さよなら、オルタネイト。

一ノ宮ひだ

課題 もう一つの世界について

レポート : 現世界とオルタネイト世界の位相的干渉


1. 二重の世界構造:現世界とオルタネイト世界


 本稿では、いわゆる「オルタネイト現象(The Alternate Convergence Phenomenon)」と呼ばれる稀有な事象の成立条件および構造について論じる。前提として、本現象は「二重の人間存在位相」が前提とされる世界を基盤にしている。それはすなわち、「現世界(the Primary World)」と「オルタネイト世界(the Alternate World)」という、互いに並行して存在する二つの実在的構造を意味する。


 現世界とは、観測主体が自己の存在を実感する一次的・経験的現実空間であり、一般に人間が生きている「現実」と呼ばれるものと同義である。一方、オルタネイト世界とは、観測主体が取り得た別の選択、もしくは選ばなかった可能性が収束して構成された「可能的現実」である。

 両世界は空間的・時間的には完全に一致しており、物理法則、言語体系、文化構造なども極めて近似しているが、そこに生きる個々の存在は自己同一性の変奏と表現し得る。すなわち、我々と酷似しながらも、僅かに異なる決断と行動を経た「もう一人の私たち」である。このような存在は、哲学的には「可能態としての自我」と定義される。

 

 2. 並行位相の交差点:「オルタネイト現象」の発生条件


 通常、現世界とオルタネイト世界の間に因果的干渉は存在しない。両者はそれぞれに孤立した時空相として展開し、互いに知覚することも、影響を及ぼすこともない。

 しかし、極めて限定的な条件下において、両世界の「時空的位相(spatio-temporal phase)」が一時的に同期することが観測されており、これが「オルタネイト現象」と称される。

 この共鳴的同期は、物理学的には「時空構造における干渉帯(interference fringe in the space-time manifold)」の一種と考えられており、量子力学的な「選択の壁(wall of decoherent possibilities)」に微細な裂け目が生じることで発生するとされる。これにより、異なる時空相に属する存在同士が、限定的ながらも干渉可能となる。


 3. 選出条件:「死」という存在の終端点


 オルタネイト現象が発生した際、両世界より一名ずつ、選出された人物の間で接続が生じる。

 ただし、この「選出」には一つの厳格な条件がある。

 ――両者が、同時期、同時刻、同じ場所において、両世界で死を迎える可能性が確定された瞬間であること。実際に意思疎通が可能となるのは、対の世界から「死」として観測された者同士である。

 この現象は、量子論的には「観測不可能性の収束(collapse of probabilistic wave function)」として理解される。

 死とは、未来のすべての可能性が終息した状態であり、他方の世界における「未観測の可能性」が、あたかも補完されるかのように生として顕在化する。

 その結果、選出された者同士は、完全な肉体的再生を果たすことはないが、三つの感覚領域――聴覚・視覚・触覚を通じて、互いに干渉しあう状態となる。


 4. 感覚の階層と伝達純度


 本現象における干渉可能な感覚は、「聴覚」「視覚」「触覚」の三つに限られているとされる。嗅覚や味覚といった他の感覚が無効化される理由は、両世界の位相が完全には一致しておらず、感覚器官における物質的基盤が共有されていないためであると推測される。


 伝達効率の序列は以下のとおりである。

 一、聴覚(auditory channel):抽象性が最も高く、象徴化された意味(言語)を媒介できる唯一の手段。

 二、視覚(visual channel):輪郭や表情の理解が可能だが、意味の共有には制限がある。

 三、触覚(tactile channel):感情や温度、圧力といった原始的な情報のみが伝達可能。


 これは古代より言語が「魂の形」と呼ばれたように、聴覚的コミュニケーションこそが人間存在にとって最も抽象的かつ高度な情報交換手段であることに起因する。尚、死期が近づくにつれて、上記の感覚は比例的に衰えていくとされる。


 5. 干渉の代償:記憶の喪失と魂の痕跡


 オルタネイト現象が終了すると、当該個体の意識における体験の記憶は、ほぼ完全に消去される。この現象は、「世界の整合性維持機構(the Reality Correction Principle)」と呼ばれ、観測された事象の干渉による位相の崩壊を回避するため、世界が自動的に「修復」を試みる作用とされる。

 ただし、記憶は完全に消滅するのではなく、夢のような曖昧な輪郭として残存する場合がある。これは、言語化不可能な感覚の断片――すなわち「魂的記憶(mnémē psychē)」として意識の深層に沈殿する。

 この現象はいまだ科学的には解明されておらず、量子意識理論や心的表象学における未踏の領域に属する。


 結語:存在の交差点としての死


 「オルタネイト現象」は、死という存在論的断絶が、むしろ異なる現実の交差点を成し得るという逆説的構造を提示する。我々は、選ばなかったもう一つの「私」と、一瞬だけ触れ合うことがある。

 その一瞬こそが、存在が可能性を超えて他者へと変容する契機であり、同時に、記憶の彼岸に残る「魂の痕跡」であると考える。

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