江戸のアントワネット

あかいかかぽ

第1話 お照、口入れ屋に行く

 江戸は寛政かんせいのころの話である。


「住み込みの奉公先、いますぐ紹介して!」


 口入れ屋に飛び込むなり、おてるは声を張りあげた。

 あいにく先客があったので、口入れ屋の千太郎せんたろうはおもての床几しょうぎで座って待てと目配せを送ってくる。

 ところが先客の女はくるりと振り返ってお照に案内書きを見せた。


「これなんかどう」


 女が見せてくれたのは月極つきぎめめかけの条件書き。容姿不問、若ければ若いほどよし、とある。

 目をぱちくりさせたお照に、女は畳みかけてくる。


「悪くないよ。田んぼの中の一軒家に住まわせてくれるんだってさ。よっぽどかかあが怖いんだろうね」


 女は数枚の紙を比べて真剣な顔で吟味ぎんみしていたが、条件に合うものがなかったようで、細いため息をついた。

 お照は妾に、しかも月極になんかなる気はない。


「料理屋とか商家の奉公先はありませんか」


 奉公先でもっとも人気があるのは、行儀見習いがかなう武家である。だが、人気がある分競争率が高い。

 今のお照には高望みをしている余裕はない。


「ふうん」先客の女はお照を上から下まで眺めて、「髪をちゃんとしときなさいよ。あんたくらい若かったら髪がぼさぼさでも選び放題なのにねえ、うらやましい。じゃあ千太郎さん、また来るよ」と言って帰っていった。


 ぼさぼさと言われた髪が急に恥ずかしく思えて、手のひらでなでつける。お照の髪は太くてかたくてまとまりにくく、短くちぎれた毛はとくに我が儘放題でびんのあちこちからつんつんと飛び出ていた。


「せかしてごめんなさい。でも、どうしても今日中に見つけたいの」


 千太郎は「そんなことより」と首を振った。「おとっつあんの具合はどうだい。奉公に出ちゃって大丈夫なのかい、お照ちゃん」


 お照は唇をきゅっと結んだ。


 父親が夜盗に襲われたのは数日前のことだ。持ち金をすべて奪われただけではすまず、足を負傷した。木戸が閉まった夜遅くに外でなにをしていたのかというと、博打ばくちである。そのため番所に届け出ることもできない。足は腫れたものの骨折を免れたのを幸いと、動けるようになるまで家でおとなしく休むことになった。


 だがお照の父親はしょげる質ではなかった。


「おまつさんがいるから心配はいらねえって鼻の下を伸ばしてんのよ。お邪魔虫にならないようわたしが出て行くってことになったの。博打に目がない、大酒飲みの暴力親父なんかと縁が切れるならせいせいするわ」


 千太郎は気の毒そうにお照を見たが、声音は厳しかった。


「いくらでも紹介する口はあるが、後悔だけはせんようにな。血の繋がった唯一の親父さんじゃねえか。親孝行は親が生きてるうちにしかできないぞ」


 千太郎さんの息子はたしか今年二十五になるはずだった。商売を学んでくると言い残し上方に行ったきり三年も帰ってこない。年に二三度、無事を知らせる文が届くばかりだ。


 一緒にしてくれるな、とお照は内心で叫ぶ。不孝をするつもりなど、お照にはこれっぽっちもない。

 大工仕事で稼いだ日銭で親子ふたりつましく暮らすのをよしとせず、すぐに賽子さいころの目につぎこんでしまう。たまに当ててもうちには持って帰らない。酒と肴にかえて同じ裏長屋に住む元芸妓、お松のところへ入り浸る。櫛を贈ったことも知っている。わたしには手ぬぐいひとつ買ってきたことなんかないくせに。

 お松と所帯を持つのはかまわない。甘えん坊の父親には面倒見のいいひとがついててくれたら安心だ。


 そこで、お照はいい機会だと思うことにした。近所をまわって繕い仕事をもらい、わずかな手間賃でやりくりしている娘に、「おまえ、いつまでうちにいるんだ?」などと真顔で問われたら鼻息も荒くなるというものだ。


「しかしまあ、お照さんもいい人の一人二人、もういるんじゃないか」


 千太郎は探るような目をお照に向ける。嫁に行くという手もあるぞ、と言外にすすめているのだろう。

 そんないい人がいたらどんなに気分が晴れるだろうか。

 首を振ったお照に、千太郎はにたりと笑んだ。


「いやあ、近所の縁とはいえお照ちゃんの苦労はよくわかるよ。今思い出したけどね、うってつけの仕事があるよ」


「ほんと!?」


 禍福はあざなえる縄のごとしという。お照は期待に胸を膨らませた。


「小さな菓子舗だけどね、看板娘がほしいそうだよ」


「看板娘だなんて……」


 あまり期待されても困ってしまう。器量は並みだが気働きはできるほうだと思ってはいるが。


「どうだい。いまから訪ねてみないか。わしが連れて行ってやるからよ」


 千太郎はどこかうきうきとしたようすで店を閉め、『商い中』の札を裏返した。

 前につんのめる勢いの千太郎のようすに、どこからか不安の風がびゅうと吹きつけてくる気がした。

 

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