残響、それは感情ではない
イングリッシュティーチャー翔
第1話『ダンボールの中の声』
――きゅぅん。
そのかすれた鳴き声は、雨の音に呑まれながらも、耕造の耳に届いた。
朝の散歩道。小さな公園の隅、ゴミ捨て場の隣で、古びた段ボール箱がぽつんと置かれていた。
箱のふちが濡れ、傘もかけられていない。
耕造は足を止めた。
「こんなとこに……お前、なんで……」
中を覗くと、小さな子犬が震えていた。泥のついた毛並み、冷えきった体。だが、その目だけは真っ直ぐだった。まるで、耕造の奥底をのぞき込むように。
――ああ、この子は、誰にも捨てられたんじゃない。
この子は、誰かを待っているのだ。
耕造は、自分の足元に目を落とした。
杖を突いて、左足をかばうように歩く姿。鏡の中の自分の表情すら、最近は見ていなかった。
「寂しさってのは、うまく隠せんもんじゃな……」
そう呟くと、彼は躊躇なく上着を脱ぎ、子犬を包んだ。
心臓の近くにあてると、子犬はぴくりと反応した。
「おい、寒かろう……お前、名前はあるか?」
子犬は答えなかった。
けれど、震えていたしっぽが、少しだけ揺れた。
それがすべての始まりだった。
名もなき命と、忘れられた老いの時間。
翌日、役所に届けるべきかと考えたが、耕造はやめた。
この子は、わしの残り時間を聞き分けてやってきた気がする。
その夜、小さな布団の隅でぬくもりを分け合いながら、耕造は静かに名前をつけた。
「ポチ。……なんのひねりもないが、それがええ」
ポチは、うれしそうにしっぽを揺らした。
何も知らぬまま――しかし、すでに心だけは、深く耕造に根を張っていた。
雨は止んでいた。
だが、耕造の心には、あたたかい水音がずっと響いていた。
それが、「残響」のはじまりだった。
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