第8話

第十階層:白熊の咆哮と死線の淵


──進むしかなかった。


ポイズンスネイクとの死闘を終えた五人の冒険者たちは、もはや引き返すという選択肢を持っていなかった。迷宮が変質していると理解しながらも、それを確かめずにはいられなかったのだ。


そして、第十階層の扉が開く。



__________


草原は──続いていなかった。


「……雪?」


遥が呟いた。


眼前には白銀の大地が広がっていた。冷気は鋭く肌を切り裂き、吐く息が白く濁る。空は鉛色に沈み、風は音もなく吹き抜けていた。


草原があるエリアと草原がないエリアと分かられていることがすぐに分かる。


"異常"だと。


「……寒すぎる。魔力か?」


美月が魔力の流れを探る。確かに、この階層全体が冷気の魔法で満たされていた。自然の寒さではない。“意図された環境”だった。


「行こう。何が来ても……全力で対応する」


智也の声に、誰もが静かに頷いた。


だが、その心に宿るのは不安ばかりだった。


──その時、地面に赤黒いものが転がっているのを、涼が見つけた。


「……これって……」


「人、の……遺体……?」


近づけば、それが冒険者の成れの果てであることは明らかだった。剣を持つ手は凍りつき、顔は絶望のまま凍結している。その周囲には、複数の血痕と割れた魔道具の破片。


「こんなところに……他にも、いたのか……?」


震える声で遥が呟く。


だが、それが終わりではなかった。さらに進んだ先には、同様の死体が三体、いや、四体──凍てついた草原に、無残に転がっていた。


「俺たち以外にも……この階層に来た奴らがいた。でも、全滅……?」


「ちょっと待て、あれを見ろ……!」


光貴が指差したその先──凍土の中央、三つの影が立っていた。


巨大な白い毛並み、熊のような輪郭、だが背筋を伸ばし、人間のように二足で立つ異形の存在。


──ホワイトベア。三体。


その周囲に転がる冒険者の遺体。その意味に、全員の顔から血の気配が消えた。


「……なんだ、あれ……」


涼の声がかすれる。目の前の敵は、今までの“強敵”などではなかった。


それは“死”そのものだった。



【ホワイトベア】

体力:214/攻撃力:526/防御力:256/魔力:147/運:81

魔法:炎魔法・氷魔法

スキル:切り裂き



「……おかしい。強すぎる。ステータスが……今までの比じゃない」


美月の顔が蒼白に染まる。


「これ……勝てる相手じゃねぇ」


光貴が唸る。彼の拳でも、この敵には届かないだろうと、直感していた。


「退く……逃げよう。これは、無理だ」


智也が決断を下そうとした、その時だった。


──地面が蠢く。


「え……また、あいつら……?」


現れたのは──ポイズンスネイク。前階層で命を削って戦った強敵たちが、今度は20体の群れを成して現れた。襲ってくるのかと警戒するが違った。


ポイズンスネイクは5人を睨むが無視して進む。まるで5人に対して興味のないように進む。


「──何、してる……?」


その問いが、すぐに答えと化す。


ポイズンスネイクが進んでいる先にいるのはホワイトベア達がいる。ポイズンスネイクはホワイトベアの一体を襲いかかる。


ホワイトベアの一体が微笑んだ。口元をゆるく吊り上げた、明確な“意志”を持った笑み。


次の瞬間──。


氷柱が降る。蛇の一体が貫かれ、動く間もなく凍結して砕けた。


続けて、炎の奔流が雪原を焼き払い、十数体の蛇が苦しむ間もなく崩れ落ちる。残りの個体も、鋭く閃いた爪で切り裂かれ、息絶える。


──その間、わずか二十秒。


全滅だった。


「………………っ!」


遥が喉を押さえ、言葉にならない声を吐く。


ホワイトベアの一体が倒れた蛇の死骸に近づき、ゆっくりと肉を食み始めた。血と毒が混じる死体を、貪る。


──瞬間、その体に魔力が走った。ホワイトベアの魔力が増していた。


「……まさか、食って……強化されてる?」


智也の声が震える。


スライムの消耗戦、ポイズンスネイクの再生、そしてホワイトベアの捕食。


迷宮が“進化”している。


「ダメだ……逃げよう。逃げなきゃ、死ぬ」


涼が叫んだ瞬間、ホワイトベアの一体が動く。


──その速度は、“目視できなかった”。


「──ッ!? 美月ッ!!」


悲鳴が重なった時、既に遅かった。


ホワイトベアの爪が、美月の胸を貫いていた。


「……あ……」


血が、静かに吐き出される。


美月の目が、智也を見ていた。何かを言おうとして──崩れ落ちた。


「──ああああああッ!!!」


智也が叫ぶ。涼も、遥も、光貴も。全員の意識が、恐怖で裂けた。


「くそっ……うそだろ……ッ!?」


「逃げる!今すぐ……絶対、死ぬ!」


遥の幻影が雪原を覆い、涼が智也を引きずりながら走り出す。光貴が後方を睨みながら必死に先導を務める。


──だが、ホワイトベアは追ってこなかった。


それは、あくまで“狩り”だったのかもしれない。逃げる者を無理に追う必要はない──そう判断したのだ。


背中を冷や汗が這う。


やっとの思いで、第九階層に戻った時──背後には、ホワイトベアの姿はなかった。逃げることに成功したのだ。


「……はぁ……はぁ……っ」


「美月が……美月が……」


「……ここで止まるな。出口まで、一気に行くぞ……!」


その言葉に全員が無言で頷く。歯を食いしばり、怒りも悲しみも、恐怖も押し殺し──彼らは迷宮から脱出した。


__________


──冒険者組合・報告室


「第十階層に……ホワイトベアが三体。そして……如月 美月が、戦死……しました……」


智也の声は、震えていた。


「その魔物は……他の冒険者たちも全滅させている可能性が高いです。ポイズンスネイクを一撃で……さらに、それを捕食して、強化まで……」


報告を受けた職員の顔が強張る。


「……わかりました。すぐに、調査班を派遣し、封鎖処置を行います。あなた方は、よくぞ──生還されました」


光貴は拳を握りしめていた。遥は唇を噛み、涼は俯いていた。


──失った仲間の顔が、頭から離れない。


「……強くならなきゃ。あいつに……意味を持たせるために」


誰の声かは、わからなかった。


だが、それだけは全員の胸に刻まれていた。


迷宮は、変わっている。

人間を、試しているのではない。──選別しているのだ。


──続く。

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