第2章 王立学院へ通う大公閣下の孫、恋愛も色々分かってない
第27話 言葉にならない想いの行方
あんな騒動があった翌日だけれど、学校は普通に定期考査の真っ只中。
朝サーティアと共にクラスに着くと、既にそこにはロザリアの姿があった。
けれど、いつもの3人組で随分盛り上がっていたので、敢えて僕から踏み込んでいくのは避けた。
――あれだけ明るく笑えるなら、きっと少しは、大丈夫。
僕はそう思うことにして、自分の席に着いた。
毎朝迎えに来てくれるサーティアも、僕が座る頃には後ろの席にもう座っていた。
「ねぇフィロス、ちょっと疲れてる? 何だか表情が少し重たい感じがする」
「つ、疲れてる、ように見えるかな? 昨日は」
と、そこまで言って、言葉に詰まった。
ロザリアの事は、誰にでも気軽に言える様な内容では無い。
「久しぶりに魔法の家庭教師の先生と再会してさ。少し鍛え直してもらったんだ」
「フィロスの先生って事は、すっごく魔法に強い人なのよね、きっと。鍛え直しもキツかったの?」
「そりゃあ、実戦形式に近い模擬戦闘もあったし……」
実際は模擬じゃない。
アレは真っ当に戦闘だった。
「フィロスが疲れちゃうような鍛錬って凄いわね。わたしじゃとても着いていけないわ」
「まぁ、そこは事実かな。そう言えば、ペンダントの効果、上手く使えてる?」
「うんっ! フィロスがくれたペンダントがあると、魔法を打った後の、グッと重くなる感覚が、かなり薄いの!
機会が無くて限界まで挑戦はしてないんだけど、魔法実習の時にクラス2魔法を打って、凄く実感したの!」
サーティアは満面の笑みで、僕が贈ったプレゼントが役に立っている事を教えてくれた。
僕は一言、それは良かった、とただそれだけは口に出来たが、言葉が続かず、思わず溜息まで出てしまった。
「フィロス、本当に大丈夫? 定期考査中だから保健室で休むのもちょっとアレだし……」
「ううん、そこまでは大丈夫、だと思う。
家庭教師の先生に色々言われた事もあってさ。
気持ちが重くなってるのが、出てるんだと思う」
「そっか……実力のある家庭教師の先生だと、単に魔法の使い方を教えるだけじゃないのね。
体調悪くて大変だと思うけど、どう? 頑張れる?
最終手段だけど、定期考査は、『休んでその代わりの追試を受ける』って選択肢もあるよ」
「うーん、数学と総合倫理と地理、だよね、今日の科目。昨日は復習も出来なかったからなぁ。
あんまり自信の無い数学だけは受けて、あとは追試に回しちゃおうかなぁ……」
「その方が良いよ。無理してまで受けなきゃいけないなんてこと、白服には無いから。
保健室、分かる? 一緒に行ってあげる?」
「ごめん、場所知らないから、1限目終わったら連れて行って欲しい」
「うん、分かった。1限の途中でも、キツかったら先生に言うんだよ?」
「うん。ありがとう」
実際、サーティアと話していても、
いつものように胸が躍る感じや、
気持ちが明るくなる様な感覚が持てない。
気を抜くと、溜息が出てしまう。
と、そんな間にも時計は進んでいた様で、ディラグニア先生が入ってきた。
***
「では1限目の試験はこれで終了する」
数学、思ったよりは難しくなかった。
魔法陣学でも数学的な考え方を使うことはしばしばある。
今回の試験範囲が、割と魔法陣学とかぶる部分を応用すれば解けたのはラッキーだった。
ただ、頭は酷くボーッとしている。
心が自分の中に無く、どこか遠く離れた所で凍りついたままのような、冷たい感覚。
頭も回らない。昨日の出来事が現れては消えを繰り返し、気持ちの余裕もない。
「フィロス、大丈夫? 顔色、良くないよ……」
サーティアの声に、僕は振り返った。振り返るだけの動きすら、機敏に出来ない。
サーティアは普段と変わらない、落ち着いた口調を装おうとしている。
が、僅かに眉が寄り、目尻は下がり、口先が開いている。昨日の今日だから観察眼だけは生きてるらしい。
彼女の目が僕をしっかり見つめる。でもその視線が妙に強く感じられて、僕は目を逸らした。
「あ……うん、ちょっと、頭が重くて」
「そうなんだ。……保健室行こうか? 先生には私が伝えておくから」
「うん、そうしたい。ごめんね、サーティア。迷惑ばっかりかけて」
「迷惑じゃないよ。私、フィロスのサポート役なんだから。困った時は頼ってくれなきゃ……」
そう言って軽く笑うサーティアだけれど、最後の方で微かに声が震え、声の大きさが絞られたように感じた。
僕が席を立とうとした瞬間、急にくらりと視界が歪み、慌てて机を掴んだ。
「あっ、フィロス!」
サーティアの焦った声がして、彼女の手がすぐさま僕の腕をぐっと掴んでくれる。
その瞬間、僕らの目が真正面から合ってしまい、時間が止まったように感じる。
「あ……ご、ごめんっ、急に立ったから……」
「き、急に立つ時は、気をつけなきゃ、その、ダメだよ! ほら、ゆっくりでいいから」
サーティアはそのまま僕の腕をそっと掴んだまま、ゆっくりと歩き始める。
普段こうして僕に触れることなんてほとんどない彼女が、
急な接触に自分でも戸惑っているのか、歩く速度がぎこちない。
僕の腕を掴んだ手が震えているような気もするが、
それが僕の緊張のせいなのか、彼女の手の震えだったのか、判断がつかない。
教室を出ると、廊下には人がいなくて静かだった。
サーティアは僕を支えながら慎重に歩を進める。
「ごめんねサーティア……本当に。こんな時にまで迷惑掛けちゃって」
「だから、迷惑なんかじゃないって。私が……私がそうしたいだけだから」
なにか、妙に引っかかる言葉に感じられた。
けれど、今の僕の頭でその意味をじっくり考える余裕はない。
ただ、その違和感のある言葉が妙に温かく感じられて、少しだけ気持ちが楽になる。
階段まで来ると、サーティアは僕が躓かないように気を使って、慎重に一段ずつ降りる。
その度に肩が触れ合い、僕はその温度に少しだけ胸が落ち着かなくなった。
「大丈夫? ゆっくりで良いからね……」
「うん……ありがとう」
2階の廊下に降り、保健室の少し手前まで来ると、サーティアはなぜか急に足を止めた。
彼女の手が僕の腕からそっと離れた。
「サーティア?」
僕の呼び掛けに、サーティアは戸惑ったように、小さく口を開いた。
「あのね、フィロス……私……」
その時、保健室の扉が勢いよく開いて、中から茶髪パーマの中年女性、白衣の先生が顔を出した。
「あら、調子悪い子はどこ? 早く入りなさい!」
サーティアは慌てて先生の方を向き、何か言おうとして言葉が出ない。
その顔が、耳が、真っ赤に染まっていくのを僕はぼんやりと見ていた。
「あ、あの! フィロスが調子悪くて。お願いできますか?」
「もちろん! 君がフィロス君ね? 一番奥のベッド使いなさい」
先生が、その体型に似合う豪快な声で言い放つと、僕は軽く頭を下げて保健室へ入った。
サーティアは僕の後ろで何か躊躇っているようで、付いては来ないようだ。
保健室の扉を一歩またいで、僕は振り返った。
「サーティア、ありがとう……試験に戻らないと、遅れちゃうよ?」
「え? あ、うん……うん、そうだよね……」
サーティアは焦ったように視線を泳がせ、それでも元来た廊下と僕とを何度も振り返りながら、やっと扉の前から動き出した。
最後に目が合うと、彼女は眉を寄せ、少し切なげにも見える顔になった。
何か言うのかな、と少し待ったが、サーティアはその手を少しだけ持ち上げ、一言、あっ……と、唇を小さく動かし声を出した。
が、それだけだった。
結局サーティアは、すぐにしゅんとした顔をして、そのままくるりと背を向け、廊下の向こうへ去っていった。
僕も思わず息を吐く。サーティア……僕にとってサーティアは、何なんだろう。
とても宙ぶらりんのまま、2ヶ月ほったらかしにしてしまった様な気がする。重い重い罪悪感が頭上にガツンと降ってくる。
一層重くなった頭を感じつつ、保健室に入っていく。
先生が扉が閉じると、僕は大きく息を吐いて、部屋の隅のベッドに腰掛けた。
まだ腕に残る、サーティアの手の感触が……頭の片隅に、罪悪感とない交ぜになって引っ掛かっている。
その意味をゆっくり考える暇もなく、僕の意識は再び混濁に――昨日のロザリアとの出来事に引き戻されていった。
***
最初に聞いた先生の大きな声との落差も相まって、途端静かになった保健室に、何だか居心地の悪さを感じる。
けれど今は休む時。出来れば3限の試験には復帰したい。いや焦るとダメなのかな……。
ベッドに背を預け、枕を頭の下に動かして、天井を眺める。
他の教室の天井同様、ちょっとくすんだ、白い天井。
僕が今のところ一番見慣れている「白」は制服の白だから、
余計に天井の白はくすんで、少し汚れているかの様にすら感じてしまう。
――そう言えば魔法院の天井は、真っ白だったな――
フッと天井繋がりで、また思考が持って行かれる。
白い天井から、白服のロザリアがとんでもない勢いで『降ってきた』のは、つい昨日の午後の話だ。
あの時は、完全に押し負けてしまって床に身体を叩き付けられた上、馬乗りになられてしまった。
一直線の攻撃だったから、僕がもう少し早く気付ければ、対処も出来たかも知れない。
それ以前に、ロザリア自身が馬車の中で語っていた、不老不死の話。
それを疑った訳では無かったけれど、あの場では完全に忘れていた。
目の前に攻撃者が現れると、ついそっちに集中してしまう。
もっと事前情報や戦略的な考えが出来ないと、将来、大公領軍を動かすなんてこと、到底出来ない。
僕の口からは、自分がまだまだ半人前にすら達していない事に、溜息が勝手に漏れた。
深い溜息を吐き終わったとほぼ同時だった。保健室の扉がカラカラと静かに音を立て、ゆっくり開く。
見ると、そこにはロザリアが立っていた。僕の心臓は一瞬ドクンと強く打った。
「やぁ、優しくて気配りも機密保持も完璧なぼくの親友。元気ないね?」
「う、うん……
親友……初めて言われた」
「えっ? 迷惑だった?」
「ううん、迷惑な訳ないよ。ただびっくりしただけ。突然そうなることもあるんだって」
ロザリアは一瞬呆気にとられたポカンとした顔をした後、満面の笑みを浮かべた。
「人と人の関係なんて、一瞬で変わることが多々あることだよ。今、それが起こっただけのことさ。
でもぼくは、もう少し意味を乗せてるんだけどね――生涯かけがえのない、唯一無二の友だと」
ロザリアは大きく横に口を開き笑いながら、ベッドの隅に腰掛けた。
「ロザリアの思いに、僕は応えられるのかなぁ……あっ、て、定期考査は?!」
「ん? 一瞬で終わらせてきたよ。総合倫理の試験って、全部○か×を選ぶだけだし。あれが一番楽なんだ。
ぼくの思いに応えたから親友になったんだよ。順序が逆さ。さっきまで、昨日のこと考えてたんでしょ? そんな顔してたよ」
ロザリアはさらりと言う。最後の言葉、その表情に、ちょっとだけ『ニヤリ感』がある。
「あ……うん。昨日の事。正しくは、つい今特にハッキリ思い出したんだ。ロザリアが天井蹴って飛んできたのを」
「えー、ぼくって暴走するとそんなに飛べるんだ? これは新しい発見だな。教えてくれてありがとう」
ロザリアは楽しげに微笑んでいる。
「あ、いや、ごめん。思い出したくなかったよね……」
僕は再び失言をしたと思い、視線を落とした。
「ああ、それは逆だよ。むしろ気にしないでいてくれると助かるかな。うん、全然問題ないよ」
ロザリアの声は明るく、迷いや戸惑いを感じない。穏やかな笑みが僕の心を包み込む。
「昨日、自分の『自己への確信』を掴めたからね。あ、そうだ、念のため」
言いながら、ロザリアは慣れた手つきで小さい金属の杖を取り出す。
「話題が話題だから――【エコー・ガード】」
彼女が杖を振ると、周囲の空気が瞬間的に澄み渡り、僕らだけを透明な膜が覆った。
「これでこの中の声は誰にも届かないよ。さて、それより君の方こそ心配なんだけど。
何を気にしてる? ぼくの正体がまともな人間じゃないこと、やっぱり気になる?」
僕は慌てて首を振る。
「違うよ、そこじゃなくて……君自身が辛くないのかなって。
あれだけ急に『新事実』を突き付けられて、戸惑ったり、ヤケを起こしたりしないかなって……」
「ああ、なるほどね。うん、ぼくは大丈夫。
正確に言うと『もう』大丈夫、かな」
「……ごめん、違いが分からない」
「そうだね、どう伝えようか――あの瞬間に、自分の魂の『正体』を知って、ようやく納得できたんだよ。
《ぼくは、偶然こうなったんじゃない》
《最初から、誰かがぼくを生かそうとしてくれていた》
その誰かが一体誰で、どんな意図だったかは分からないけどさ。
でも、そんな誰かが居てくれたってこと――ぼくは1人じゃないって考えると、
もう自分を呪う気にはなれないよ」
ロザリアは少し早口気味に言ったあと、照れくさそうに笑った。
僕はその言葉をぼんやりと受け止め、理解しきれないまま、それでも頷いた。
言葉だけじゃない。ロザリアの言いたい事は、もっとずっと深い事だ。
今の頭では、とても全部をすぐには理解できない。
でも、ロザリアがやっと自分を許せたんだ――そのことだけは強く伝わった。
「ぼくは、これでようやく、生きていける。何万年でも。
突然だけどフィロス。君は、何十年かしたら、死んでしまうよね。
その時ぼくは、3日3晩大泣きするか、1週間無表情でフリーズしてしまうかだと思う。
でも、ぼくはもう、あの水槽には逃げない。そう決めた。
この、中等学校生くらいの身体で、また別の中等学校に書類偽装して入って、また人間っぽく生きるよ。
何回も繰り返しても、何も変わらないかも知れない。けれど、もう絶対に逃げない。
それは、ぼくが、ぼくのことを理解出来たから。ぼくの魂って一番深い所まで、心底納得がいったから。
そして、それを理解させてくれたフィロス。
……いや、君とは『今』を楽しもう。もっと。親友として、明るく楽しく、今を共に行こう」
「ロザリア……」
「ん?」
「ありがとう。……なんか、少し気持ちが軽くなったよ。君が元気でいてくれて、ほんとによかった」
ロザリアはふっと嬉しそうに笑った。
「ぼくこそ。君にしか、手負いのぼくは救えなかった。じゃあ、ぼくは試験に戻るよ。またね――ぼくの親友くん」
片手を軽く挙げて微笑み、杖を取り出し魔法をかき消すと、ロザリアは振り返らず保健室を出て行った。
僕は静かに閉じた扉を見つめながら、小さく息を吐く。
「……サーティアにも、ちゃんと話さなくちゃな。サーティアの笑顔に……明日のランチ会。真正面から向き合う」
自分の中に灯る小さな熱を感じる。
けれど、心の底で、まだ何かが重い。それでも――僕は決意と共に、深く息を吐いた。
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