屈服

 一陣の風が二人の頬を撫でた瞬間、セラフィーネは飛び出した。

 風ではなく、自分の鼓動が皮膚を揺らしたようにさえ感じる。

 踏み出した一歩は、まるで地を滑るように無駄がなかった。

 それは戦士としての本能ではなく、この一太刀に自らの過去と想いを乗せた、覚悟の一撃だった。


 バージルもすぐに動く。

 構えた剣を斜めに立て、迫る刃を正面から迎えるように足を踏み込んだ。

 金属の音が、火花と共に夜空を裂く。


 初撃。交錯する一撃は拮抗し、両者ともに動きを止めた。

 両者の腕がわずかに腕が震えた。

 セラフィーネのそれは、疲労でも痛みのせいでもない。

 ――感情の震え。

 目の前の男に、自分のすべてを曝け出している。

 戦士として、女として、ひとりの人間として。

 その喜びだった。


 一方で、バージルの震えは、驚きによるものだった。

 斬撃の重さが違う。気迫の深さが違う。

 模擬戦のときには感じなかった、魂ごとぶつけてくるような力。

 それはただの攻撃ではない。「私を見て」と無言で叫ぶような想いの波動。


(……これが、セラフィーネさんの本気)


 戦っているというのに、バージルの胸が妙に熱くなる。

 剣を通じて、彼女の心が触れてくる。

 痛みもある、傷もある、それでも尚、踏み出してきた彼女の想いが。

 

 彼はその一撃を押し返す。

 次の瞬間、斬撃と斬撃が重なり合い、鋭い金属音が響き渡る。

 打ち合いは止まらない。

 まるで互いの迷いを削ぎ落とすように、剣と剣がぶつかり合う。

 一振りごとに、セラフィーネは軽くなっていく気がした。

 背負っていた呪いが、徐々に剥がれ落ちていくようだった。

 ふと、セラフィーネは気付いた。


(私が……笑っている?)

 

 戦いのさなか、血と汗にまみれながら、それでも笑っているのだ。

 相手を試すときの、挑発的な笑いではない。

 心から相手を知り、自分を伝えようとしている喜びの笑い。

 

 バージルもまた、それを感じ取っていた。

 彼の剣が、鋭さよりも優しさを帯びていく。

 殺し合いではない。確かめ合い。

 二人の刃が交わり、火花を散らすたびに、沈黙していた周囲の空気が次第に熱を帯びる。

 見守っていたリーネットが、そっと両手を胸元に当てた。

 言葉にならない何かが、あの場に満ちていた。

 

 しかし、これは殺し合いでなくとも、本気の戦いではあった。

 互いの視線が絡み合い、空気が震える。

 セラフィーネの中で、はっきりと固まっていた。

 過去にすがることも、価値観に縋ることも、終わりにする。


(――この一撃に、すべてを込める。)


 地を蹴った。

 脚に伝わる痛みが、むしろ加速の合図になった。

 風が唸り、剣が軋む。バージルの瞳が、真正面からそれを受け止めた。

 セラフィーネは剣を振り下ろす。

 バージルの大剣が受け止めようとするが、彼女は直前で剣の軌道を変え、横薙ぎ払う。

 予期しない攻撃に、ギリギリでバージルは反応した。大剣での咄嗟のガード。

 しかし、こうと決めた攻撃と、瞬時の判断の防御では、前者の方が明らかに力に優っている。

 あまりに重い斬撃。それは剣だけでなく、彼の全身を吹き飛ばすほどだった。


「っ……く!」


 バージルの身体が、数メートル跳ね飛ばされる。

 背中から転がり、最後に地面へと仰向けに倒れ込んだ。

 土煙が舞い上がる。

 夜の静けさが戻る中、その場に立つセラフィーネの肩が上下していた。

 剣を下ろし、足元に突き立てると、彼女はそっと口を開いた。


「……終わりだ。私の、勝ち――」


 だが、言葉はそこで途切れた。

 セラフィーネは驚きに目を見開く。

 倒れたはずのバージルが、ゆっくりと起き上がるのを見たからだ。

 ゆるやかに立ち上がるその動きに、無理はない。

 あれだけの衝撃を受けたのだから、普通ならしばらく動けないはずだ。骨だって、折れているかもしれない。

 それでも、バージルは身体を起こし、そして――再び構えを取った。


「……良い一撃ですけど、まだ終わってませんよ」


 その一言に、セラフィーネの喉が鳴った。

 驚き、動揺、そして……どこかで期待していた感情。


「――本当に、規格外だな、お前は」


 言葉は呆れのようでいて、頬がわずかに緩んでいた。

 セラフィーネは、肩を上下させながら、剣を持ち直す。

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