騎士ヴェルナーの物語

ぶいさん

私の騎士、たった一人の騎士

 私は騎士ヴェルナー、王国に仕える騎士団の一人で39歳男性独身だ。ウェーブした金髪に緑の目が珍しがられたが、塩顔でおよそ美しいとは言えない。

 婚約者とはつい最近破局した。

 原因は私がこの世界で不治の病である、魔物による傷を負ったからだ。魔物の爪には毒があり、傷が塞がっても毒が残り一生痛みとは離れられないと言われている。


 この世界で魔物傷は、騎士や剣士などの戦闘員であればいつかは受けてしまう病だが、受けると生涯の不名誉とされ騎士を続けるのが社会的にも体力的にも困難になる。

 婚約者のエミリーは下位の貴族令嬢だったが、もちろんそんな病とは無縁の暮らしをしていた。婚約者が魔物傷持ちなのはプライドが許さなかったのだろう。そのうえ、私はオークキングとの戦闘で下腹部を鉄の棍棒で粉砕されていてその影響で子種がない。慢性的な腹部の痛みがある。

 隠していたわけではない。私は傷を負い、しばらく寝込んでいた。そのうち言うタイミングを逸したのだ。

 だが、エミリーは「そんな大事なことを隠していたなんて!」と憤慨した。


 そんな中、馬に傷口を蹴られた。人生の中で1・2を争う激痛で意識が一瞬飛んだ。私は厩舎の藁の上で目を覚まし、腫れ上がった傷と激痛を抱えて官舎へと戻った。数日は歩くのも立つのも座るのも横になるのも辛かった。



 ある日のこと、王命で騎士任命式に出席した。任命式では貴族令嬢たちが集まり「自分の騎士」を決めるのだ。これに選ばれたなら騎士にとってこの上ない名誉となる。

 令嬢は下位の没落貴族から貴族や王族まで様々だ。私は選ばれないと知りながらも全員出席の命令によって出席した。

 しかし私は選ばれた。私を選んだのは第5王女殿下のオリビア様21歳だった。黒髪に青い目の美しい王女殿下だった。


 オリビア様から呼ばれ、控室で待っていると、なんとオリビア様自ら私のいる控室にやってきた。私はすぐさま膝をつき、頭を下げた。


「ヴェルナー、顔を上げなさい。私の任命を負担に思っているのはわかる。だが私はお前でなくてはダメだったのだ。どうか気を楽にして聞いてほしい。ソファにおいで」


「そんな…恐れ多い、ありがたき御言葉…私のようなものを騎士に取り立ててくださって心から感謝しております、しかし…私は病にまみれ婚約破棄をされたばかりの身です。あなた様の意図を疑うわけではありませんが本当に私でよいのですか?」


 オリビア様が立ち上がられ、私の手を取り「ほら無理をしなくていい。立っていた方が楽なら立っていいし、座るにしても楽な姿勢を取りなさい。立つなら足を開きなさい。下腹部を傷めているんだろう? 無理をするな。大丈夫だから。深呼吸をして落ち着きなさいね」


「一つ大事なことを言っておく。私には王位継承権はない。だからそんなに気負わなくていい。騎士にとっては残念なことかもしれないが。私は継承権から外れているんだ。だからのんびり暮らしていきたい。」


 オリビア様が続けられる。


「ヴェルナー、お前のことは以前から聞いていた。優秀な騎士だと。しかしオークキングとの戦闘、それに不治の病である魔物傷を負ったことなどを鑑みて、お前が騎士として出世することはなくなっただろうとわかる。だからこそお前を私の騎士にしたかった。」


 オリビア様が一瞬目を伏せられ、それから私の目を見つめた。


「お前は忘れているだろうが、私は昔お前に会ったことがある。その時、お前は私に親切にしてくれた。だから私はお前に恩を返したい。私のもとで働いてほしい。私とともに生きてくれ。」


 私が返事をしようとした時、腹の音が返事をした。

 急に腹が下った。最悪のタイミングで凄まじい下痢を感じた。ブルブルと震え、今すぐトイレに行きたかった。ひどい腹痛と猛烈な便意を感じた。


 オリビア様はすぐに察せられ「大丈夫か? 厠に行っておいで」と言ってくれたが、実は一歩動いただけでも決壊しそうだった。私は尻を押さえ、ジリジリと後退りしてよちよち歩きで厠に向かった。


「申し訳ありません。心よりお詫びします」


「いいよ。急な心労をかけてしまったね。ここで待っているから行っておいで。無理に急がなくていいよ。大丈夫」


 二十分後、私はオリビア様と再び控室で対峙していた。

 オリビア様はお茶を飲んでいらして、私が部屋に入ると「おかえりヴェルナー」と微笑んでくださった。

 私の腹はなんとか治まった。



「これからお前には、王宮の敷地内にある私の屋敷で暮らしてもらう。いいだろうか? もし準備があるなら1日あげるからゆっくり準備をして、それから馬車を送るからそれに乗っておいでね」


「わかりました。準備をさせていただきます」


「待って、ヴェルナー。ハグをさせて」


 とんでもない言葉に私は身を固くした。

 オリビア様の体温を服越しに感じられた。オリビア様は私をハグしながら「これからよろしくね。ヴェルナー。私の騎士」とにこやかに言われた。



 風呂場で転び、患部を強打した。傷が悪化してしまったのだ。限界まで腫れ上がった患部の激痛で意識が朦朧としている。その状態でオリビア様の寄越した馬車に乗った。痛すぎて気が遠くなった。最悪の初日だ。


 館につくと、オリビア様がエントランスで待っておられた。

 オリビア様はとても上品でありながらシンプルな装いだった。白いブラウスに紺色のスカートにタイツ姿で、王女殿下とは思えぬ装いだ。

 オリビア様は私の姿を認めると、「ヴェルナー、いらっしゃい」と微笑まれた。


「ヴェルナー、こっちへ来て。」

 と嬉しそうに言った。

「ヴェルナー? なんだか疲れた顔をしてるわね。傷が痛むの?」


「なんでもありません」


「嘘つき。お前は私の騎士なのだから、意思の疎通に見栄や嘘は禁じます。こっちへおいで。お前の新しい部屋と私の部屋を見せます。歩けますか? 歩けないほど体の具合が悪いなら、今日はすぐに部屋で休んでもいいわ」


「大丈夫です。歩けます」


 ガシャン。足がもつれてつまずき、私は床に倒れ込んでいた。


「ヴェルナー! 大丈夫ですか。だから嘘はつくなと言ったのです! プライドよりも体調を優先なさい!」


 オリビア様は倒れ込んだ私に駆け寄って私を抱き起こしてくれた。



 案内された私の新しい部屋はベッドと文机と小さな本棚のある部屋だった。鎧を置く場所もあり、窓もある。私は鎧を脱ぎ、ベッドに座った。


 オリビア様は一部始終を見られており、「しっかりと休むのですよ。後で薬師を呼ぶから、診てもらいなさい。いいわね?」

 私は今度は素直に頷いた。


 オリビア様が私を抱きしめ、耳元で静かにおっしゃられた。


「お前の痛みは私の痛み。無理をせず楽に過ごしてほしい。私の部屋はすぐ隣です。何かあれば訪ねなさい。」



 小太りで汗ばんだ薬師の触診で私は絶叫して暴れた。とんでもなく乱暴な処置で痛すぎて我慢できなかったからだ。


 それからもうひとり薬師が来た。さっきのひどい経験で体がこわばったが、二人目の薬師はとても丁寧で、黒い髪を一つに結った細身の男性だった。丁寧な手つきで痛みはほとんどなく、即効性の痛み止めをくれた。それを飲んで5分ほどで痛みがスッと消え、鈍いわずかな痛みのみになった。


「この痛み止めを使えば日常が楽になるはずだ。できるだけ安静に過ごしなさい。騎士として働くのはその後でいい」


「感謝します」


 薬師はディミトリと名乗った。黒髪を一つに結い、清潔感があり、冷静で丁寧な物腰だった。


 乱暴な方の小太りな薬師はディミトリのことを一方的にライバル視しているそうで、ダンというらしい。もう二度と会いたくないと思った。


「ダンが君の部屋に入ったのを見た時、肝が冷えたよ。つらかったろう。ごめんよ」


「いえ、あなたのせいでは」



 夕方になって食事に呼ばれ、オリビア様と同席することになった。鎧を脱ぎ、剣を帯刀していない状態が少し心もとなかった。


「少し顔色がいいわね。薬師のおかげかしら。よかった。これから夕飯は一緒に摂りましょうね。」


「痛み止めが効いたようです。手配をしてくださりありがとうございました」


「いいのよ。お前が元気でないと困るから」


 食事が終わると、オリビア様が言った。


「今はまだ配属したばかりだからいいのだけど、体が落ちついたら私の部屋の見張りに立ってほしいの。お前は怪我が怪我だから体力が心配だわ。お前は今の状態で見張りに立てると思う? 正直に答えて頂戴」


「申し訳ありません。長時間同じ姿勢でいることが辛く、今はまだできそうにありません。魔物傷の痛みが特に酷く、立っていることが辛いのです」


「わかった。正直に答えてくれてありがとう。お前の身体のことは気にしなくていいわ。できるだけ私もサポートするつもりだから。一緒に頑張りましょうね。二週間は回復に努めること。お前は私のものだから大切にするわ。」


「必ずや回復し、お役に立ってみせます」


「必ずや回復し…なんて言わなくていいわ。お前の体がもしも回復できなくてもお前を見捨てるつもりはない。安心なさい。お前はお前であるだけで私には必要な存在です。お前は私にとってとても大切な騎士です。お前がどのような状態にあっても私の想いは変わりません。私は心底お前が好きなのよ」



 ある時、オリビア様の邸宅内を散策していると、第8王子ラーハ殿下(8歳の男児)がオリビア様の邸宅を訪れて、じゃれつくように私にとびついた。私の傷口に思い切り彼の指が刺さり、痛みとともに患部からどくどくと出血した。すぐにオリビア様が「やめなさい! 私の騎士に何をするのですか!」と追い払ってくれたが、子ども一人に騎士として堂々と振る舞えない自分に嫌気が差した。


「いいのよ。私こそごめんなさい。お前に怪我をさせてしまった。傷が治るまで出歩く時は私といなさい。」


「ハハ、オリビア様のほうが私の騎士のようですね」


「お前を守るためなら、騎士にもなりましょう」


 傷が完全に悪化してしまった。私は椅子に座ることも仰向けになることもできず、苦しい日々を送っている。二週間の休養で回復に努めると言ったものの、二週間でどこまで回復できるか気が重かった。人並み以下の騎士など、何の意味があろうか。子ども一人に負ける体力の乏しい騎士など。



 私はふと昔を思い出した。オリビア様の7歳の誕生日パーティーに騎士団で出席したときのことだ。オリビア様はバルコニーから身を乗り出し、枝についた樹の実を取ろうとしていて、そしてバルコニーから落ちたのだ。


 私はそこに居合わせとっさに彼女の服を背後から掴み、彼女を助けた。それから樹の実を取ってやり彼女に差し出した。

 幼き彼女は言った「お前、私の騎士になってよ」

 私は言った「あなたが淑女になられたらそのとき任命してください。私はその時老人になっているかもしれませんが、私で良ければお仕えしますよ」


 なぜ忘れていたのだろう。こんな大事なことを。



「ヴェルナー、起きていますか?」


 早朝のことだ。オリビア様が私の部屋を訪ねてこられた。私はすぐに起き上がり身を正した。


「どうしましたか?」


「庭に出たいの。お前は歩けそう? お前が無理なら無理強いはしないわ」


「庭に出る程度なら大丈夫です。お供いたします」


 外は霧がかっていて、肌寒かった。オリビア様は白い石のベンチに座って庭を眺めていた。私はすぐ隣で立っている。


「なんだか気持ちがざわざわするの。落ち着きたいのだけれど、うまく行かないわね。ヴェルナー、ここへ来て私の背中を擦ってくれる?」


 私は跪き彼女の背中をそっと撫でた。するとオリビア様は私と目を合わせて私の頬に手を這わせ「お前は長生きして、ずっと私といてね」と言った。


 とても悲しそうに見えた。




 ある日のこと、オリビア様が私の部屋にやってきて人払いをした。

オリビア様は私をベッドに押し倒した。私は彼女を傷つけないようにそっと抱きとめてベッドに押し倒された。


「抵抗しないで、すぐに済むから」


 オリビア様は私の耳に木の枝(後に魔法の杖とわかる)を差し込み魔法をかけた。木の棒が差し込まれた時、異物感と耳の穴が無理やり広がる痛みで腹の奥と鼻の奥がひくついた。

 だがそれでも無抵抗でいた。3分ほどで耳から木の枝は取り除かれた。耳の穴と鼻の奥がジンジンと熱い。


「どう?」


「どう? とは…?」


 ふと気づく。魔物傷の痛みがない。治療の際の軽い痛みはあるものの、魔物傷の痛みが一切ないことに気づいた。


「痛みがありません…これは一体…?」


 オリビア様は私に勢いよく抱きつき言った。


「良かった! 効いたのね! ああヴェルナー、私がお前の傷を治したのよ」


「しかし、魔物につけられた傷は不治の病では…?」


「お前にしか使わないわ。私の魔法は愛する人にしか使えないの。お前が息災であることを祈るわ。お前に二度と苦痛が訪れないことを祈っている。これが治ったのならそっちの方も試してみましょう。私に身を委ねてくれるわよね?」


 私は無抵抗で無防備でオリビア様の前で横たわっていた。

 オリビア様は私の体に杖をそっと当て、呪文を呟いた。温かな金色の光がキラキラと輝き、下腹部に暖かいものが流れ込んでくるのを感じた。腫れが引き、僅かな痛みを除いて長年苦しんだ重苦しい激痛がスッと引いた。


 オリビア様の「愛する人にしか効かない魔法」のお陰で私は騎士としての自分を取り戻した。


 体の痛みが大幅に激減したことで、私は見張りに立てるようになった。そのうえ、オリビア様の護衛としてどこへでも同行できる体力を得た。オリビア様は「お前を長年愛していた甲斐があったわ」と笑った。


「そんなに思い詰めなくてもいいわ。お前が私のそばで生き続けてくれたらそれでいいわ。私の頼みを一つだけ聞いてくれる?」


「もちろんです。なんでも仰ってください」


「私を王宮から連れ出して」


「は? どういう…ことでしょうか」


「お前と城の外で暮らしたいって意味よ」


「王宮から出たいのですか? 外に拠点を構える?」


「もう! 鈍いわね。お前の妻になりたいという意味よ、バカね! ヴェルナー。お前と任命式で再会できるのを14年も待ったのよ。私のものになってもらうわ!」




 ある時、ドラゴン退治に行くことになった。オリビア様は魔法使いとして、私は護衛騎士として。ドラゴンを前にしたとき私はとんでもないことになってしまったと少しだけ後悔した。

 しかしオリビア様は果敢にそして冷静にドラゴンと戦った。私はオリビア様に群がる雑魚を片付け、彼女をサポートする役に務めた。


 だが、私はドラゴンのひと噛みであっけなく右腕を失った。


 オリビア様が悲鳴を上げ、「私のヴェルナーになんてことを!」と異国語で叫ばれたあと、ドラゴンに向かって極大魔法を投げつけ、周囲は焼け野原となりドラゴンは動かなくなった。


 オリビア様は動揺していらっしゃるのか異国語でなにか叫んでいた。私にも異国語で話しかけ続けていた。


 私は残った左腕でオリビア様の涙を拭い「大丈夫、大丈夫だオリビア…」と言った。

 

「私の許可なく死ぬなんて許さない! ヴェルナー! 死なないで! 私を置いていくな! 私を一人にするな…! ヴェルナー!」


「いつも心は、傍に、」


「ヴェルナー? ダメ、ダメよ! 死んじゃダメ! ヴェル、ナ―、…! …!! …!」


 それが私の最後の記憶だ。

 私は意識を手放し、それからずっとずっと長いこと暗闇の中にいる。暗闇は終わらない。死はこんなにもなにもないものだとは思わなかった。私は死んでもなお思考することができ、暗闇に閉ざされた場所で体もなく意識だけがふわふわと漂っていた。


 だが、それだけだ。幽霊になってオリビア様に会いに行くことも叶わず、ただ暗闇で永遠の時間を過ごしている。死は終わりではない。死は永遠に続く牢獄なのだろう。

 私は深い後悔の中にいた。

 オリビア様を残して逝ってしまったこと、オリビア様の許可なく死んでしまったこと。

 オリビア様のことを考え続けていた。そこに終わりはなく、死は救済ではないと知った。

 私はただ祈る。

 オリビア様が幸せでありますように。

 


 私はヴェルナー。オリビア様の騎士、たった一人の騎士。

 暗闇の中でじっと待っている。

 私はじっと待っている。



 私はヴェルナー。

 私は騎士だ。



 私はヴェルナー。

 オリビア様に愛された唯一の騎士だ。

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騎士ヴェルナーの物語 ぶいさん @buichi

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