9話:選定の刻印

 深夜。屋敷の空気は、しんと静まり返っていた。


 セレスもミレイナも眠っている。

 俺はただひとり、窓辺に腰を下ろしていた。


 


 左手の甲には、セレスとの契約の刻印。

 右手には、ミレイナを救うため交わした、あの夜の刻印。

 どちらも、静かに――けれど確かに、脈を打っている。


 


 その時だった。

 視界が歪む。空気が反転するような、異質な感覚。


 


 気づけば俺は、精神の深層――

 猫の“神”と繋がる場所にいた。


 


 黒い玉座ではなく、広がる闇と光が交わる静謐な空間。

 その中心に、しなやかに佇む巨大な黒猫の姿。


 


 それは、猫の王とは違う存在。

 より深く、より高位の、神性そのものだった。


「……ようやくここまで来たか。選ばれし契約者よ」


 


 その声は、耳ではなく魂に響いた。


 


「ふたつの契約を交わしたな。力を振るうためではなく、癒やすために。

 それを誇りと呼ぶか、弱さと呼ぶか――お前自身の問いは、どこにある」


 


 俺は答えた。


「……誇りでも、弱さでもない。

 ただ、俺は……壊さずに繋げる術を、選びたかった」


 


 猫の神はしばし沈黙し、それから、

 大地に足をつけるように、俺の前へと静かに歩み寄る。


 


「その意志、しかと受け取った。

 契約の印を超えて、今こそ“選定”を与えよう」


 


 その瞳が金色に輝き、次の瞬間――

 俺の胸に熱が走った。

 心臓の奥に、新たな印が刻まれていくのを感じる。


 


「我は“神”。

 されど、お前と共に歩む者。

 癒やす者として、選ばれし契約者よ。

 その手で、世界と繋がれ」


 


 眩い光に包まれ、俺は現実へと還っていった。


 


 窓辺に戻った俺の背後で、小さな気配が揺れた。

 扉がきい、と音を立てて開く。


 


「……今、あなたの背に――何か、大きな気配を感じたわ」


 


 静かな囁き。セレスだ。振り返らなくても、そこにいると分かる。

 おそらく彼女にも、あの神聖な気配が届いていたのだろう。


 


 俺はゆっくり目を閉じた。

 そして、そっと胸に手を当てる。


 


 そこに、確かな熱があった。

 言葉にはならないけれど、確かな“繋がり”が。


 


 ――俺は、もうひとりじゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る