第38話 去る者、残る者


「とにかく着替えたら? 臭いがしないのは、あなたがホムンクルス? だから?」


「……そうだね。ホムンクルスは基本的に、メンテナンス水槽で体液を入れ替えて浄化するから」


「ふーん、変わってるのね」


 サーティアの言葉は、何処か淡々としていて、いつも感じていた温かみや柔らかさが感じられない。


「ロザリア、手伝おうか?」


「ちょっとフィロス。仮にも女の子の身体よ? あなた何する気よ」


「あっ、そうだった……」


 中身にばかり意識が向いていたが、今目の前にいるのはポヤポヤピンク髪の「偽王『女』」様だ。

 僕は差し出し掛けた手を急いで引っ込めた。


 ロザリア、こと今のロザリー王女は、スカートが足に貼り付く様になってしまい、スムースに動けていない。

 膝立ちまでは何とかスッと動いたが、そこで濡れたスカートが邪魔をして、動けなくなっていた。


「う、動きづらいね」


 膝立ちのままグラグラとバランスを崩すロザリー王女に、サーティアはただ、フン、と鼻を鳴らした。

 その勢いのまま、突き出す様に白いタオルをロザリーに差し出す。


「少しタオルで水分取れば、脱ぎやすくなるわよ」


「あ、あぁ。すまない、サーティア嬢」


「今更変な敬称付けたって遅いわよ。スカートも置いておくわ。フィロスと2人で、何とかしたら?」


 と、言うなりサーティアは翻り、早足に応接会議室から出て行ってしまった。

 バタンっ、と乱雑に閉められたドアの音が、今のサーティアの気持ちを語っている様な気がして、胸が切なかった。


「……何はともあれ、そのタオルを腰に巻いて、スカートを改めよう」


「うん。そうだね」


 僕が言うことを、やたらに素直な返事で受け止めたロザリーは、何とか立ち上がると腰にバスタオルを巻いた。

 さすがにこれ以上見ていてはいけない気がして、僕は反対側――サーティアが出て行った出口の方を向いた。


 サーティアのこと、完全に怒らせてしまった。どう釈明すれば良いんだろう。そもそも何が悪かったんだ?

 正直なところ、サーティアがここまで激怒する理由が、イマイチ掴めない。

 僕の部屋で涙をだくだくにこぼしていた時も……あの時も怒ってはいたけど、今の怒りとは少し違う気がする。


「ありがとう。もう、大丈夫だよ」


 と、背中にロザリーの声が届く。

 振り向くと、タオルも濡れていたスカートもなく、入室時そのままな綺麗な姿になっていた。


「あれ? スカートは?」


「収納魔法に押し込んだ」


 もうロザリーで居続けるつもりも、その未練も無いようだ。表情はロザリアのそれの様に、少々得体の知れない微笑で固まっている。

 ただスカートとタオルの一件については、あぁ、と僕はシンプルに納得して声が出た。

 汚れ物を持ち帰る時にも、ロザリアが使う内部の時が止まる収納魔法であれば、より臭くなったりすることもない。


「それよりフィロス。サーティアを追いかけなくて良いのかい?」


 ロザリーの態度を捨て、いつものように足を開いて立つロザリア。

 スカートとその体勢があまりにも合わず、更にぽやぽやピンク髪が一層『何かズレてる』感じを与えてくる。


「う、うん……追いかけたいのはやまやまなんだけど、そもそも何でサーティアがあそこまで怒ったのか、そこが分からないんだ」


「それは単純な話じゃないかな。サーティアと僕が『女』という1つのフィールドに並んだことが許せなかったとか」


「んんー……僕が感じる限り、ではあるんだけど、サーティアが怒ってるのって、僕に、だと思うんだ。ロザリアにと言うより」


「うん。そうかも知れないね」


 と、ロザリアは再びソファーに戻って、ドサッと腰を下ろした。

 僕はどうしたら良いのか分からず、右往左往しそうになったが、堂々としているロザリアを見て少し落ち着いて、僕も座ることにした。


 さっきまでの席ではなく、ロザリアのすぐ手の届く位置に腰を下ろす。


「ロザリア。僕には、サーティアの怒りの正体というか、根本の部分が見えてない。

 もちろん、諸々良くなかったことはあったんだ。今日登校する前にも泣かれちゃったくらいだし。

 だけど、あそこまで強く怒ってたサーティアに、何もなかったかの様に接するのは、さすがに間違いな気がするし……手が打てない」


「手なんか、考えなくてもいいんじゃないかい? 君の真価と魅力は、誠実さにこそあるんだから」


「誠実さ……としたら、ただただサーティアの前に土下座するくらいしか思いつかない」


「それは悪手だね。皆がいる中でそれやったら、サーティアへの嫌がらせでしかないよ。悪妻誕生、おめでとうってね」


「そ、そうか。そうなるのか……」


「それに、土下座はむしろ『これ以上僕を責めないで』って、無言の圧を相手に掛ける事になるからね。そこまで行くと卑怯者の誹りは免れない」


「う、ううん……謝らないといけない、けれど謝り方ひとつ間違えたら失格、もちろん謝らないで平然と振る舞うのも失格。

 サーティアの怒りの根っこの部分が分からないから、尚更視界が効かない状態の中。条件が厳しすぎる……」


「まぁ、生身の人と関わるって、きっとそう言うことだと思うよ、最終的にはね。

 人が幸せと呼ぶものの背骨には、必ず痛みという芯が通ってる。

 如何にその痛みを出さずに幸せだけを掬い取るか――ぼくも答えは持ち合わせていない」


 そう言った後、ロザリアは軽く手のひらを天井に向け、言う。


「もっとも、ぼくはもし間違えたら、気軽に100年待って新たな環境でやり直せる個体だ。

 だから、そんなぼくが何故か今こうして君に恋愛のもつれについての指南をしてること自体不可思議なんだけど、

 ぼくが出す結論自体、疑って掛かった方が良い。それこそフィロスが『土下座が正しい』と思うなら、そうしたら良い。

 但し、もちろんその結果も何もかもの責任を負うのは君自身だから、ぼくとして言えるのはせいぜい――慎重にね、くらいかな」


「そうか、ロザリアは必ずしも、今だけに囚われる必要が無いのか。今何かの芽が無ければ、100年後の世界にそれを求めてみることが出来る、と」


「そう。幸いあの翌日、魔法院から封書が届いてね。角の2箇所に花柄の質素な飾りが付いた、純白の封筒で」


「……送り主って、あの院長先生? 直々に?」


「うん。可愛らしい封筒の割にやけに分厚いなと思ったんだけど、ぼくの身体に専用設定された『濃縮魔力ポーションの錬成・抽出法』が、

 理論部と、実践時の注意書きまで丁寧に書かれた実践部の二部構成で書かれていた。幸い機材で足りないものは無かったから、

 さっそくその調合法で調整したものを、注射剤として入れている。結果、これまで散々苦労してきた魔力エサの食事が、要らなくなった。

 嗜んで食べる程度で済む様になっていて、朝イチに注射しておけば多分一日保つ。

 少なくとも学校の時間程度は保つことは確認出来た訳だ、『ロザリー王女』ロールのおかげで」


 ロザリー王女の姿の存在がそれをロールだと語る。

 そのロールがあったからこそ、今回のトラブルは顕在化した。


「……そのロザリー王女に、僕は散々振り回されたんだよなぁ」


「ん? 怒りたい? 自由にして構わないよ、蹴り飛ばすなり殴り倒すなり。壊れないけど痛みは感じるから」


「いや、元々あんまりそういう感覚でも無いんだ。もっとこう、僕の頭の中がシンプルで、夫人2名立て続けに獲得!

 文句ある? ないよね! ……みたいなこと言える性格だったら、どれだけ楽だったろうと今は思うよ」


 ただトラブルの種自体は元々あった様に思う。それは僕の至らなさがまず土台にあり、

 ある意味今回の事で幸いにも分かったサーティアの嫉妬深さや弟さんへの異様に強い愛着も混じり、

 そこへ多分だけど男女の標準的なすれ違いも加算されて、種が勢いよく芽を吹き、災厄を生んだ。


 ただ災厄と言ってもあくまで僕含め「人間関係」の内側の話。

 決して空から何か降ってきたものに当たる類の不運とは違う。

 放置してればいつかは必ず芽吹いたであろうトラブルだ。


 一体どうすれば良いのか……

 頭の中がグルグルし始めた時、不意にロザリアが大きくのびをした。


「それで……このままで良いの? ぼくに構っている間に、サーティア怒って帰っちゃってるよきっと。

 もうぼくを切り捨てなよ。親友でなくて良いから、もう」


「そ、そんなこと言うなよ! ロザリアは僕の親友っ! これは間違いないんだから」


「じゃサーティアは? 将来の配偶者をほったらかしで友情ごっこしてたら、いきなり君、バツイチ付くよ」


「うっ……」


 現実、というのが急速に追いついて来た気がした。


 サーティアは、もしかしたらもう学校にはいない。ロザリアの言う通り、そうだろう、きっと。

 しかも悪いことに。サーティアを追いかけたい気持ちは山々あるのだが、

 いつも僕の大使館前で合流して登下校してた関係で、サーティアの下宿先を知らない。

 追いかけようにも、サーティアが早退権を使ったのなら、少なくとも今日はもう、手の届きようがない。


 僕は席を立ちかけて――けれど、すぐに立てなかった。

 何か、どこかが、まだ踏ん切りが付かなくて動けない。


 そんな僕に、ロザリアは、いつものようには微笑まなかった。


「さて。ロザリー王女の『お役目』も、そろそろ終わりにしないとね」


 次の一歩は、ロザリアが踏み出した。

 僕の横をかすめ、そのまま後ろに回って、振り返る事なくドアに直行し、出て行った。

 バタン、というドアの音が、僕しかいない応接会議室に響いた時、僕は深い溜息と共に文字通り頭を抱えた。


 ロザリアは、少なくとも前に進んでいる。

 サーティアは、否応なしに次のステップに移された。

 僕は? ふと顔を上げると、もうそこにはサーティアの熱感もロザリアの色香も、何もなかった。

 そこに並ぶ誰も腰掛けていない威厳のあるソファー達が、重苦しい沈黙を生み出している様にすら感じられた。


 僕は頭を振って、その勢いで半ば跳ねるように立ち上がった。

 どうしたら良いかなんて、まだ何一つとして分かっていない。正解自体あるのか無いのか分からない。

 けれどここにずっと居ても、何も進まない。僕だけ一つ前の舞台に取り残される様なものだ。


 僕らの人間関係は、次に進んだ。もう後戻りは出来ない。

 居残る選択肢も無い。進むしか、ない。


 僕はぐちゃぐちゃの頭のまま、フラつく足取りで、応接会議室を後にした。


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