牙3


「バージルさん、無事ですよね?」

「もちろん、リーネットさんも大丈夫ですか?」


 彼女は頷く。

 俺から見ても、傷一つない。


「ありがとうございます。助かりました」

「い、いえ、バージルさんが戦っていてくださったから、偶然です。……危険なのも理解していたつもりです」


 確かに、一歩間違えれば彼女の命が失われていたかもしれない。


「でも、頼もしかったですよ。これが、お互いに守り合うってことですよね」


 そう言うと、リーネットは顔を赤くして目を逸らす。


「で、でも、もうここに留まるのは危険だと思います。場所も割れてしまっていることですし、逃げましょう!」

「そう……ですね」


 灰の牙の規模は相当なものらしいし、これで終わりとは思えない。


「ただ……そうなると、バージルさん一人の方が早く走れます。どうか、ここは私のことを……」


 彼女の声が震える。

 さっきまでの勇気が、今にも崩れそうだった。


「――いやいや、さっきも言ったじゃないですか。リーネットさんを置いていくことは、絶対にありません」


「でもっ……!」


 リーネットが言いかけたその瞬間、俺は迷いなく動いた。


「だから、こうします」


 軽く一歩踏み出し、彼女の身体を小脇に抱える。

 抵抗される前に、しっかりと腕に収めた。


「えっ……?」


 リーネットが呆然としたまま固まる。

 俺はそのまま、床に散らばる瓦礫をまたぎながら歩き出す。


「リーネットさん、軽いですね。楽勝です」

「ちょ、ちょっと! え、冗談じゃなかったんですか!? お、降ろしてください、せめて心の準備が――!」

「もう準備万端でしょう。行きます!」

「い、いやぁっ! バージルさんの手が、背中にっ! ちょ、ちょっとその位置は――!」


 顔を真っ赤にしてじたばたと暴れるリーネットを抱えたまま、俺は倉庫から駆け出した。



 そうして街中を疾走しているが、やはり土地勘が全くない。

 ロザリアは街という分類だが、かなりの広さ。

 こちらにきて一週間くらいの――ほとんどの時間を倉庫で過ごしている俺にわかるわけがなかった。

 どうしたものか……そう考えていると、リーネットが声を上げる。


「バージルさん! どこへ行きたいんですか?」


 いつもよりもボリュームが大きい。

 こんな体勢になることがないから、どのくらいの声で話せばいいのか分からないのだ。


「とりあえず、セラフィーネさんと合流したいです! 頭数は多い方がいいかなって!」

「わかりました! それじゃあ――ここを左に曲がってください!」

「こんな細い場所を通するんですか!?」

「近道です! いえ、抜け道です!」


 リーネットの指示に従って曲がると、石造りの建物の隙間に、子供一人通れるかどうかという路地が開いていた。

 一瞬たじろいだが、彼女の言葉を信じて飛び込む。


「そのまま真っ直ぐです! 突き当たりで段差がありますから気をつけて!」


「うおおっ、落とし穴!?」

「違います! 地形が沈んでるだけです!」


 暗がりの中で、リーネットは息を弾ませながらも、記憶を頼りに確信ある指示を飛ばしてくれる。

 逃げているのに、なぜか俺の足取りは軽くなる。


(……リーネットさんは自信なさそうだったけど、都市案内人ってすごいんだな)


「次は左です! 中庭の水路を飛び越えて、外壁の通路に出ましょう!」


 やがて視界が開け、夜の街灯が差し込んでくる。

 前方には、火の手と怒号が入り交じる広場が見え始めた。

 そこに――見慣れた銀色の剣閃と、血の匂いがあった。


「セラフィーネさん……!」

「合流できました! でも、様子が……」


 俺の目に映っていたのは、明らかに劣勢のセラフィーネの姿だった。

 身体のあちこちから血を流し、足が沼のようなものにとられている。

 相手は悠然と立ち、火球を背に浮かべていた。

 息を詰める間もない。

 俺はリーネットをそっと下ろし、背負っていた大剣の柄を力強く握る。


「――リーネットさん、行ってきます!」


 両脚に力を込め、石畳を蹴る。

 夜風を裂き、まっすぐに剣を構えて――走った。

 

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