第18話 黒煙は語る、火種の名を


 秋の終わり――冬の足音が聞こえ始めたある日、王都の外れでは、人知れず不穏な炎が上がった。


 それは、アリアの訪問を受けた豊作の地・エイリス領から、アリア未訪のコルナス領へと送られる食糧を載せた荷馬車の一部が、突如何者かに襲撃されたという知らせだった。


 燃え上がる帆布。黒煙。馬の悲鳴。


「火矢です! 護衛隊、応戦を!」


 後方を守っていた騎士が叫んだが、敵は姿を現すと同時に火矢を放ち、抵抗が始まる前にさっと森の奥へと消えていった。明らかに放火だけを目的とした奇襲だった。


 幸い、先頭の五台は無事に進路を変え、目的地へ向かった。しかし、後方にいた二台は黒焦げとなり、中の作物もろとも灰になってしまった。


* * *


 王宮では、報せを受けた政務室が緊張に包まれていた。


「……火矢、というのは偶然では済まされないな」


 ユリウスが絞り出すように言ったとき、ラトバルは手元の地図に視線を落とした。


「襲撃地点はエイリス領からコルナス領に入る直前、ちょうど視界が狭まり、隊列が間延びする箇所……地形と風向きに詳しい者の計画的行動である可能性が高いですな」


 騎士団長が頷く。


「実は、事件の数日前、周辺の森に不審者の目撃情報がありました。地元の猟師によれば、見慣れぬ装束で、狩りの素振りもなく、夜に焚き火をしていたと」


「監視か……いや、偵察だな」


 ユリウスはすぐに決断を下す。


「残された荷馬車が五台。幸い、燃えた作物も替えが利かないわけではない。問題は……それを“誰が”やったか」


 ラトバルが静かに地図の端を指で押さえる。


「報せを受けた民の一部には、“王太子妃が狙われた”という噂も流れ始めているようです。“民の連帯”を象徴とする存在に対する襲撃。――狙いは、心理的な分断ですな」


「不安を煽って疑心を生む。それが真の目的なら……許さない。アリアが築いたものを、憎しみの炎で壊させてなるものか」


 静かに立ち上がったユリウスの声に、政務官たちは一斉に背筋を伸ばした。


「民の連帯への腹いせに、作物そのものを標的にしてきた……これは、“感謝”と“信頼”に対する宣戦布告だ」


「恐れながら、アリア様の次の視察先であるノヴァル領も危険が予想されます」


 ラトバル宰相が深く頷く。


「荷馬車だけでは終わらぬでしょうな。アリア殿下ご自身が狙われる恐れもあります」


 会議の末、急遽ノヴァル領には護衛騎士団を先行して送り込み、街道の見回りと村の安全確認を徹底させることが決まった。


 本当はユリウス自身が同行したい。すぐにでもアリアのもとへ駆けつけたい。しかし、今は王都に残り、政治の要として立たねばならない。


「……あの人は、大丈夫だ。護衛を強化して細心の布陣で守りを固めよう」


 拳を握ったまま、その言葉に自らを納得させるように呟く。


「……だが次に同じことが起きれば、“敵”に次の手を打たせる理由を与えることになる。だからこそ、ここで食い止める。――必ず、だ」


 ユリウスの声には、静かな決意が滲んでいた。


* * *


 一方そのころ、王都のはずれ、ダラル侯爵家の離れ屋敷。


 ミレーネ・ヴァレリアは、薄闇の中で一人、報告を受けていた。


「……しっかり燃えた?」


「ええ。二台だけでしたが、しっかりと」


 報告に頷き、ミレーネは椅子にもたれたまま窓の外を眺めた。


「荷が焼け、少し騒ぎになったところで誰が本気にするのかしら。きっと“事故”として処理される……ええ、それで構わないのよ」


 彼女の指先が、花瓶に活けられた花弁を一枚ずつちぎる。


「アリアは“希望”として見られている。けれど、希望なんて……少し濁ればすぐに失望へと転がる。

 あの子が持っている“加護”すら、信じる者の心が揺れれば、一瞬で崩れ去るのよ」


 紅い夕陽が射し込む室内。壁に揺れる灯火の影が、まるで彼女の狂気を映し出すようだった。


 指先に絡めとった花弁を、ぽとりと絨毯に落とす。その姿は、まるで無垢なものを故意に踏みつけることに快楽を見出す者のようだった。


「もっと壊してみたくて、うずうずするわ――」


 唇をつり上げるその顔に、かつての令嬢然とした優雅さは微塵もなかった。


「“祝福された姫”が、絶望に沈んでいくさまを……わたしはこの目で見たいのよ。

 次は……本命。彼女自身を、直接揺らしてみましょうか」


 その声に、傍らにいたダラル侯爵は目を見開いた。


「ミレーネ様……それは、あまりにも危険です」


「危険ですって? このままアリアが王太子妃になれば、“私”の未来こそ消えてしまうのよ。ならば、揺らぐべきはあちら側。わたくしは、ただ証明したいだけ」


「何を……?」


 微笑むミレーネの指先が、そっと金の指輪を回していた。


* * *


 翌朝――。


 アリアは予定通り、ノヴァル領へ向かっていた。

 王都の北に位置するこの地は、雪の到来が早く、道路も既に一部凍り始めている。馬車には防寒用の魔道具も搭載され、同行するのは信頼のおける護衛騎士たちと補佐役の使者一名。


「予定通りで進めそうですね。……天候がもってくれるといいのですが」


「大丈夫よ。無理はしないように進めてくださいね」


 アリアは微笑みながら答えたが、その表情はどこか引き締まっていた。


(もう、荷馬車が襲われたって聞いてしまったからには……警戒しない方が不自然だもの)


 その時だった。


「前方に、倒木! 進路が塞がれています!」


 御者の叫びに、馬車が急停車した。


 瞬間、森の奥から矢が放たれた。騎士たちがすぐに前に立ちはだかり、剣を抜く。


「アリア様、伏せてください!」


 アリアは素早く身をかがめ、懐から小さな護符を取り出す。加護の力を込めた特別なものだ。


(この光で……誰も傷つけたくない。ただ、止めるだけでいい)


 護符が淡く光り、敵の一人を弾き飛ばすような風が巻き起こる。

 その異様な光景に、襲撃者たちは戸惑い、一瞬ひるんだ。


 混乱を見計らって騎士団が攻め入り、数人が逃げ出したが追手により全員が取り押さえられた。


「お前たち、何者だ!」


 捕縛された一人は苦々しく唸りながら、歯を食いしばった。


「……俺たちは……知らない。加護がまやかしだと……証明してやれと雇われただけだ……」


「――誰に命じられた!」


 しかし、男はそれ以上口を開かず、意識を失った。


* * *


 アリアは無事だった。

 ノヴァル領では彼女の訪問を歓迎し、包帯を巻いた護衛たちとともに、暖かな食事と宿を用意してくれていた。


「ありがとう、ございます……でも……」


 彼女は一人、焚き火の前でそっと呟いた。


(誰かが、あんな手段で私を止めようとしてる。

 けれど、それは――)


 自分が恐れていたのは、力ではなかった。人の心が、憎しみに染まること。


 けれど、同じように誰かが「守ろう」としてくれたことが、何よりの希望だった。

 怪我をした騎士はアリアの癒しの加護により元の怪我のない状態に戻され、少しの休息の後また警護に復帰した。


 炎の影に、もう一つの炎が灯る。それは、試練を越えてなお燃える意志の炎。


 王太子妃、そしていずれ王妃として歩むその道は、やすらぎだけでなく、信念と共に歩むべきものなのだと、アリアは静かに噛みしめていた。


* * *


 翌朝。王都に戻った護衛隊の一部は、捕縛された襲撃者を王宮の地下牢に移送し、尋問を始めていた。


「……で、誰の指図で動いた?」


 長時間に渡る騎士団副長の鋭い問いに、黙り込んでいた男が唇を噛みしめながらも言葉を吐き始めた。


「……仕事だ。ただの“報酬付きの運び仕事”だった。俺たちに依頼してきたのは……ある子爵家の連中だ」


 騎士団が突き止めたのは、西部で細々と領地を治める「ベルネイル子爵家」。

 特筆すべきは、ベルネイル子爵家が数年来、ダラル侯爵家の援助を受けているという事実だった。


「やはり――ダラル侯爵に連なる筋か……」


 政務室では、ラトバル宰相とユリウスが新たな報告書を前に重い沈黙に沈んでいた。


「ミレーネ嬢が直接関与した証拠は出てきませんが……少なくとも、侯爵家の影が背後にあることは明白です」


 ラトバルの表情は険しい。


「民を襲わせたこの件、黙って見過ごすわけにはまいりませんな。あの荷馬車には、王太子妃の加護によって救われた作物が積まれていた。これは王政そのものへの挑発でもあります」


 ユリウスは、拳を握ったまま目を伏せる。


(……ミレーネ。なぜ、ここまで――)


 そのとき、ラトバルが付け加えた。


「なお、この子爵家には最近、大口の資金提供がありました。送金主の名義には“侯爵家によるミレーネ王太子妃の婚約準備費”という記載があります」


「……!」


 その一言が、ミレーネと一連の事件を繋げる“状況証拠”となった。


「王太子妃の座を狙うという噂が事実であれば――これらは、単なる偶然ではすまされない」


 ラトバルの瞳が冷たく光る。


 ユリウスは深く息を吐き、静かに立ち上がった。

 この手で守ると誓った未来が、誰かの執着で汚されることは許さない。

 遠くノヴァルの空に思いを馳せながら、彼は静かに呟いた。


「……すべて、終わらせる。そのためにも、真実を――」

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