5章
機巧人形はチョコレートにまどろむ
翌日、リディアたちは補給車の幌に囲まれた貨物の中で、ガタゴトと揺られていた。
今朝早く、一隊の衛兵が研究館に現れたのは、まだ空気の冷たい時刻だった。どうやらカイルが事前に手配していたらしいが、詳しい経緯は明かされていない。
一段と大きな揺れに、カイルが黒く錆びた筐をぐっと押さえる。ふたりとも衛兵から渡された制服を着ていたが、少し大きく、袖の長さが気になった。けれど今は、目立たないことが最優先だった。
外では、軍楽隊によるパレードの音楽が高らかに響いている。民衆のざわめきも、風に乗って遠くから届く。
リディアはそっと幌の隙間から外を覗いた。朝陽の光が差し込む中、空気に混ざった魔素の粒がきらめき、目を焼く。すぐ隣の大通りでは、衛兵たちが整列を誘導し、馬上の騎士たちがゆっくりと進んでいた。帝都の石畳が蹄の音に合わせて微かに震えている。
視線を戻すと、狭い貨物の中で窮屈そうに膝を抱えるカイルの姿があった。
「本当なら、少佐もパレードに出る予定だったんじゃないんですか」
口にしてから、リディアは今朝のラズロの顔を思い出す。彼にも同行を頼んだが、返ってきたのは「わざわざ軍人に囲まれに行く趣味はねえんだ」と、ぶっきらぼうな言葉だった。
「もう覚悟は決まってる。こっちが俺の最重要任務だ」
カイルはそれだけいうと、他には何も言わなかった。
(少佐まで巻き込んでしまって……上手くいかなかったら……でも、ヴェルナーのあの技術は何があっても止めないと……)
リディアは小さく手を握り締めた。
「……どうせ俺は災厄だ」
やがて、カイルがぽつりと呟く。
「帝都で暴動を犯したところでその名が変わることもない」
そう言って口角をわずかに上げた彼の表情を見て、リディアは言葉を失った。
(なんで、そんなふうに……)
「……」
胸の奥がちくりと痛んだ。何か返さなきゃと思うのに、喉の奥が詰まってしまう。
ほんとうは、怖かった。
もしこの作戦が失敗して、もし誰かが傷ついて、その時、災厄のせいだと言われたら――。
「……技術だけじゃ人は守れないかもしれません。……でも」
リディアは少しだけ顔を上げた。
「……それでも、技術で人を守ることは、きっと……できますよね」
それは願いだった。祈りに近い。
リディアの脳裏に、ラズロの最後の言葉が浮かぶ。
『こんなガラクタでも、使いようによっちゃ世の中変えられるってな。アイツなら、きっと誇りに思うだろうよ』
(……本当に、誇ってくれるかな)
外見は錆びた鉄の塊でも、中に詰まっているのは、父が遺した守るための意思だ。
この装置は、命令に従うためのものじゃない。
操らせるためのものでもない。
これは――人を、守るための技術だ。
(その証明を、これから見せるんだ――)
リディアたちを乗せた補給車は、軍事施設の裏手に回された。たどり着いたのは、演習場の裏にある旧倉庫の搬入口。
パレードの喧騒が嘘のように、そこは静まり返っていた。
車が止まり、カイルが外を覗く。少し離れたところで衛兵と短く言葉を交わし、手招きする。リディアが荷台から降りると、埃っぽい空気が鼻を刺した。ふたりで例の筐体を運び下ろすと――。
カツカツ、と、軽快な足音が近づいてきた。
「やあ、お二人さん。道中は楽しめたかな?」
どこかで聞いた声だと感じて、リディアは反射的に振り向く。
そこにいたのは、第三王子・セディアス殿下だった。
リディアの心臓が一気に跳ね上がった。
「……助かりました」
カイルは振り返らずに応じ、そのまま筐体を黙々と降ろしていく。
「殿下……その、これは……」
冷や汗が頬をつたう。リディアの動揺をよそに、セディアスは目を細めて微笑んだ。
「グレイウィンド技官だったね。今日はひとつ、頼むよ」
「え……?」
リディアは思わずカイルを振り返る。いつもと変わらぬ涼しい表情――だが、どこかで予感していた。
(まさか、手配したって……王子殿下のこと?)
混乱する思考の中で、ふたりの顔を交互に見比べる。
「いいかい、グレイウィンド技官。彼らに、思い知らせてやるくらいのことはできるだろう? 期待しているよ」
そう言い残すと、セディアスは軽やかに背を向け、旧倉庫を後にした。
***
リディアは軍楽隊の背後、機材の陰に立ち、他の衛兵と同じように待機していた。黒い筐体は、楽隊の荷物に紛れ込ませてある。
カイルは目立つ存在ゆえ、控えのテントの中で姿を隠していた。
音楽が止まり、場に静寂が降りる。そのタイミングで、壇上にヴェルナーの姿が現れた。
整然と並べられた観覧席には、多くの観客が着席しており、今か今かと次の言葉を待っている。
最前列には、リディアも以前に見かけたことのある軍の上層部。王族の姿もあった。
軍服を着ていない者たちは、貴族や商会の男たち――帝都の権威の顔ぶれが揃っている。
「本日ご紹介するのは新型の魔導剣です。早速実演でご覧いただきましょう」
その声と同時に、壇上に二人の兵士が姿を現す。片手にそれぞれ大剣を持ち、無言で立ち位置についた。
(剣……?)
リディアは機材の隙間から壇上を覗き込む。手のひらに、じんわりと汗が滲んだ。
ふたりの兵士は静かに向かい合うと号令を待って実演を開始した。
一人の兵士が構えるのは、蒸気駆動を搭載した重剣。
斬撃のたびに魔力が爆ぜ、地を叩くような衝撃音を響かせながら前進する。
もう一人の剣は、透明な刃に魔導刻線が刻まれていた。
斬りかかるたび、重力操作の術式が発動し、相手の体勢を崩す揺れを生み出す。
(これだけ? そんな訳が……)
観客たちは盛り上がり、声を上げて兵士の立ち合いに喝采を送る。
リディアは無意識に、控えのテントの方へ視線を送った。
すき間からカイルがこちらを見て、ひとつ、静かに頷く。
(……見守ってくれている)
すき間から見えたその頷きに、どこか安心してしまう自分がいた。
その頷きに、どこか心がふっと和らいだ。
そのときだった。壇上のヴェルナーがふたりの兵士を制止する。
袖の影から姿を見せたのは、軍服に襟章をつけた初老の男。
その風貌に、リディアはどこか古い軍部の匂いを感じ取ったが、名は分からない。
ヴェルナーが男に目配せすると、男は小さく頷き、壇の影へと姿を消した。
それを合図にするように、ヴェルナーは観客に向き直り、大きく両腕を広げた。
「さて皆様。これだけでは帝国の威信に欠ける……そうお思いではありませんか?」
その笑みは、ぞっとするほど自信に満ちていた。
「皆様のご期待に応えて、本日はもう一つサプライズがございます」
どくん、とリディアの心臓が跳ねた。
壇上でヴェルナーが白布をめくる。その下にあったのは――小さな、銀の指輪。
(……まさか)
指輪は静かに兵士へと手渡される。
兵士は無言でそれを指にはめた。
「私が手塩にかけて育てた新型の魔導指輪をご覧に入れましょう。元は、魔力の多い兵が暴走しないように設計されたものでした。それが、私の手にかかれば――命令を的確にこなす、完璧な兵士となるのです」
ヴェルナーが手を上げるのをみて、控えの兵士が号令の合図を送る。
静まり返る空気の中、ヴェルナーは軽く装置を操作した。
その直後、壇上の兵士が動き出す。
だが、明らかに様子がおかしい。
体が先に走り、意識が置いていかれている。
目は虚ろで、呼吸のリズムも戦闘とはかけ離れていた。
動きは的確すぎるほど鋭く、それでいて何かが抜け落ちている。
それはまるで――。
(やっぱり……操られている……)
観客席にはどよめきが広がっていた。だが、それは歓声に似たものだった。
一部には立ち上がって拍手する者の姿もある。
その中で、リディアの視線がふと留まる。
(魔素が……兵士に吸い込まれている?)
陽光にきらめく魔素が、兵士のまわりに吸い寄せられているように見えた。
(ありえない。こんなに強く魔素が引き寄せられるなんて……まるで身体そのものが、魔力炉になってる……?)
ぞわりと背筋に冷たいものが走る。
次の瞬間、兵士の動きがふらついた。
相手の兵士はそれを見逃さず、剣を大きく振り上げる。
ふらついた兵士はぎりぎりで避けたが、虚ろな瞳が観客席――王族の方を見据えているように見えた。
(まさか……攻撃対象が、そっちに……!?)
リディアは咄嗟に黒い筐へと飛びついた。
表面の蓋を開き、インジケータに手を伸ばす。
(止めないと――!)
焦るあまり、指がうまく動かない。
装置の反応が鈍く、操作が追いつかない。
(違う……こっちじゃない、どうして……!)
周囲の衛兵が異変に気づき、声をかけてくる。
その間にも壇上からは、観客の悲鳴が聞こえてきた。
視界の端、兵士が観客席へと歩み出す――。
震える指先。焦り。混乱。
そのときだった。
背後から、石畳を踏む足音。乾いた響きが、空気を裂いた。
「後は頼む」
ぽん、と頭に触れた手。
空気が変わった気がした。
その温度で、リディアの指の震えが、ぴたりと止まる。
カイルの碧翠の瞳は、壇上を見据えていた。
カイルは傍にいた兵士の前へと一歩で詰め寄り、剣を抜いた。
その動きに、一切の迷いはなかった。
観客とその兵士の間に飛び込む。
その剣が、操り人形となった兵士の刃とぶつかった。
鋼が鋼を打つ音が、演習場に鋭く響く。
リディアには、それがただの打ち合いには思えなかった。
「あれ、ルーペンス少佐か? 突然失踪したって噂だったが……」
「そんなことより、どうなってんだアレは! 取り押さえろ!」
混乱の声が場内に溢れる。逃げ惑う者、怒号、駆ける兵士。
(早く止めないと……!)
リディアは指向性ノイズの入力を終え、魔力を込める。
強烈な波形の圧力が走る。
体ごと押されそうになりながら、装置を抱き込む。
耳に鋭い痛み。限界が近いと分かっても、構わず魔力を注ぎ込む。
(お願い……! 止まって――!)
波形の先で、音が消える。
次の瞬間、兵士の動きがぴたりと止まった。
やがて、その身体がゆっくりと膝をつく。
「……私は……一体……?」
兵士の小さな声が響いた。その瞳に、ゆっくりと光が戻ってみえた。
(お父さん……私、やっと……)
「……届いたよ」
リディアは小さく呟いた。まだ、指先は震えていた。
そのとき、壇上に別の声が響く。
「……この技術は、もはや魔導装備などと呼べる代物ではない」
場内が息を呑む。
観客たちが振り返る中、第三王子・セディアスがゆっくりと壇上に歩み出た。
その表情は静かだったが、瞳にははっきりと怒気が宿っていた。
「人の意志を奪い、ただ命令に従わせるなど──それは兵士ではなく、人形だ」
セディアスはヴェルナーの目の前で冷淡に告げる。そこには、いつも浮かべている微笑みはなかった。
ヴェルナーは唇を歪めたまま、セディアスを見返す。その視線は、一度だけ膝をついた兵士たちへと流れた。
「私は可能性を証明しただけです。意志ある兵士がいつも正しいとは限らない」
その声は、どこか震えていた。
「ヴェルナー。君が生み出したのは兵器ではない。それは、戦う者の形をした、ただの支配だ」
──そして、式典は中断された。
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