02. フィールドワークのために

 ぼくの隣で洗濯物をたたんでいる一華いちかさんは、ちょっと戸惑ったような表情を見せながらも、「いやな夢を見ていたのかしら?」と言って、ニコッと微笑んでくれた。


 ぼくは恥ずかしくなってしまい、「顔を洗ってきますねっ」と断りをいれて、障子しょうじを開き、アーチ形の橋を渡り、突き当りを、家の真ん中を貫く廊下の方へと曲がり、いくつもの畳部屋がふすまをあけているなかを、洗面所へと急いでいった。


 開け放たれた玄関を閉ざす、龍のものの入った衝立ついたての影で、綺麗にそろえられた白い毛が美しい「ひな」という名前の猫が、あおい目を光らせている。


 ぼくはしゃがみこんで、ひなの背中をでた。するとひなは、大きなあくびをして、手の間に顔を落として眠ってしまった。


 ここが親戚の裕二ゆうじさんの友人の、広崎ひろさきさんの家であるというのに、堂々と昼寝ができるまでくつろげてしまうのは、毎年のようにここを訪れ、一週間近く寝泊りをさせて頂いているからだ。


 いま住んでいるところから遠方にあるこの地域で、フィールドワークを行う期間、どこか格安で泊まることができる場所はないかと探していたところ、親戚の友人という、まったくの他人の間柄ながら、広崎家の方々が快く迎え入れてくださることになった。


 もちろんそれは、のおかげでもあるのだけれど。


 ひなの隣に体育座りをして、明日の予定について考えていく。さきほどの夢の記憶を、振り払わなければならないという思いがあった。そうしないと、に対して、申し訳ない気持ちになってしまうから。


 明日は朝九時から村長さんにインタビューをさせてもらい、午後からは町の中心部にある郷土資料館で、未公開の史料を閲覧えつらんさせてもらえることになっている。


 郷土資料館に向かう途中に、先祖をまつるためだけに建てられたお墓が密集している村の墓地がある。少しだけ立ち寄りたいと思っているのだが、そんな時間はあるだろうか。


 民俗学を学ぶ大学院生になり、この町から少し離れた山奥にある村の、先祖の供養くようにまつわる風習について調べることになるなんて、高校生のときには、思いもしなかった。


 いま思えば、民俗学を学ぶきっかけになったをしたのは、いまのような夏真っ盛りのことだった。そしてぼくが、自分でも気付いていなかった本性を自覚したのも、そのときのことだった。


 仏間のとなりにある、ぼくが寝泊りをしている客間に入って、手枕をしながら、あの夢のことを忘れようと、波子なみこと別れたあとの記憶を、ひとつひとつ思い返していく。そうしているうちに、あの夢のことは、綺麗さっぱり忘れられると思ったからだ。

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