しかけてくるコイツは天使だ。天使のコイツとは同僚みたいなものだから、基本的には暇な時に喋ったりしている。


「はいはい、んじゃ、そろそろ行くかぁ」


俺は怠そうに立ち上がる。本音を言うならめんどくさい。だって、ただただ魂を狩るだけ。別に面白いヤツがいるわけでも、俺自身、人間に情があるわけでもないしな。


「お前は仕事早いし、すぐ終わりそうだな」


任務へ向かう準備をしている俺に天使が喋りかけてくる。


当然。大体なんで期限が7日間あるのか、さっぱり分からない。何をしろって言うんだよ、その7日間で。


「当たり前じゃん、別に魂狩るだけだし。すぐ終わる」

「えぇ〜もっと話せばいいのに、人間と。」


勿体ないとでも言うように天使は肩を竦める。


「悪いが俺はそんなことに興味はない。じゃ、行くわ」

「まあそうだろうね。おう、行ってきな。」


特に中身のない天使との会話を済ませ、俺はまた人間界へと降り立った。



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人間界は夜だったようだ。辺りはもう静まり返っていて、灯りもそんなにない。


「さ〜て、今回の任務対象は…」


俺は事前に与えられた情報に目を通す。今回は珍しく、若い人間のようだ。


「気の毒だねぇ、人間も」


死なんかに囚われてるなんて、絶対生きづらいだろうに。俺は対象が居る白い建物へ向かい、窓から侵入して室内へと足をつけた。

俺が入ってすぐに気配を察知したらしい対象は、白い衣服を翻して俺の方へ振り返る。俺は慣れないエタノールらしき匂いに眉を顰めた。


「おや、珍しい患者さん。」


その人間は振り返って少し微笑みを浮かべると、低くも高くもない落ち着いた声でそう言った。その人間の髪の毛は丁寧に切り揃えられていて、少し高い位置で一つに束ねられていた。

今までとは違う空気感に俺は眉を寄せる。


「いや、俺はどう見たってカンジャではないだろ。」


俺の姿はどう見たって絶対にこの世の者ではないと分かるだろうに。俺は少し掠れた低い声でそう返した。


「知ってますよ。それで、私に何か用ですか?」


微笑みを浮かべたまま首を傾げて、目の前の人間は俺を見つめる。

正直俺は疑っていた。


コイツ、本当に死期が近いのか?


「…お前の魂を狩りに来た」


俺の言葉を聞いて少し目を丸くしたかと思えば、すぐにまた元通りの微笑みを見せる。目の前の人間の微笑みに今度は俺が目を見開く番だった。


「お前…驚かねぇの」

「あぁ、いや驚きましたよ。でもなんか…もう死ぬのかって思って」


俺は浮かべていた言葉を見失った。俺自身、自分が何を言うつもりなのか…何が言いたかったのか…分からなくなった。こうやって俺が黙っている間にも、目の前の人間は調子を変えずに話す。


「でもちょっと待ってくださいね。さすがに患者さんの引き継ぎはしないと。私が居なくなったら困る人も居ますしね」


なんだ、コイツ。


今まで数え切れないほどの人間と顔を合わせ、出会った人間の数だけ魂を狩ってきた。それなのに、目の前にいるのは未だかつて出会ったことがない人間だ。


「…お前、何者だ」


単純な疑問だった。人外の俺を見ても声を上げず、魂を狩るという俺の言葉に動揺すら見せない。一体、目の前のコイツは何なのか。

再び俺を瞳に映した人間は目を細めてこう言った。


「ただの人間じゃないかしら」


ただその一言だけを俺に言って、何事も無かったかのように俺に背を向けて作業に戻った。




この時俺は初めて気づいた。

言葉が出てこないんじゃない。言いたいこと、聞きたいことが纏まらないんじゃない。

今まで俺は人間相手にここまで喋ってこなかった。だから、こういう時に何を言えばいいのか、俺は知らなかった。






どれくらいの時を刻んだのか。

俺の背にある窓から、少し薄く細い光が差し込んでくる。朝を迎えたらしい。


「あれ、もう朝?ああ、ごめんね。随分待たせちゃったね、死神さん。」


作業が終わったのか、人間は振り返る。そして、悩む様子すら見せずに俺に歩み寄ってくる。躊躇なく距離を詰める人間に、思わず俺は二歩後ろへ下がった。

俺が後退りしたのを見た人間は眉を下げて笑う。


「ふふ、あのね、君が後ろに下がったらダメでしょ。私の魂を持ってくんじゃないの?」


俺は掠れた声で答える。


「…俺が持っていくんじゃない。」

「え?そうなの?じゃあ君は私の魂を狩るだけか。私、そういう神話とかには詳しくないんだよね。」


そう言ってまた笑う。

違う。何かが違う。俺が今まで出会ってきた人間らは違かった。

俺の姿を見たら怖がって逃げる。魂を狩ると言ったら、ごめんなさいと泣く。許してくださいと俺に許しを乞う。時には泣き叫び、時には額を地につけて。


でも、コイツは何もしない。

俺にビビるわけでも、命乞いをするわけでも、助けを求めることすらしない。


「死神さん?大丈夫?調子悪いなら診てあげようか?」

「…いや、必要ない」


俺はただ立ち尽くす。そうするしかなかった。魂を狩るための鎌を持っているとは言え、俺にはどうするべきなのか分からなかった。


「それならいいけど。私の魂狩るんでしょ?一応引き継いだし、もう大丈夫だよ。」


目の前のコイツはそう言って、目の前にいる死神に命を明け渡そうとする。俺は咄嗟に背中を向けた。


「…いい。待ちすぎて疲れたから、一旦帰る。今夜また来るわ」


俺は窓から飛び降りるように外へ出た。

俺の背中の向こう側から「えっ!?」と驚きの声が聞こえる。その声を無視して俺は自分の在るべき世界へと帰った。



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天界から人間界を見下ろす。


「おーい、死神。神妙な顔してんね」


今日も天使が絡んできた。「任務終わったの?」という天使の問いかけに黙って首を振って答える。俺の返答にひどく驚いたらしい天使は声を上げる。


「え!?あの死神が!どんな人間だったの!?」


その問いかけに俺はハッとする。


そうだ、俺、アイツのこと何にも知らねぇ。誰なのか、何をしてるのか、何一つ知らない。


俺が黙っているのを見た天使は何かを悟ったのか、にんまりと笑う。


「へぇ〜死神がねぇ。でも、忠告しておくよ。7日間過ぎたらお前が死ぬんだからね。気をつけなよ、情が移りすぎないように。」


天使はそれだけを言い残して、「じゃあ仕事行くわ」と人間界へ颯爽と降りていった。


情が移りすぎないように、か。情ってなんだよ。俺は知らない。

俺の持ってる言葉では形容しがたいこの感覚を抱えたまま、俺も人間界のアイツの元へ降り立った。






今日もアイツが居るのは白い建物だった。


「あ、死神さん、魂狩りに来たの?」

「いや、俺それ以外しに来ることないし。」


ぶっきらぼうにそう答えてやると、目の前のコイツは「そうだよねぇ」と、また笑う。


「…なあ、お前なんて言うの」


俺は窓の縁に腰を下ろし、気になったことをそのまま聞いてみる。すると、目の前のコイツは俺の突然の問いかけに目を丸くしながら見つめてくる。

そんな驚くことかよ。


「びっくりした、ああ、私の名前だよね?私はね、美影だよ。」

「みかげ?何それ。」

「ええ?私に聞かないでよ。まあ、私の名前は美影。好きなように呼んでいいよ…って言っても、私はもうそろそろ死ぬんだけどね」


目の前のコイツ…美影は昨日の夜と何も変わらずに笑う。


「…お前、死ぬことに何とも思わねぇの」

美影は再び目を丸くする。

そんなに俺が質問するのは意外かよ。


「何とも思わないわけじゃないけど。でも、何か思ったところで何かできるわけでもないし。」

「…じゃあ、なんでお前そんなに落ち着いてんの。死ぬって言われてんのにさ。」

「あぁ…私が医者だからかなぁ。常日頃、人の死と向き合って来たからかも。」


人の死と向き合う…?


「なんだそれ。」

「えっ?あ、もしかして知らない?医者って言うのはね」


俺はこの時初めて知った。


美影はイシャというものらしい。傷を治し、人間の命を救う行為をしてきたと言う。そんな魔法のようなことができるのか。人間にそのような行為ができる者が居ることに驚いた。人外の俺たちにはあまり必要のない行為だから。


「ふふ、そっか。死神さんたちは傷とかすぐ治っちゃうんだもんね。じゃあ、あっちの世界では医者は要らないな〜」


端正な笑みを浮かべながら楽しそうに話す。

この二夜で俺は興味を引かれた。目の前の、美影という人間に。


「…なあ、もっと俺に教えてくれ」


美影は目をパチパチさせる。

今日だけで何度見ただろう、この表情。でも何故だか飽きは感じない。

驚いたかと思えばすぐに微笑みを浮かべ、綺麗な口を開く。


「いいよ、時間が許す限り教えてあげる」


美影の整った微笑みを月明かりが光照らした。



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天界から見る人間界はものすごく狭い。ぼーっと人間界を見下ろしていると、俺に話しかけてくる声が聞こえた。


「お前さぁ、いつまで通うつもりなの」

「あぁ?」

「人間。お前が任務を与えられてる人間だよ。もう4日経ったんだけど。」


もう4日経ったのか。

いや、されど4日…なのか?


俺は顔を合わせた日以来、4回ほど美影の元で夜を越した。

美影が教えてくれていることは人間界のごく一部だろうが、俺にとっては新鮮で面白い。そんなことを思って、美影がいる病院へ通って4日も経っていた。


「…任務はちゃんとやるよ」


俺はそう言い残して、天使に背を向けて歩き出す。後ろから天使が言葉を投げかけてくる。


「それならいい」


俺はその言葉に何とも言えない感覚を覚えた。

その感覚、美影は分かるだろうか。あとで美影に聞いてみようか。なんて考えながら、今日も俺は人間界にある美影のいる病院へと降りた。



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「おい、美影いるか」

「ん?あれ、早いね。」


何かを啜りながら俺の方へ視線を向ける。俺が食べたことがあるやつと似ている。


「何食ってんの」

「んー?あぁ、これは蕎麦。」

「そば?美味いの?」


俺は美影が座る机の横にある椅子へと腰を下ろした。


「うん、死神さんと食べたうどんとはまた違うけど。」

「へぇ〜変わったもん食うねぇ、人間は」


俺は少し笑いながら肩を竦める。その様子を見た美影は立ち上がって片付けをしながら笑う。


「その人間にすっかり慣れてるくせにねぇ、死神さんも」


今日は5日目。

今日を迎えるまで、美影にいろんなことを教えてもらった。人間界での生活、食べ物、習慣。それだけじゃなくて、美影のことや美影が過ごしてきた過去の話なんかも聞いた。

その代わりに俺もあっちでの生活について話したりもした。


「…なぁ、今日は何教えてくれんの」


俺は片付けをしている美影の背中に問いかける。俺よりも一回り…いや、二回りくらい小さな背中。髪の毛はいつもと何ら変わらず、ポニーテールだった。


「じゃあ何について知りたい?」

「ん〜…あ、手を繋いで歩いてる人間について」

「え?あぁ、恋人のこと?」


聞きなれない単語に俺は首を傾げる。コイビト…何だそれ。コイビトだと手を繋いで歩くのか。


「えっと、恋人って言うのはね…なんて言うんだろう。好きな人同士…って言うのかな。」

「すきな人同士?」

「そう。お互いに好意を持っている人同士のこと。」

「へぇ…じゃあ眷属みたいなものか。」

「けんぞく?あぁ、妻子とか親族を指すんだっけ。大体合ってるかも。」


人間界にも同じようなものがあるのか。今日はその話を聞かせてもらおう。美影が話す姿を見ながら、ふと考える。

あとどれくらい美影の話を聞けるだろう。

残り2日…か。

そう思った途端、俺の中に何とも言えない感覚が広がった。胸が締め付けられている感覚。

なんだこれ。こんな感覚…俺は知らない。


「死神さん?」

黙って俯いた俺を見た美影が、様子を伺うように見つめてくる。


「…分かんねぇ、なんだこれ。」


俺は途切れ途切れ伝えた。

なんで胸が苦しくなるんだ?どうしようもないほど、何か行動を起こしたい。

俺の言葉を聞いた美影は眉を下げて少し悲しそうに微笑む。

…あ、それは初めて見る顔だ。


「それはねぇ…不安なのかな」

「不安?」

「うん、怖いのかもしれないね。私の魂を狩るのが。思い違いだったらごめんだけど。」


怖い。恐い。


そうか、俺は美影の魂を狩るのが怖いのか。なぜだろう、腑に落ちた瞬間、何かが込み上げてきそうだ。


「ふふ、なんて顔してんの」


いつものように笑う美影は俺の頬へ手を伸ばす。躊躇う様子など微塵もない。

俺よりも体温が高い手が俺の頬へ触れる。温かい熱が美影の手から俺の肌へじんわりと伝わった。ドクドクと脈打つのが分かる。きっとこれは美影の鼓動だ。

俺は耐えきれなくなって立ち上がった。


「…悪い、今日はもう帰る」

「…そっか。気をつけてね」


美影の気遣いの言葉に頷き、何一つ言葉を言えないまま俺は天界へと帰った。







情が移りすぎないように。

その忠告を真面目に聞いてなかった。いや、分かっていなかったんだ、その言葉の真意を。

でも今、それを分かってしまいそうな自分がいる。

ダメだ。考えてはダメだ。本来ならこんな時間は存在しなかったはず。


「…死神」


その声にハッとして顔を上げる。


「お前、馬鹿なんじゃないの」


天使が何を言いたいのか、何となく分かってしまった。俺もそう思う。なんでこんなことを続けてるんだ、俺。

結局、征けども帰れども辿り着く先は変わらないのに。


「お前さ、死ぬつもりなの?」

「…や、別にそういうわけじゃない」

「じゃあどうすんの?」


どうするか。どうするのが良いのか、もはや分からない。分かるわけがない。今までこんなことなかったんだ、何百とこなしてきた任務の中で一つも。


「明日が7日目だからね。考えときなよ」


天使はそれだけを言い残し、去っていった。


期限が7日間ある意味は今でも分からない。でも、7日間も要らないと思っていた俺が、今では7日全てを使ってでも美影と過ごしたいと思っている。むしろ7日では足りないと思うほどに。

これがかつて美影が教えてくれた"好意"というやつなのだろう。俺は知らず知らずのうちに、美影に愛を持っていた。

気づかないうちに灯したものを俺は無意識に愛でていた。


俺の胸がまた痛くなる。

この痛みさえも愛おしいと、そう思える時が来るなら幸せなのだろうか。それとも、気づかなければよかったと思う時が来るのだろうか。

俺たちが共存できないことは初めから分かりきっていたことなのに、お前に手を伸ばしそうになる俺がいる。それを赦して欲しいと思う俺が、ずっと強く訴えてくる。

傍に居て欲しいと願ってしまう俺は、もう死神には成れていない。

"俺"は初めて抱いた愛情を棄てられない。


息が詰まる思いを抱えたまま、ぼんやりと人間界を見下ろす。天界に独り残された俺は何もできなかった。



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俺はただ目的もなく美影の元へ向かう。

いつもと変わらず、窓から室内へ入った。しかし室内に美影の姿が見当たらない。

俺が窓から入ってくるのを知ってる美影は、毎夜窓の鍵を開けておいてくれている。今夜も開いてるから、きっと俺が来ることを分かっているはず。

それでも、嫌な予感が俺の全身を駆け巡る。

どこにいるのか知らないはずなのに、俺の身体はあたかも知っているかのように駆け出していた。


屋上へ続く廊下を走って辿り着いた扉を開けると、案の定と言うのか、美影の後ろ姿があった。いつもなら美影の姿を確認して安心できるはずが、今日の俺は安心できなかった。

小さな美影の周りを囲うように遠く広がっている空が、闇にも見えるほど暗く、今にも美影を連れ去りそうに感じた。


「…美影!」


らしくもなく俺は声を上げて駆け寄る。俺の声に驚いた美影は目を丸くしながら、振り返って俺の方を見る。


「あれ、死神さん…早かったね」


俺の背後でバタンと大きな音が聞こえた。その音で屋上の扉が閉まったのが分かった。

なんて言えばいい?俺は美影に何を伝えたらいい?伝えたいのにどう伝えればいいのか、俺には分からなかった。


「美影、」

「どうしたの」


優しく微笑みながら、いつもと違って束ねられていない髪の毛がサラサラと夜風に靡く。

どういったら、お前に伝わるんだろうか。

どう話したら、お前は俺の気持ちを分かってくれるんだろうか。


「俺は…」


言葉も行動も、何もできないまま俺は立ち尽くす。目の前にいる美影が少し微笑んだのが分かった。とにかく何か言わなければと思い、俺は口を開く。


「…俺」

「死神さんさ、いろんな表情するようになったね。初めて会った時と見違えちゃう。」


俺の言葉を遮るように美影は微笑みながら言葉を紡ぐ。俺よりも言葉を操るのが上手い美影は、俺の一歩先に立って話を続ける。


「なんだか短い一週間だった。でも後悔は何もない。むしろ最高の経験だよ。ここまで付き合ってくれたから、私の魂をあげるよ、死神さん」


要らない。そんなの、俺は欲しくない。


俺は美影の肩を両手で掴む。美影は驚いたように俺を見上げる。


「要らねぇよ、お前の魂なんか…要らない。」

「…そっかぁ」


美影は困ったように笑う。

もう、抑えきれない。美影の肩を掴んだ俺の両手から伝わってくる熱。触れてしまえば最後だった。言い始めてしまったら最後だった。


「お前の魂なんか要らないから、差し出さなくていいから…ただ、ただ美影に居てほしいだけだ」


美影の瞳が大きく揺れたように見えた。初めて見る表情。それすらも愛おしいと、そう伝えたらなんて言うだろうか。


「俺は…好きなんだ」


美影の瞳は初めて動揺を見せた。俺も美影も、お互いに互いの瞳から目を逸らせない。

美影は泣きそうに眉を顰めると静かに言う。


「…無理だよ、死神さん」


分かってる。俺だって、美影だって、初めから分かっていた。俺たちは死を迎えるために出会ったと。

それでも惹かれてしまったのは何故なのか。

どうしてこうも愛おしく思えてしまうのか。


「分かってるよ、でも、俺は」

「死神さん。ありがとう。私は死神さんのその言葉だけで幸せだと思える。」


月明かりが創り出す影が美影の微笑みに落ちる。美影の表情は今までで一番美しい。綺麗で、今にも消えてしまいそうなほど繊細で儚く拙い。

上手く言葉が出てこない。締め付けられるたびに胸が痛い。

死神の俺はいくら傷を負ってもすぐに治る。闘って腕を失おうともすぐに元に戻る。

それでも、この痛みは消せない。


「み、美影、」


泣きそうになるのを堪えながら、俺は首を横に振る。


違うんだ。そうじゃない。俺は、俺はお前に生きていて欲しいんだ。本来ならお前の魂を奪うはずだった俺は、お前に生きていて欲しいと願う。本当なら許されることなどない俺の想い。


俺の気持ちを悟ったように美影は眉を下げて微笑む。それすらも綺麗で、何よりも美しくて。


「…死神さん、私」


そこまで言った美影の身体が力を失ったように傾く。俺は咄嗟に抱き留めた。美影を抱えながら、ゆっくりとその場に座り込む。


「美影!」

「…はは、もうちょっと…かな。」


美影の身体から体温が抜けていく。死神である俺でさえ、美影の身体が冷えていっていることに気づいた。

俺の腕の中に収まっている美影が少し顔を上げて、俺を視界に捉えながら微笑む。


「死神さん、温かいね。初めてかも…死神さんを温かいと思ったの。なんか、ちょっと嬉しい。」


いつの夜だったか、遠目で見ても俺よりも小さいと分かった美影の身体は、実際に抱きしめてみるともっと細くて脆いものに思えた。それでも大事にするように抱きしめる。


俺たちが触れ合っているところから、美影の鼓動がゆっくりになっていくのが分かる。心臓が止まったら死が訪れる。これも美影から教えてもらったことだ。


本当は、本当なら、俺の心臓をやりたい。

でも、あげることができない。俺には美影にあげれるものがない。

俺は初めから奪うことしかできなかった。

それなのに、俺は美影から与えられすぎた。俺が美影の魂を狩るには、美影の存在が大切になりすぎてしまった。

それに気づくのも、遅すぎたんだ。


「…死神さん、」

「なんだよ…」


小さく呟くような声で美影が話す。俺は一言一句聞き逃すことがないように、しっかりと耳を澄ます。


「ここの病院の通り道ね、桜並木なの。きっと春になったら満開になるよ。…見においでね」

「…美影が居ないのに俺が来る理由はない」

「そんなこと言わずにさ、おいでよ。早かったら1ヶ月後には見れるんじゃないかな…」

「つか、なんで桜なんだよ」


俺は美影の体温がこれ以上冬の寒空に攫われないよう、守るように抱きしめる。俺の前から消えないように強く。


「ふふ、知らないかな。フランス語での花言葉。」

「花言葉は知ってるけど、なんだよフランス語って。」

「"Nem'oubliez pas"」

「え?」


聞きなれない言語に俺は聞き返す。でも、美影は微笑むだけでもう言ってはくれなかった。


「ねえ、死神さん、本当に私の魂狩らないの?」

もう今の俺には出せる答えが一つしかなかった。それ以外の選択肢など、今の俺に取れるわけがない。


「無理だ…」

「そっかぁ」


優しく微笑みながら、かつての夜と同じように美影の手が俺の頬に触れる。でも、あの時と違って熱は伝わってこない。ただ夜風の温度が伝わってくる。それほどまで美影の手は冷えきっていた。


「死神さん、"私を忘れないでくださいね"」


とびきり綺麗に笑顔を見せた美影は、瞼が降りるその瞬間まで瞳に死神の姿の俺を映していた。


「忘れるわけねぇだろ、好きなんだから…」


でも、美影の瞳に俺が映ることはもうない。

感情など無いに等しかった俺は、哀しさから込み上げてくる涙と言うものを初めて実感した。

哀しくも苦しくもあるが、まだ俺の中には愛おしさも残っている。

美影を抱きしめる俺の周りを冷たい夜風が通り抜けていった。



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私は目を開けた。

目を開いてすぐに広がった世界はあまりに静かで、白く幻想的だった。その景色を見た瞬間、私は悟った。


ああ、死んでしまったのか。


としたら、ここは天界か何かだろうか。

私は辺りを見渡す。どっちに行けばいいのかも分からない。でも自然と不安はなかった。しかし、私の中に一つの心配が巣食っている。

死神さん、どうなったんだろう。


「やあ、君が例の」


突然背後から聞こえてくる声。私は驚いて後ろを振り返る。すると、そこには白い衣装を纏った人…ではなく、天使がいた。


「あなた…」

「うん、天使だよ。君、死神の任務対象だった人間だよね?」


死神。その言葉に私はハッとして天使の顔を見つめる。果たしてこんなことを聞いていいのか分からないけど、この天使さんなら何か知ってるかもしれないと思い、問いかけた。


「あの、死神さんってどうなったんですか」


私の質問に天使さんは目を丸くした。変なことを聞いてる自信はある。けれど、どうしても知りたかった。彼がどうなったのか。


「…その質問に答える前に、一つ聞いてもいいかな。君にとって死神って何?」

「私にとっての死神さん…」


私にとってどんな存在なんだろう。出会うことなどなかったはずの私たちだった。

人間の命を救う私と、人間の魂を奪う死神。

なぜ出会ったのか、そんなこと分かるわけもない。初めはただ私の魂を狩りに来ただけの死神だったはず。それなのに、いつの間にか私たちは何かを越えてしまった。


「質問に答えてくれたら、君の質問にも答えるよ」


愛想笑いをしながら天使さんは私にそう告げる。

私にとっての死神さんの存在を何と言えばいいのか、何と表すのが正解か。

とてもじゃないけど、私が知るありふれた言葉では表せない。でも、私の本心がきっと答えだ。


「…死神さんは、私の魂を自ら差し上げてもいいくらい、それくらい大切な方でした。今も生前も」


私の返答を聞いた天使さんは満足そうに微笑む。


「そうか。こんなことあるんだね。死神にも伝えてあげるよ。あと…天使という立場に命じて、一つ手助けをしてあげよう。本当なら規定違反なんだけど」

「え…?」

「ここに行くといい。きっと会えるはず。君は随分と徳を積んできたみたいだし、大丈夫だよ。」


そう言いながら天使さんは私に一つの紙切れを渡してくれた。ある場所が印されている。ここに向かえばいいのだろう。


「ありがとうございます、天使さん」

「いや、お礼なんていいよ。勝手にやってるだけだし。ほら、早く行った方がいいよ。アイツ、きっと僕が伝えたらすっ飛んでくから。」

「はい!」


微笑みながら見送ってくれる天使さんに頭を下げ、私はある場所を目指して歩みを進めた。







紙切れの印に従って進むと、ある花園に辿り着いた。そこには赤い花が咲き乱れている。


「赤い…アネモネ?」


確かこの花の花言葉は。


『君を愛す』


きっとこれは私の気持ちだろう。抱えるはずのなかった、初めて抱いた気持ち。

柔らかい風が私の結んでいない髪の毛を揺らす。

それにしても、ここは随分と暖かい。人間の世界は冬だったから、私の吐いた息が白くなるくらいには寒かったけど、ここはきっと春なんだろう。いや、季節という概念すら無いかもしれない。

私はしゃがみこんで、アネモネの花に触れる。なぜだか分からないけれど、酷く愛おしく思える。


「赤いアネモネって、春の花だったっけ」


私と死神さんがもし違う出会い方をしていたら。もしかしたら、お互いが苦しむことなく同じ道を隣で歩めたかもしれない。

そんな情けないタラレバに思いを馳せるほど、私という人間はなんて愚かなんだろうと思う。でも、そう思わずにはいられないくらいに私は"彼"を気に入ってしまっていたようだった。


突然少し強い春風が吹き、アネモネの花弁が舞い上がる。私は背後に気配を感じた。あの夜と同じ、心臓が大きく脈打つ感覚。

今なら分かる。

私はゆっくりと立ち上がり、振り返る。


「美影…」


案の定、そこに立っていたのは死神さんだった。しかし、私たちが出会った時とは違って、死神さんの服装は白いシャツで足を地に付けていた。

上がった息から彼がここまで走ってきたことが分かる。


「死神さん」


私がそう呼ぶと、死神さんは赤いアネモネの中をゆっくりと私の方へ歩いてきた。


「…お前、なんでここに」


信じられないと言わんばかりに死神さんは動揺を見せる。


「どうしても、あなたにもう一度会いたかった」


何も伝えきれないまま、私の命は終止符を打ってしまったから。でも、あなたが死神で在ったおかげで、こうしてもう一度会えている。


「何言ってんだよ…お前は天国に居るはずだろ」

「うん、でもきっと退屈だから」

「退屈って…」


私は彼を見上げる。目の前の彼は分かりやすいくらいに期待と動揺を瞳に映し出していた。


「…本当に変わったヤツだなぁ、お前は」


眉を下げて笑う死神さん。でも、溢れ出る嬉しさは隠せてない。私だって同じだ。私が人間として生きてる間は、彼が死神として動いている間は、決して結ばれないものだったから。

今、生きている人間でも、死神でもない私たちは何にも隔てられていない。


「今更知ったの?そうだよね、たかが7日間だもんね。これから知っていってもらわないと。」


私はそう言いながらも笑みを零す。「…おう」と小さく返事をした彼の手が私の髪の毛を撫でる。またフワリと春風が吹き上がる。


このまま身を委ねてしまってもいいかもしれない。二人漂って行き着く先が天国だろうが地獄だろうが、もう関係ない。


私の髪の毛を撫でる彼の手が止まる。そして、真剣な表情をした彼の瞳に私が映る。


「本当にいいのか。後悔しねぇ?」


それこそ愚問だよ。なぜ私が天国へと続く道を選ばずにこの場所に来たのか。それが答えだよ。


「するわけない。私はそれを望んでる」


彼の瞳に映る私は、やけに自信ありげに笑みを浮かべていた。この選択に後悔の隙など存在しない。


かつてあなたが感じた痛みを少しは和らげたい。私はもう医者じゃないけれど、きっとあなたの為なら何でもできる気がする。

私の返答に泣きそうに微笑みながら彼は頷く。その様子を見てから、私は一歩後ろへ下がる。そして、改めて真っ直ぐと彼を瞳に捉える。


「初めましてから始めよう。私は美影だよ、あなたの名前は?」

「美影な。俺は…ラモールって呼ばれてたけど、もう死神じゃないしな。」

「あ、ラモールって死神って意味なんだ」


それはそれで良い気もしてしまう。私は案外、死神の彼も気に入ってるらしい。たった7日間だったけれど、死神としての彼との関わりも私にとっては大切なものだから。


「…まあ、ライラって呼ばれることもある。みんな基本的に適当だし。」

「じゃあライラにしよう。よろしくね、ライラ」

「おう、よろしく美影」


初めて正面から向き合って握手を交わした。不思議と体温は感じなかった。きっと私とライラの体温は同じなんだろう。何故だかそれが愛おしいほどに心地よかった。



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美影の手は俺よりも小さい。それでも、多くの人間たちを救ってきた手だ。今はもうその力を失ってしまったけれど、美影はそれでも良いのだと言わんばかりに愛らしく微笑む。


二人で居られるなら、同じ時を刻むことが叶うなら。きっと俺たちはどこでだっていい。


俺は重ねた手を自分の方へ引き寄せ、美影を自分の腕の中に収める。


「なに、どうしたの」と驚いたように言う美影に、思わず笑みを浮かべてしまう。もう無理に離す必要は無いのだと、心の底から感じられる。

大事に、でももう二度と喪うことがないように強く抱きしめる。

楽しそうに笑う美影の両手が俺の背中に回る。

その感覚だけで、俺は幸せだと思える。あの時の美影の言葉の意味がやっと理解できる。


こんなにも愛おしく、大切な人。俺はもう死神ではないから、今度はきっと俺も美影に何かを与えられるはずだ。

願わくば、世界で誰よりも愛おしいこの人に溢れんばかりの幸福を捧げたいと思う。

腕の中にいる美影が小さく笑ってから、愛の言葉を紡ぐ。


「ライラ、愛してる」


たかだか7日間だったかもしれない。同じ曜日をあの世界で過ごすことはできなかったけれど、俺たちにとっては7日間以上の意味を持っていた。

言葉なんかではこの気持ちを表せない。それでも、言葉にしたいと思う。伝わって欲しい。ただその気持ちだけ。

俺は美影のグレーの瞳を見つめながら、美影の頬に触れる。

ここが天国だろうが地獄だろうが、夢だろうが現実だろうが、今この瞬間が幸せなことに違いはない。


「俺も、美影を愛してる」


嬉しそうに笑顔を見せた美影は再び俺の腕の中へと収まる。あの時は思わなかったけれど、今の美影の笑顔は少し幼く見えた。

俺の胸が締め付けられ、また少し痛む。しかしきっとこの痛みは愛情から来るものなのだと思いながら、空中を舞い上がるアネモネの花弁を見る。


『君を愛す』


今度こそ、俺は愛を伝えられるだろう。

俺の腕の中にいる美影を包み込むように抱きしめ直す。すると、美影の両手も離さないと言わんばかりに抱きしめ返される。

言葉よりも明確に伝わってくる美影の想いに、俺にはなかったはずの心臓が大きく脈打った気がした。



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死神の心臓 雪見 @yuki_mi25

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