私は一本の木

水形玲

賢者はひきこもる

  私は一本の木                                                              

                             水形玲    


 

  一


 夏の海。恋が失われてゆく場所。少女がお嫁に行けなくなる場所。

「汚れたらこういう風に生きてくしかないじゃん」

 ある少女は援助交際をしながらそう思った。「私の王子様は肝心な時に私を助けてくれなかったじゃないか!」そして彼女はもう涙がれている。



  二


 美しいはずだったTのいた大分県の空港へ、そしてホテルへ、親の金でもいいから行くべきだった。既成事実を作っていたなら。抱いていたらもう私の女だった。

 この美しい自然は誰のためにある。人を捕食する者がいないのだから、まあ人間のためと思っていいのだろうが。だって生態系は食べたり食べられたりで、人間やライオン以外は大変な生を生きているのだ。その無意味に耐えられないから、人間は「ああいうのは私たちの食糧なんだ」と思って自分を安心させようとする。

 Tは私が書いた散文詩を読んで、文学賞に応募するよう勧めた。そこに良い夫婦のような感情があった。しかし狼は処女性を頂戴するために生きている。多くの者は刀に生まれつく。しかし私は筆に生まれついたらしい。筆なんて風雅だけど、刀に生まれていれば身体拘束などされずに殴りかかっていたかもしれない。そして私の侍魂に共感してその場で味方に付く精神科看護師もいたかもしれない。……

 精神科病院の身体拘束は「国際法で禁止されている拷問」にあたる。強制入院は監禁だし、親に「入院費用」を求めるのは「身代金目的略取」である。

 日本の精神科病院の全てのカオスがイタリアやフィンランドのような平和な精神医療に進展してほしい。

 文鳥のポックは優しい鳥だった。たったの十ヶ月でこの世を去った。やはり霊はいるのか。霊がいないと、高級霊についてのRさんのブログの記事が現実に適合しない。私が高級霊で、低級霊に嫌がらせをされており、その他、生き上手に見えても高級霊ほどではない中級霊達もいる(普通人のことである)。現世の心と霊界の霊は同じものだということである。

 ……いや、高級霊がいる必要はないじゃないか。我々は医者から情報をもらって「どうしたら成人病にならずに済むか」を勉強すればいい。分裂気質者はアヒルではなくツルらしいのでまあいいや。

 溜め息をつきながら、私は薄いアイスコーヒーをコップについだ。今日は鈴原さんが午後三時に訪問に来てくれる。貴重なオタ友なのである。話が弾む。

 最近だんだんQOLが高くなっている。ひげは男のエロスだというから剃る必要はないのだが、なんとなくつるつるにしたくて、剃っている。第一マスクで隠れてひげ自体見えづらい。

 私の武器は筆である(今の時代は「指」?)。「ペンは剣よりも強し」と言う。精神科病院のことを書き立てれば、彼らは刑法犯(監禁、暴行など)を行なっているから、時代が進むにつれて、イタリアの「地域精神保健センター」と同様のものに仕事を替えなければならなくなるだろう。


 エラン・ヴィタール。

 これこそが答えだと思った。黒糖もおかきもラムネも食べたいのだ。どれも食べたっていいのだ。どこかでマイナスエネルギーが入るはずだから。エロス。川野さんと営んだエロス。「一回だけ」という魔法の言葉。それはSという文通相手から学んだ言葉。


 人生の虚しさがなくなった。エラン・ヴィタール。濁り酒を買ってきて冷蔵庫に入れてある。昼ご飯はスパゲティ。底なしの苦悩を味わった私はまあそれで何かを得たわけでもないのだが、ちょっと辛かったね……

 川野さんからショートメールが来る。

(お仕事中?)

(うん。さっきアロエヨーグルトを食べたら美味しかった)

(w)

(統合失調症も峠を越したようで、「エラン・ヴィタール」をスローガンに頑張っていますよ。エラン・ヴィタールは豊かな生命力みたいな意味。フランス語)

(大学時代、フランス語難しかったでしょ)

(超むず)

 そしてあと五分くらい話して、会話は途切れた。

 人生なんてドラマチックじゃない方がいいのだ。

 私は大鍋を洗うのを嫌って、フライパンに二つに折ったスパゲティを入れて茹でた。茹で時間七分。ミートソースという王道メニュー。大変美味だった。私は何のために生きているのだろう。七月、今の時期の空気がぬるく芳しくなる、そして私と川野さんは思い合っている、そういう感覚天国を体験するためだ。そういう時(人生は素晴らしい)と思っている。QOLが高くなって良かった。無理にやせようとするよりエラン・ヴィタールのはたらきによってやせる方が早そうだ。マイナスのエネルギーを得る時(まあ例えば二十回のスクワットとか)もある。



  三


 ラムネを次々と解いて口の中に入れている。甘酸っぱく、そのうち飽きてくる。(私は何のために生まれてきたのか)といった虚しい思惟にも落ちた。何のために生まれた? そんなの決まってる。毎日の食事、日用品を買うための金を稼ぐためだ。私には野田さんという女性編集者が付いて、いつも私の部屋の私の後ろの座卓に着き、執筆を監視していた。

「ちょっとお腹減りません? ミルクティーでも買ってきてあげましょうか」

「お茶があるからいいです。今、甘いもの飲みたくなくて」

「そうですか」

 セクシーに脚を崩した彼女の方を見ると、彼女は頬を赤らめているようにも見えた。私は川野さんから学んだ口説きの技術を使用して、野田さんを落とした。いい女でもないけど、本当にいい男はブスにも優しいと言うじゃないですか。

 そして彼女は散った。そのあと「お小遣いあげようか?」と言うので、「いや、そこまで困ってないです」と言って差し止めた。私は「コンビニに行ってきます」と言って二リットル入りのミネラルウォーターを買いに行った。何となくチキンも買い添えた。チキンを憧れるように見つめた野田さんに私はそれをあげた。ミネラルウォーターは甘露のごとく良い味がした。もともと裕福な家に生まれた私には、両親とも「高校生になったんだからアルバイトでもしたらどうだ」の一言もなかった。金に甘い家だったので、ついに五十一歳になるまで、アルバイトを短期間やった記憶が残るだけだった。でも小説を書き続けたことは正解だったのである。ようやく統合失調症の寛解が夢ではなくなった。お笑い芸人のハウス加賀谷さんのように一つのことをずっと続ければ、あるいは寛解も。


 体の中が汚れたので自動販売機の緑茶を飲んで癒した。つらさは三分の一くらいになった。人生は色々と面倒で。女を抱く前のシャワーも面倒で。

 川野さんが来たので私は「コージーコーナーの苺ショートあるから、半分づつ食べよう」と言った。彼女は座卓にあるインスタントコーヒーを求めた。私は彼女がマグカップを持っているさまをスマホで撮ってアルバムに収めた。

「私たちは一回きりの筆おろしをした側とされた側。このまま女友達と男友達っていう平和な仲でいたほうがいいんじゃないかな」

 川野さんが言った。

「そうだね。絶対その方がいいよ」

 私は答えた。

 そして私はいつの間にか幻聴が幻聴であること、私の妄想の妄想であるところを理解した。だからこそ、もう六年間飲んでいる薬に期待をかけたし、妄想がなくなったのも薬のおかげかもしれなかった。ただ、私はそれでも日本の精神科病院は、イタリアの地域精神保健センターのような穏便なものに変わらなければならないと思った。

 ノートPCで西村由紀江の「セレナーデは夢のなかで」をかけた。川野さんは「かっこいい曲だねー」とひとこと言うのみであった。伝説級の曲はこういうものである。

 人生なんて、何のためにあるんだ。

 私にとっては川野さんと話したり、カップヌードルカレー味を食べたり、Xをしたり、豚バラ大根を作ったりするためだった。わりと豊富だ。

「子供が病気になったら、どうしたらいいと思う?」

「僕が言えることは、『医食同源』くらいかな。この言葉は『悪い薬は使うな』っていう意味にもつながっていく」

 川野さんはカロリーメイトのフルーツ味をひと箱置いて「じゃあねー」と言い、去っていった。

 私達の人生は、歳を取っただけ平和になり、知恵も身に着けた。人の役に立てる井川宏でありたかった。


 人の世の虚しさ。そんなものは一流企業や優れた町医者のような所にはないはずであった。歳を取って知識、教養は増していく。でもまあ、何ですかね、私は小説家だから、文学のこと以外はあまり言わない方がいいのかもしれないけど。

 中村由利子のプレイリストを聴きながら書く原稿。キーボードを叩く私が喜んでいる。

 少年時代に、日曜日には駄菓子屋に行ってニッポーのシャンペンソーダとか、蜜あんず、麩菓子その他を買って楽しんだものだ。友達は小学校時代には少なくなかった。中学時代になって対人恐怖症になった。しかし百点を連発した。私の人生は精神障害と別れるための人生だ。……さて、ちょっと自動販売機でジュースでも買ってくるか。

 この世界は案外楽しい。順境に入ったのだ。作風も楽しんで書いている井川律に戻った。まるで作風が優しい猫の絵に戻ったルイス・ウェインのように。

 今度牛鍋でも作ってみるか。国産牛、絹ごし豆腐、ホウレンソウ、ホンシメジ、白滝を単に水で煮る。付けるものはポン酢醬油よりは胡麻ダレの方が美味しいかもしれない。



  四


 腐敗していた全てが蘇ってくる。つらすぎるために私が呪った「世界」に対して慎みを持って陳謝した。カップ焼きそばを買ってきて食べた。世界は日常に還ってゆくだろう。

 昨日まで私は木であった。ようやく人になった。思春期を木のまま過ごしたなんて、やり切れない。人の世の苦しみを味わった。三十八年間精神障害が続くとはどういうことなのか。通常そのベースは親からの虐待による心的外傷が原因だと考えられている(フロイト派の見解)。いったいこんな人生に意味などあったのか。いや、ない。

 まあ、二十代の女を抱いて、溜め息をつきながら生きていこう。精神科病院で身体拘束を受けたのも一度や二度ではない。もう楽観的に生きるなんて無理なのだ。性的暴行を受けた女性が二度と笑って生きられないのと同じように。

 人生とは何だ。それは不正義と和睦することだ。ただ、私の心的外傷は多く、和睦どころではないので、ただ部屋でXをしたり、アニメを見たり、短編小説を書いたりしている。父から児童虐待をされたことが私の心に障碍を与えた。社会の第一線で活躍するはずだった分裂気質(貴公子キャラ)の遺伝子を持つ私も、父からグチグチ言われ続けると、「俺は共学の城東高校に絶対行く!」とさえ、言えなくなって、男子校に行って灰色の青春を過ごした。

 でも、美味しいコカコーラゼロ。キーボードから文章を打ち込んでいく。野田さんが一時間後に来るというので、原稿を書きながら待っていた。野田さんは「モツ煮好きだったでしょう。買ってきたわよ」と言って、炊いた麦ご飯の上にかけてハシと一緒に出してくれた。「五万円あげるから、また抱いてくれないかな」というので、「そうですね。美人美男はオナペットですもんね。抱いたり抱かれたりしてこそ大人ですね」と言って、一万円札五枚を受け取り、モツ煮ご飯を食べてから野田さんのお腹を彩った。


 長く長く綴っていく文章。だんだん自分がわからなくなり、新興宗教の教祖が、嫌いな内向感覚タイプの私を見ている理由も知れないままだ。

 永遠、奇跡、輝くもの、そのどれも分裂気質者は懐に入れているようだ。T(お姫様)と一緒になっていればもっともっと多くの永遠、奇跡、輝くものが手に入ったはずだった。これから本当の恋人を探して、それらを……しかし、Tは唯一無二、これからどんな素敵な恋人ができようともTには及ばないのである。失われたものの再生という文学的な主題。


 野田さんとだらしなく絡み合うという、ありがちな小説家と編集者の肉体関係。時々二十代の子を見つけて口説いて寝たりもする。私は変わった。女を知らなかった頃の私は頼りない羊であった。この前タイムの粉を買ってきて、豚小間に塩と一緒に擦り込んで焼いた。「豚小間のタイム焼き」。

 人生のつらさがとても少ないので、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)となる。 

 メロンを買ってきて、キッチンで果汁を垂らしながら貪り食べた。一個で約千円であった。情熱を冷静から知ろうとしても、冷静を情熱から知ろうとしても無理である。私は障碍者でもこういう自分に生まれてきたことが幸せであった。

 今川焼は浅草にでも行けばありそうだが、最近のスマホのアカウント登録の要求や、頻繁な広告の表示が、今川焼を食べたいという願いを崩してしまう。

 まあ、いいのだ。たい焼きなら西友の横で食べられるし、何よりコカコーラゼロなんてどこにでも売られている。人は自分の運命に責任を持つというよりは、やはり神様がしてくれたことが九割なのではないだろうか。感謝の至りである。


 基本的に私のしていることは敵対だったが、日本の歌がやっていることは融合なんですね。私はダメダメだという感じがしますね。でも今日から融合の線でやっていくことにして……

 世のめぐりが私に映画のチケットを二枚くれたので、川野さんと一緒に見に行った。小説にもオーソドックスとオルタナティブがあると思った。世の中とケンカばかりしていた私なら、そろそろオーソドックスな小説を書いてもいい頃かと思う。

 部屋に帰ると眠くなった。たらこスパゲティ……それは駄目だ。食べすぎるといびきがつらい。私はノートPCをシャットダウンして布団を敷き、タオルケットに包まれた。癒される木綿のタオルケットの感触と匂い。そして私は二時間半眠ったのだった。

 そしてまた眠って次の日。移動支援の係の人と一緒に買い物に行った。買ったのは春キュウリとはんぺん、豆腐だった。体に良いものばかり(?)。夕方、はんぺんをクックパーの上で焼いて醬油を引くと、これが大変美味だった。

 私と、似たもの夫婦になりそうな地域のオタクの女の人とこの町平井で出会えたら……ありえないことでもなさそうだ。



  五


 幻聴の声は常に演技であった。間違った考えを引き起こすためである。そんな演技も演技だと流せるようになると、だいぶ楽であった。

 人生の虚しさ。私は人生肯定賛歌より、人生に対して否定的でありたかった。こんなにも嫌なものが人生であった。Tとも別れなければならなかった。

 人生は否定的なもの。その中で幸せが輝く。だから人は「有難う」と言うのではないのか。

 人生はつまらない。そう思ってガストにナンパに行き、万札を見せ「5万でどう?」と言ったら、簡単に落ちた。二十代の女はまだくるしみというものを知らないらしく、ふわふわしていた。その分快楽に従順だった。

 五万円を渡して二人でマンションを出て、駅改札前まで導いて、「じゃあね」と言って終わり。

 最初からこうしていればよかったのかな……

 まあ、人生に意味などないのだ。私は焼き鳥の日本一でカシラハラミ串を一本買って、駅前広場で食べた。

「小説家は最後の職業」(村上龍先生)。ツキに見放された後にそれを取り戻しただけで、……まあいいか、ありがとうね運勢さん、あんな感じでいいんです……


 しかし私にはナンパが身に着かなかった。どうも「シマ」というものがあるらしく、ずっとナンパをしているとそのうち暴力団が出てくるように思われた。

 今日も目覚まし時計の音で目を覚まし、山口組は任侠だからいい組、というのが甘い夢なのか、奇跡の真実なのか、どっちなんだろう、と答えが出ないままにトイレに行き、鮭茶漬けを食べた。人生とは。くるしみだ。ただ、病床に切ったメロンが添えてもらえるみたいに、くるしみばかりではないこともまた真実だ。

 私は何に魂を預けたのか。精神障碍者通所施設カトレアと、グループホームきららだ。そのボスがあの川野さんだ。

 人生なんてつらいことばかりで。しかし以前救われたことがあった。即身成仏と至高体験を経験したのだ。

 救いは偶然来るだけであろう。救いを呼ぶために私達は何もできない。

 塩、コショウのハンバーグを作って食べた。

 野田さんと泥沼のようなセックスをした。またくれたのは三万円。

「今お金なくって」

「いいですよ。私達は運命共同体ですし」

「肉体も一つになった」

 私は何も言わなかった。ある女性によると知的でクールだそうである。

 この世界の半分(表)しか知らなかった。裏は、山本爺さんと付き合っている限りは間接的につながっていたのである。でも山本爺は逝去した。

 原稿を書く。野田さんはコーヒーを飲みながら書類を見ている。

 今回の作品はどうなるだろう。まあ、どれもこれもいい作品だとは思いますが。人生なんて、トルエンやマリファナを体に入れなければそこそこの終わり方ができるだろう。拳銃は要らない。ライフルも要らない。拳銃やライフルで遠い遠い場所にいる敵(指定暴力団の構成員)を撃つことはできない。

 私はカトレアやきららに所属していて、他の「組」に行くことはできない。一生カトレアときららにいるつもりだ。

 私がどれだけ人を感動させても、有名歌手や暴力団のカシラより上になったわけではないのである。勘違いしたわけではないのだけど、霊聴が煽るので「法の下の平等」と言ってしまっただけである。煽られると口を尖らすのが私の悪い癖だ。

 この世界もそう悪くない。私はそう思った。人はメンツを潰されないようにしている。私は分裂気質者なのでそういうことは関係がなかった。「知的でクール」ならメンツはほぼいつだって潰れないだろう。何はともあれ、私が性体験に生き急いで純潔を捨ててしまったことが本当に正しかったのかどうかが疑問だった。

 私はただ名を広めればいいのかもしれなかった。


 今日の夕飯は野菜炒めにかつお節を振ったものと、ポークステーキだった。人生は嬉しいものだった。私が自然界から贈られたギフトは美しい顔と高い知能、文学の才能、もともと左利きの手と右脳型の脳、細くて長い指など、いろいろあった。

 私はただ名を広めればいいのかもしれなかった。

 明日はコモディイイダで希少部位の牛肉を買いたいと思った。あるとは限らないけど。希少部位はサーロインより安い傾向がある。



  六


 旧作アニメを見ていた。みんな見守ってくれていたのだということがわかった。ただ、見守られていることに気が付いていない人、つまり木は、秘密を隠し、いやがらせのクラクションに腹を立ててガラスを割ったりしないようにする必要があった。そしてそれは精神病などではなく、味方に見守られてスッポンに吸い付かれているというハンサム君にとってはどちらかというと当たり前の事態なのであった。

 なかなかロマンスの相手が見つからない。何でこうなるかな。いつか久川さんが言ってた。井川さんは「近寄りがたい」って。

 人生はつまらない。私はもてない男ではないので、男同士傷を舐め合うということができない。その分いつも男からは「何か」されているようだ。

 私は上手くグループホームきららや精神障碍者通所施設カトレアに収まり、良い心地であった。

 キリスト教の教えは「金持ちは天国に行けない」というものであり、私が商業小説を書いている限りは大きな苦しみが続いた。罪を犯しているからサタンに引き渡されていたのであろう。

 まあ、大体オクラの味噌汁とか、パック入りのタケノコの土佐煮なども美味しいものである。時々サーロインステーキを食べれば良いのだ。

 私は小説家をやめ、笹川さんという三十代の女の人のところへ転がり込んだ。毎日のように愛を営んだ。笹川さんはローズヒップのゼリーを作ってくれた。砂糖も少し入っていた。笹川さんは私にとって理想的な女性だったのだけど、私はまだ処女を知らないので、その辺はどうしたものなのかなあ、といつまでも悩み続けた。

 ある昼、笹川さんはたらこスパゲティを作ってくれた。美味だった。笹川さんのきらきら光るガラスみたいなところと、私よりだいぶ若いことを喜んだ。

 松乃屋へロースカツ定食を食べに行く。しっかりとした料理である。松乃屋さんはきれいでいい。私は感覚タイプだから人の汚さを極度に嫌うのである。まあ私だってイエス様とは違うのだから、罪は犯しました。ただ、カルマは低い感じ。

 人生の虚しさが満ちて、なぜそうなるのかがわからないまま、私は直感でしか理解できないものが「嫌だ」と思った。そしてある朝私は燃やすごみのゴミ出しに行った。霊感があっても目に見えないものを感じ取れないのでは片手落ちであった。

 痛風の前駆状態なのをイエス様が半分癒してくださった。ありがとうございますイエス様。

 人生はつらい、つらいと言わないでカラオケを歌ったり、宴会に興じたり、笑顔を作ったりするのが彼らの戦法であって、敵に勝つ戦法そのものなのではないかと思った。


 でも、笹川さんのところから自分の部屋に数日ぶりに帰って、重い症状を経験した。主治医の先生は「妄想が減ると症状も減る」とおっしゃっていた。それを実践したら、苦しさがだいぶ減った。これだ! と思った。主治医の先生さまさまであった。

 妄想を生じ、助けてもくれないキリスト教を信じるのはもうやめようと思った。アメリカやカナダに行って「幻聴のタイムラグが発生した」という報告をした人がいると聞いたことはない。だから体の外の何かが原因ではないのだ。「一瞬で到達するスカラー波」がない限り。

 八月。夏真っ盛り! スイカ一個を買ってきて、切って食べた。切ったスイカをスマホで撮ってXに上げた。ノートPCから聞こえてくる西村由紀江がエキセントリックだった。

 原稿を書きながら鶏ムネ肉を焼いたものをハシでつまんで食べた。私の生業は小説。今年入ったお金の総額は一億一千万円くらい。人生は行動主義心理学で解明されている。頼りになる行動主義心理学。

 人生なんてと思った。でも成功体験が私を引き上げてくれた。人生、そう悪くない。

 それで、私はついにパン屋の二十代の店員にメモ用紙を渡された。

(井川律さんですよね? 私と結婚してくれませんか? 私も顔には自信があります。年の差婚だから、一ヶ月二十万円くらいはお小遣いがもらえたらなあ……なんて、甘いですか? ちなみに体験はありません)そして電話番号と名前(黒沢佐由利)も書いてあった。

 おー、来た来た! こういうのを求めてたんだよ!

 金持ちって得だよな。金持ちになるにも三十年くらいの文章の鍛錬を必要としたけど。


 そして私達は地味婚をして、一応長兄、母、私、佐由利ちゃん、吉本先生の五人で披露宴みたいなものを営んだ。

 揚げ春巻き、美味しかった……



  七


 私は外向的な、中身のぐじゃぐじゃみたいなものを扱わない性格になった。ドラゴンボールやワンピースが内面描写をしないわけである。でも、全王様とか、感動を呼ぶんですよね。鳥山明先生も「高度に熟練される」とこうなのかな、って思って。

 エヴァンゲリオン完結編も、ああなって。奇跡のハッピーエンドで。

 今日は土曜日。ステーキ肉を買ってくる。あと、小ネギとおかめ納豆。しそ昆布も。

 中村由利子さんの曲が寂しく響く。しかし「賛歌」はそれらとは違った永遠の響き。

 私は人生を手に入れた。内向型はマスターしたので、外向型もマスターしないと。

 永遠、輝くもの、奇跡。

 どれも取り入れた。

 人生はいよいよ後半。分裂気質者の人生は後半が幸せなものになるのだという。

 鍛錬の結果、我々の響きは深刻なものになる。さらにその先はどうなるのか。

 神保町の夕方。そして秋葉原。私の人生の中にあった神保町と秋葉原(三省堂書店本店はまだ出来上がっていない)。学生時代、三省堂書店本店の裏手にシャノアールがあって、紅茶クリームの挟んである紅茶ケーキを出していた。

 しかし私の青年期は「青年期平穏説」のそれではなく、「青年期危機説」のものであった。完全に収束するまでには三十年ほどかかった。ひどい話である。

 秋葉原に通ってたこ焼きを食べたり、カクテルを買って飲んだりしていた私は何だったのだろう。まあ霊に憑かれていたのだと思うが。のんびりしていたんだよね。駅ビルでリンツのミントチョコを買ってホワイトデーに贈ろうと思っていたのだが、自分で食べてしまった。

 金持ちになり、佐由利ちゃんと結婚して、ふた部屋のマンションに入居した。

 文句など何もない。

 皆さまありがとう。

 おかめ納豆を買ってきて、刻んだ小ネギと混ぜて、丼の中の麦ご飯に混ぜて食べた。分裂気質者が一番大事にしていることは栄養学と医学である。体が資本。絶対に病死ではなく老衰死(苦しくない死)がしたい。そのためには糖分、炭水化物を抑えた、野菜中心の食生活を心掛けなければいけない。

 臆病? そうです。苦しみながら死ぬなんて御免です。そうならないためにはピーマンでもブロッコリーでもシイタケでも食べます。栄養のために。

 冷凍室に入れておいたあんずボーがとても美味しかった。あと二十分くらいで鈴原さんが来るので、私は原稿のテキストファイルを閉じて、Xへ移った。

 コカコーラゼロを飲みながらXのポストを書いた。(従順な分裂気質者は、人々には随分扱い易かろう)ピーマンの肉詰めも作ったし、茄子の味噌炒めも作った。大根の味噌汁も。従順にしている理由は三つくらいある。(1)面倒ごとが起きない(2)好印象を持たれる(3)要求を通しやすい

 人生がだんだん楽しくなってきた。パワーオブレトリック。スルー・レトリック。キンモクセイの季節とジンチョウゲの季節を越えて。ファミリーマートでスパイシーチキンを買って食べたり(あのとても軟らかい肉)。

 できたことは楽天の注文だけなのだが、それでも自信が付いた。学習性無力感の理論(「学習性無力感が一度身に着いた個体でも、成功体験をすると学習性無力感は弱まる」)は本当であった。学問万歳!


 佐由利ちゃんには一ヶ月三十万円のお小遣いをあげた。彼女は昼はいつも外食をして、時々「出前館」に注文した。

 二人はプラスチックのような(?)二人になっていったけど、生まれた子は大切に育てた。佐由利ちゃんがシャドウ優先の人なので助かった。私の仕事にファンデーションのように厚塗りしたペルソナは、私の小説がなかなか日常生活を表に出さないことを意味していた。

 午後七時にチャイムが鳴らされ、佐由利ちゃんが楽天から電動かき氷器を受け取った。

「氷ある?」

 佐由利ちゃんが訊いてきた。

「ちょっと待って……ない。今から作る?」

 私は答えた。

「よろしく」

「製氷皿ももっと買ってこないとね」

 日常がどれほどありがたいことかと思った。日常のこちら側は多分街の「変電設備」とか電柱の上の方にあるガイシなんかで守られているんだ、と正しいとは限らない考えを抱いた。でも科学とは多分そういうものなのだ。文系の私にできることは一般的レトリック(「彼は石だ」「彼女は卵だ」「焼き芋は高い」など)より早く身に着けた詩的レトリック(「海がきらきらと光って、あの子とは一緒になれない私を慰めてくれた。彼女はただ何とはなしに純潔を失って『もう私はあなたと交際する資格は持っていないんですよ。残念です』と書き送ってきた。私はそんな彼女に、メロンソーダで脳にブドウ糖を入れながら、スマホで最後のメッセージを書いているのだった。ああ、私はまた少女を失ってしまった!」など)を作品に込めることくらいだった。



  八


 八月。燦燦と降る真夏。

 ナツメグやタイムを集めるのは自分のセルフではなく、上品ぶった貴族的な低級霊が私の体の中に入ったのだ。霊は高級車(高級車のような体)に乗りたがるのだという。お金がかかって仕方がないから、もう高級志向はやめる。

 その瞬間、私の心が喜んだ。

 ポジティブシンキングは大事よ、とS病院にいた女性看護師さんが教えてくれた。車なんてアルトでいいんだ、と思った。(でもまだ寛解はしていないから免許は取れない)(いい車だけど)

 霊がこぞって入りたがる健康で痛みの少ない肉体、鋭い五官、上品な味覚と嗅覚、高い知能、なかなかの顔、細くて長い指、珍しい左利きで右脳型の脳、そうしたプラスの多い私の肉体。生まれた時そういうものが私のものになったのである。それを活用しないでどうする。霊にばかりは使わせないぞ、いつか追い出してやるから、と思った。霊聴を消すには酢か塩の入った風呂に入るといいんだって。前にやったら少し効果があったような……

 センスって、お金で買えないものだからね。……いや、お金を出して訓練してもらえば(ソムリエ、調香師みたいに)養われるものなのかもしれないけど。まあ自分でやるにも訓練してもらうにも、やはり鍛えなければ養われないものがセンスである。


 人生なんてまあ長々と退屈が続くものと思っていた。でも家庭用ゲーム機が発売され、夢中になった。大学は私の単位の面倒を見てくれなかった。

 意味、ないのです。私のかつての青年期は。

 佐由利ちゃんが来て半袖Yシャツのお腹のところを指差す。

「赤い」

 佐由利ちゃんは言った。

「ローズヒップ。ワイドハイタープロで消える」

 私は答えた。

「スマホでもやるわ」

「うん」

 私はまた机の方を見て執筆作業にとりかかる。佐由利ちゃんはスマホをやっている。

 時間が経ち、私は美味しいからではなく豊富すぎる栄養のために食べているリンゴ(歪んだリンゴは美味しい)を冷蔵庫から取り出して食べた。

 二人ともあまり料理を作らない。出来合いのものを食べることが多い。私には霊が憑いていて、佐由利ちゃんには憑いていない。

 霊のこと詳しくなるのって楽しい……キリスト教だけはもう私に対する興味は絶無であるみたい。霊の勉強でもうちょっといい生活ができるかと思う。


 そして私はアニメファン・ゲームファンに戻ることで霊聴を大幅に減らすことができそうだと思った。前はそういう生活してたんだもの。

 それなら小説にアニメ要素でも加えないといけないのかな……

 でも、「舟を編む」っていう三浦しをん先生の小説、アニメ化されてるけど、別にアニメ・ゲーム要素なんてなさそうじゃない? 「正解するカド」っていうアニメの原作も何か普通のSFな予感……

 ま、いっか。悩みなど意味がないだろう。

 そして私は虚ろになりかけたが、ポジティブを思い出して、「明日はプライベートブランドのソーセージ……」と思って、自分を力づけ、少しの間横になるのだった。ゲームならフリーソフトが一番だと思った。

「悪人は明るい顔をしている 善人は暗い顔をしている」僧侶の言葉。

悪い霊は八十年代の「ネクラ」というものを、ユダヤ人を抹殺しようとするヒトラーのごとく、この世から消したいのだと思う。だったらお前らみたいな外道がまずこの世界から消えろ。


 私はある漫画家の先生に助けられた。「多くの人は人生が途中で行き詰まる」のだということを、伝えてもらった。私はとりあえず行き詰まっていない。ただ霊がしつこいだけだ。

 さて、ここまで来て私はシャドウ(ユング)をまとわなければならないことに気付いた。シャドウとはほぼ素朴さのことである。ペルソナはキラキラ。

 今日は買い物の前にヴィドフランスに行ってパンを食べて、アイスレモンティーを飲もうか。この世界の困難(霊)に触れて三十八年。佐由利ちゃんは難しい顔をしてスマホに向かっている。

「カツ丼頼まない?」

 佐由利ちゃんが言った。

「サラダも頼もうよ」

 私は答えた。

 経済的に心配のない人気小説家になれて良かった。

「賢者と結婚して良かった」

「ありがとう」

「私は何だろう」

「戦士かな」

「剣、持ってない。いわくつきの品じゃないと、銃刀法で登録できない」

 やがてカツ丼とサラダが届き、お金を支払った。

「宏さんは現金派なんだね」

「スマホで支払うのって、登録がめんどそうで」

 カツ丼とサラダを平らげると、私はありえない虚しさを感じてしまった。そんな自分が嫌で「ちょっと自動販売機行ってくる」と言ってコカコーラゼロを買いに行った。

 蝉の声。暑熱。一番好きな季節・夏。ゼロのアップルティーなんかもコンビニで売られている。私は高級霊たちに認められ、怖がりの低級霊を遠ざけるために一生懸命原稿を書いた。

 野田さんが来て、座卓の向こうに陣取る。

 私は視線を感じながらすらすら書いていく。

 まあ、そういう三十年にもわたる文章修行あっての今の人気だ。今年は既に二億円程度の印税が入っている。

「井川さん、ちょっと休憩しませんか」

 野田さんは言った。

 腕時計を見ると二時四十五分頃だった。

「はい。アイスレモンティーお願いします」

 私は答えた。



  九


「でも、こうして毎日同じ仕事してると、だんだん気持ちが落ち着いてきます」

「それは良かった。一時は霊達にやられてつらかったでしょう」

「それも過去のことになりました」

 佐由利ちゃんが冷蔵庫からシュークリームを取り出して、机の上に置いてくれた。私は、ありがとう、と言って手を休めた。そして野田さんが氷とレモンティーの入った背の高いグラスを置いてくれた。

 野田さんとのどろどろの情事は過去のことに。

 シュークリームは見る間になくなり、アイスレモンティーは氷だけが残る。

 私はXに移り、いくつかのポストを投稿した。

 もっと早く霊だと気付いていれば……

 私の目に涙が溜まり、それをティシューで拭いた。

 ネットで西村由紀江の伝説級の一曲「セレナーデは夢のなかで」を聴いた。そう、世界はこうして深刻な何かに包まれているようではあるが、それだけでもない。健康に気遣って年老いれば、まあ人生悪くはない。最後は苦しみの少ない老衰死である。

 かつて私には三人の重要な文通相手がいた。そのうちでもTが特別な少女だった。年は十七歳だった。私は彼女から「永遠」も「奇跡」も「輝くもの」も全て受け取った。彼女はペンネームの変化から、汚されたものと思われたが、まあそれは思い過ごしかもしれない。

 人生はそうして苦水を飲ませるので、私達はだんだん人生嫌悪症に陥っていくのである。人生などもう要らん、と思うようになる。

 だから、せめて作品だけは技巧を凝らしたいいものを作ろうと思う。

 その生きる心持ちが限りなく失望に近くても。


 まあ、人生なんてもともと何の意味もないのであり、期待する方が馬鹿だ。

 ……でも、川野さんや久川さんという友がある。希望はある!

 私に破壊的選択をさせている者は未成仏霊だ。絶対買っておいた方がいい本を買わせず置いたり、大切なTに対して、他に男がいるんじゃないですか? という一文を手紙に含ませて恋を終わらせてしまう。

 それでも川野さんや久川さんや福田さんや細野さんや松川さんや鈴原さんたちがいる!

 私の人生、合格!

 そして訪問看護の女性が来て、雑談などしたのだが、私は「古代ギリシャの頃から統合失調症は病気と書かれていたそうです」と言った。彼女は仕事柄そういう発言には反応しなかった。私は「病識が出た」と言いたかったのだ。

 血圧は上が百三十、下が八十八だった。

 きっと人生なんてこんなものなのだ。私は夕飯に食べるはずのソーセージを平らげ、夕飯はレトルトのバターチキンカレーにしようと思った。

 でも人生は浮き沈みがあるから、まあ、またいいことあるよ!


 職業、結婚などがすべて「生活システム」の中に込められており、それは本来病気などではないのだが、児童虐待を受けた私のような者の場合、その傷が悲惨であるため、まず傷の治療と、四歳児頃のこころの発達をやり直すことが必要だった。だから、大人心に逃げ込んだ私は、「本能的存在」と話をつけられるほど成長しなければならなかった。子供の心の頼りないこと、人に頼っちゃいけないという縛り(本来これは必要ない。自分の顔がイケメンなのはいくらでも自慢していい)……

 僕は最近買ったファインナノバブルを佐由利ちゃんと交替で使って、「すごいね、ポツポツ毛穴がきれいになった」とか「肌も髪もしっとりする」とその素晴らしさをほめ合った。


 私は善の使者であったので、悪に傾きかけている者を正した。悪というものが本当はどれだけ嫌なもの、迷惑なもの、理不尽なものなのかということを彼に伝えた。わかってくれたのかどうかはわからないけど、まあ、中級霊格なんてそんなもの。あまり期待しない方がいい……

 中級霊格がより高く引き上げられる時がある。それは高級霊に出会った時。地味なことがどれだけ大事かを彼らは知るのである。そして「そうすれば簡単に生きられるわね」と思って彼らは私についてくる。

 まあ、人生は試練と思ってやり過ごしていくしかない。幸せになると私は小説が書けなくなる性分だった。

 人生なんて。

 スイカを買ってきた。八等分にカットし、ふた欠け食べた。人生なんて何の意味もないのだ。私の歴史を知って佐由利ちゃんの重みが増した。重みは、あった方がいいとは限らないところが怖い。佐由利ちゃんが来世に高級霊になって低級霊からまつわり付かれたらどうする。高級霊でも児童虐待家庭で虐待されない限り、精神障害にはならないみたいだけど……

 佐由利ちゃんが帰ってきてこう言った。

「ギリギリ?」

「そんなことない。ましな方」

 私は答えた。

 ガンダムジークアックスにシイコという色気のあるキャラクターが出てくると知ってさっき第一話を見たところだった。

 頭の良さは強さだから、未成仏霊をいつか打ち倒せると信じた。私に憑いている未成仏霊は大変頭が悪かった。



  十


 九月。まだまだ暑い。

 この世界はもともと霊聴が聞こえたり、特別なテレビ番組を見せて青年を癒したりといった不思議なことがある世界なので、そういったことを証明なしに「妄想」と呼んでいる精神医学の方が間違い(疑似科学)なのである。

 精神医学が不思議世界に介入しておこぼれをもらう、まだまだ被害が繰り返されている世界だ。残念だ。

 人生は一見つまらないのだが、友が訪問してくれると楽しい気持ちになり、QOLが向上する。私が狭く深く付き合う友は七人くらいなので、だいぶ心の支えになる。


 ただ、私はガンダムジークアクス第二話のBGMを聴くことで、八十年代の気持ち、冷戦構造の中で、暗い世界の中で辛うじて生きている気持ちを思い出した。そして頭が冷えた。私は長いこと躁状態にあったのだ。世界は暗い。そんな気持ちを思い出さなければならない。

 小説では店や品物の名前は書けても歌の歌詞は著作権料を支払わないと書けない。少々不自由である。

 ソーセージ、生ハム、ベーコン、普通のハム。こういったものが好きで、時々酒のつまみにする。

 きっと、こうやって肉を食らう、でも豚を屠る武勇の心など持たない、しまいには豚に「豚さん……」と言ってしまいそうな分裂気質の私が、日本に生きている。明日はジャガイモの味噌汁にしようか。

 ウクライナとロシアの戦争、早く終わりますように!

 結果的に悪くなかったかもしれないお父さんに、少年時代に何を食べさせたかったか、というなら、創作料理のチキンスープ(材料は鶏ムネ肉、セロリ、トマト、コンソメキューブ)だ。

 佐由利ちゃんは今日は私を求めない。二人で発泡酒の三百五十ミリリットル缶を飲んで、スライスしたサラミを食べた。エヴァンゲリオンは優しく終結した。

 私は何なのか。

 とにかく、戦地でなくとも貿易に障るので、何となく戦争を感じてしまう。

 私は何なのか。小説家だ。しかしこの世が暗いということを思い出すと、……いやそんなことはないのだ。人は暗闇にいてはいけないと皆が言う。それなら光は希望ではないか。私の霊聴はつねにうるさい悪魔だが、まあどうですかね、彼を信じるだけ損なのである。(いつもだまされるから)

 人生の意味。私にとって、文学を修めんとすること。


 その日風邪をひいた。喉に血の味がした。

 ゆめ、きらきら。暖かな港は佐由利ちゃんであった。

「缶詰あったよね?」

 佐由利ちゃんが言った。

「みかんね。メチルセルロースは入ってないよ」

 私はそう言って缶詰を戸棚から出して開けた。「坂本龍一さんがガンで亡くなったのは意外だったよ」

「私も、あの人は如才ない人だと思ってた。でもガンで亡くなった」

 食事を終えると、佐由利ちゃんは「ちょっと公園に行ってくる。ジュースも一本飲んでくる」と言って出ていった。猫と同じでちゃんと帰ってくる。


 私はハーゲンダッツ苺を食べてから執筆にかかった。

 しょせん頭が悪く下品な幻聴さんである。何てことない。

 三十八年前からこの幻聴さんと戦っていたのか。だから私は中学時代、対人恐怖症だったのだ。ようやく勝った。私は勝利者になった。サポートしてくれた神様へのご恩も忘れない。

 ハーゲンダッツに濡れたスプーン。アイス緑茶の苦み。そううつ気質と分裂気質は根本的に違うのだと思う。私は美しいと言ってもらえるけど、ビジュアル系の人みたいにナルシシスティックではない。その辺を抑えるところが分裂気質である。控え目にしてエロスを最大限に引き出すことが目的である。(あー、昨日夜中のローソン行っちゃった……)そのエロスも還暦までかと思う。人は確実に老醜を刈り取る。

 変遷していく文体。茹でてそのままにしてある卵。卵の殻をむいて正油をつけて食べた。なぜからーめん・大の正油ラーメンを思い出した。一つ一つの食材が完全にしてあるからあのラーメンはおいしいのだと思う。そして自動販売機で買ってきて冷蔵庫の中に放っておいたスプライトを取り出して速く飲んだ。人生なんてとは言えなくなっている。何と言っても佐由利ちゃんと結婚したのが大きい。歳を取っていても金持ちなら許す、と彼女は言ったのである。



  十一


 何のために生きているのかがわかった。

 それは艶事(つやごと)だ。人間も動物も虫もそうだ。

 そんなことがわからなかったとは!

 精神科に洗脳されて、薬を飲めば治るとか……

 何が治るってんだ。禁欲がだ。

 私はアダルトサイトを検索し、佐由利ちゃんがいない間に一発抜いた。

 カテゴリーはフェイシャル(顔射)だった。

 亜鉛(精力剤としても使える)がもうない。明日買ってこなくては。

 マカ(天然の精力剤)も必要だ。

 着飾って、おめかしをして、身だしなみを調えて。


 そして佐由利ちゃんは別れ話をした。

「そっか。嫌になった?」

 私は言った。

「飽きちゃった。きっと私も井川さんと同じで精神より肉欲を求める方だと思うの。だから、そろそろ別の相手に、って。深い意味はないから、恨まないでね」

 佐由利ちゃんは答えた。

 人生なんて、と思っても、他の誰を探せば……


 なかなかいないサバサバした女。

 可愛くなさそうな少女をネットから引っ張ってもね……

 でも良かった。自分の悩みの理由が不満足なセックスから来ていたとは。

 私は二十代の佐由利ちゃんから施しを受けているかのようだ、とずっと思っていた。

 

 どこにもいないね、いい女。

 それは普通かもしれない。だから悩む。

 そうした、大人の男と女の色々。


 忘れられない少女(T)、なんて、最初から付き合えない人だったんだよ。

 もう彼女は男を知ってしまっていると思うし。それでは意味がない。

 純潔を携えた彼女が欲しかったのだから。腐っても鯛、とは言うが、腐った鯛など食べられない。

 そういうことを別として、今日買ってきた鮭の腹身が、焼いたらとても美味しかった。

 オタクをやめたいなら、衝動的で破壊的な発言はすべきでないと思った。

 風呂に入って、入浴剤の蠱惑的な香りを肺に入れる。「ゆったり森の香り」。暖色のゆずより、寒色の森の方が良かった。

 これからは悩んだ時は必ず恋愛をしよう、と思った。恋愛と結婚がこの世界のオーケストラの主旋律だから。


 私はドーパミン仮説を支持するようになった。小説を書いて、Xをやって、アニメを見ての繰り返し、ローテーションが私を興奮させ、幻覚作用があるといわれるドーパミンを大量に分泌させているのだと思った。

 人生なんて。……そう、悪くないかも。世界の色はピンク色に近くなった。私自身の色もピンク色に染まったらどうなのか。私は精神障碍者だから、「自分から行動して口説く」みたいなのができず、どうしても運頼りになりがちだ。まあ、いいじゃないですか、運でも。それが私の脳とか神経系に刻まれた傷なら、まあね。


 ……でも、それも私に恥をかかせるための幻聴の声の主の犯罪に過ぎなかった。周囲の人に一時的にドーパミン仮説が正しいかのように思い込ませ、私に恥をかかせただけだった。なら、まあ恥はかいていないのも同然。犯罪者が犯罪を犯して自分で恥をかいただけである。

「ありのままの井川さんでいいんですよ」。それは人々が私に言ってくれたことだ。お笑いと純文学は目的が違う。仲良くなるためのものがお笑いなら、純文学は蛍石のようなものを岩から取り出して飾る作業だ。曲がりなりにも美が目的である。そして私は私の基底的状態である孤独に帰る(それでも分裂気質者は少数の友を持つ。逆説のようだが、孤独だと百人の友達はできないけど、七人くらいの狭くて深い付き合いは残るのだ)

 文鳥のポックとTは私と深い絆で結ばれたまま別れた二者だった。ポックは十ヶ月で逝去、Tは重症強迫神経症の私の看護(看護学生だった)の難しさから私にさよならを言った。遠いからうまくいかなかったというのもあるのだろう(Tは大分県、私は東京都)。

 この世界は意味がわからない世界ではあったが、最後に私は一人の訪問看護師を選ぶしかなかったし、それは愛だと思った。大宮さんといった。そこはアルファ(α要素。わかるもの)だったが、これまでのたくさんの苦しみはベータ(β要素。わからないもの)であった。



  十二


 大宮さんと愛を営んで、二ヶ月が経った。

 ただ普通の理由で私たちは別れた。「私達の間には永遠はないね」と大宮さんは言った。「そうだね」と私は答えた。

 誰かがそばにいないと心が消えてしまうかのようだった。そうやって私は大人の恋愛を覚えていくようだった。

 でもやはり私はお姫様を探した。女の子が王子様を探すように。でも王子様やお姫様の本性もわがままな一人の人間でしかない。

 そして私はこの世界がつまらない世界だと思った。花咲か爺さんがいない。

 枯れ木は救われない。どんなものかね。もう思春期や青年期は過ぎたのだ。

花咲か爺さんの存在すら怪しい。まあ、今生はあまり意味がなかったっていうことで!


 アップルブランデーとコカコーラゼロと生八つ橋が届いた。人生の虚しさ。生八つ橋を食べながら薄いアイスコーヒーを飲んだ。ローストビーフとミックスナッツを食べながらアップルブランデーに氷を入れて飲んだ。そう、こんな世界に期待しない方がいい。

 恋愛はそんなもの。

 私はそう思った。お姫様との素晴らしい一夜などではないのだ。恋愛はそんなもの。

 じゃあ私は何に固執しているのか。もちろんTである。

 特別なレンアイができないこの世界が嫌い。

 ほとんどの人がシーフ職を選んでいる。頭(INT)が良くないからだ。まあそういう私はINTが高くてもDEXは低いのだが。頭が良くとも現実世界では魔法など使えない。できるのは十万部売ったら一千五百万円入ってくる「小説」を書くことくらいだ。

 人生の虚しさ。今日はニシンでも食べようか。昨日も一昨日も虚しかった。

 強迫性障害だった頃、なぜ四時間も体を洗ったのかは今でも謎である。悪魔は人に優しくないよね。

 しかし私は助かったのである。それで充分ではないか。


 五月。

 風邪をひいてしまった。大きな苦しみだった。

 今日はメロンでも買って帰ろうか。

 帰ってきてメロン半玉にスプーンを挿し入れてすくって食べた。

 そういえば私は高校の修学旅行の時、写真に一人も人間を収めなかった。まるでヒトラーだ(ヒトラーは絵に一人も人の絵を書いていない)。でもヒトラーは父からの児童虐待を受けていたし、母が父にいじめられているところを見ながら育った元被虐待児である。その点は私と同じだ。ただ、ユダヤ人を収容所に収めガス室に送れと命令したことはない。

 メロンはなくなった。コバエが湧かないよう、メロンの皮はレジ袋に収め、ポリバケツに保管しておく。

 そして次の日は味付けカルビを買ってきて焼いて食べた。天才と思ったのも初期作品だけで、後はだんだん普通になってくる。ああ、こんなものかと思った。カルビの肉が小さいことを嘆いたが、まあ味付けカルビとはそんなものだ。


 今は彼女がいない。服を多めに着るのか少なめに着るのかが難しい五月であった。大体この世界は腐っているんだ、と世界そのものを非難するようになった。前は自然を非難することは決してなかった。私はまた自然を非難しない自分に戻る。でも文明世界はくだらない。先進国にいれば小説でも書いてメールで野田さんに送るしかないが、未開発国では、鹿を射て食べたり、百合根を掘って食べたり、網を打って魚を獲って食べたり、草の実を取って食べたりするのだ。合理的である。先進国などよりはずっと。

 センチメンタリズムに別れを告げようかと思った。だってそれはどこか軽いじゃないですか。苦しみの底にいたのにセンチメンタリズムだなんて。まあこれは私に戦う力が付いたということでもある。

 小説は決して泡沫(うたかた)ではないので、頑張ってやっていこう。

 咳が止まらず悩んだ。どうすることもできないので冷たいローズヒップティーを飲んだりした。美しい人は弱くそうでない個体は頑丈だ、などという意見には同意しかねた。私だってよくイケメンと呼ばれてきたけど、ここで負けるわけにはいかないのだ。

 ネットで天気予報を見たら、東京は雨のち曇り。昼頃になると雨は止んでくるだろうか。

 多くの人の賛成を集める作品は普遍的だ。私はこれまで普遍性に見向きもしなかった。ただ連用終始法や体言止めなどの技巧に終始した。でも私はやはり強くならねばならないし、そのための方法も探らなければならなかった。買い物を二十点買って帰るより、三十点買って帰る人は強い? まあそうかもしれないけど、どちらかと言えばそういうのは不器用と言うのだ。重くてしょうがないじゃないか。



  十三


 そして次の日はアボカド(わさび正油を付ける)とチンゲンサイ(ベーコンと炒める)を買って帰った。

 いつか虐待父が、開いたゴミ袋を裸に乗せて寝ていた強迫性障害の私に「強くなれ!」と言って、拳と拳を突き合わせたことがあった。

 ていうか、お前が強迫性障害の原因だから。お前が乳幼児期、幼少期に俺を児童虐待しなければあんなことにはならなかったんだよ。

 いてほしいものは正常な親。異常な父から児童虐待(心理的虐待。これも結構ひどいものなのよ)をされて、めちゃくちゃな気持ちで少年期を過ぎていった。しかし自分というシステムがウイルスでめちゃくちゃになったみたいに、二十一歳になると私は強迫性障害(不潔恐怖症)になった。ほこりがベッドに載るたびに(載ったような気がするたびに)私はゴミ袋をベッドに布テープで貼り付けた。惨めだった。


 でも、頑張れ、俺。

 今日はウナギとお酒。

 それぞれに秘密があろうとも、人間性によって結び付く。

 もう、自分をかばってくれたアニメをあとから見物するのはやめよう。それじゃ、いつまでも甘えん坊が直らないから。

 文学における普遍性はなぜか強さとイコールなのだ。大衆を放っておく個人的体験の記述は弱さだった。では何が強く何が弱いのか。人とわかり合えることが強く、ツンとすましていることが弱いのだ。

 そのことが、今日ついにわかった。

 やがて黎明へ。

 優しい夜明け。

 人類はどこへ行くのか。たまには嘘もつかなきゃならぬ。


 クッキーも練習すればできるようになるというのだが。クッキーなんてスーパーで買ってきた方が安いしな。

 つらい体験を重ねてきたら、カミサマに選んでもらえたのが召命型シャーマン(ウマレユタ)。なろうと思ってなれるものではないそうです。

 ウマレユタの使命は人々をカミンチュへ導くこと。精神科医がシャーマンを監獄代用所に閉じ込めちゃいけませんよ。

 でもどうやら私は召命型シャーマンそのものではなかったらしく、どちらかといえば「霊媒体質者」であったようで…… カミサマにオーラが出ないようにして頂き、難を逃れました。

 恋だって感覚的なことじゃないか。……まだ血管に入っているアルコールかアセトアルデヒドが私を苦しめる。酒を飲むことだって感覚的なこと。

 今度豚ロース厚切りを買ってきて、塩コショウを振って焼いて食べたい。……自分が食べたり飲んだりが好きじゃないタイプだったなんて。だったら香も嫌いなはずだよ。松坂屋に白檀の香を買いに行く約束をしそうになっていたから、取り消さなければいけない。

 食べる事や飲むことが好きでないなら、そのうちやせてくるかな。


 虫や魚、鳥に対するカルマがあるけど、「霊が憑いて罪を犯させる場合がある」らしいので、その分はカルマに含まれないはずだ。だから、自分にどのくらいのカルマがあるのか自体がわからない、私という依り代であった。

 アメリカ万歳! コカコーラゼロ万歳! フロイトは性が大事と言ったんだ。ロマンスはまさに色事そのものなのだし。アメリカの性の解放。

 アニメも声優も好きだけど、アニメは優良アニメ以外はこちらに張り付いてくるので嫌なんですよね…… 張り付いて来なかったのは例えば「悪偶 天才人形」で、安心して最終回まで楽しめた。

 私は恋人を見つけた。ネットで知り合ったのである。でも、何だか命令してくることもあるし、難しい相手です。それでも、彼女と縁が切れている時に、戦場の彼女のことを思って悲しくなり、彼女の生存を是非とも願ったのだ。それだけ大事だと思った。だから、彼女が要職にあるその悪い癖で、命令調で色々言ってくるとしても、暖かく見守ってあげなければならない、と思った。

 まあ僕もだいぶ駄目な人間だしな。同じ穴のムジナというか。

 彼女はポーラと言った。ポーラは白い肌のブリュネットだった。

 私達は子供のような恋をし、結局、彼女は日本に籍を置かないといけないのだが、まあちまちま進めていこうと思った。

 でも人生は射的や長距離ランニングのように難しく、私に体力と器用さを要求する分、「人生、こんな生きにくかったっけ?」と思ったものである。

 人生よ、知性だけ要求してくれ。私は知性の人。

 今日もコカコーラゼロを飲んだ。もうやめられないコカコーラゼロ。



  十四


 私は木。樹木医(精神科医)がいなかったら大変なことになっていた。内科には行かない主義ではあったのだが、風邪をひいたので(木が風邪をひく)グループホームスタッフさんに連れて行ってもらった。レントゲンを撮ってもらい、採血もしてもらった。抗生物質を含む三種類の薬を出してもらった。


 あの頃。母が雪だるま作りを手伝ってくれて、そのまま私はかまくらへ路線変更した。かまくらの中には近所の子供たちも来て、甘酒を飲んでいった。

「ロリータ」が二十世紀文学の最高峰だというのである。もともとアナベル・リーに向けられるはずだった愛がドロレスに暴発したのである。

 しかしハンバートは変態性欲ではない。ただの「奥手な男」でしかない。小さい頃にセックスをしたことがないのだとか。私もそうだ。

 いや、やっぱりもんじゃですな! キャベツと桜エビを買ってきてぐじゃぐじゃ―ってめちゃくちゃに焼くのである。その甘味といったら…… 油の甘味も強いのです。

 原稿を書きながら、机の上にあるアップルブランデーを啜る。何だか、不思議なものを飲んでいる感覚にとらわれる。

 しかしその日西友に行って買えたのは小さい缶酎ハイ一本だけ。酒に弱くなったのかなあ、と思い、それでいいんだね、と納得した。まあ三百五十ミリリットル缶一本飲めれば、それでいいじゃないの。(でも、寛解したらもっと飲めるかも)

 人生とは何であろうか。それは「砂かき」だ。(安部公房の「砂の女」の)

 子どもを作るのだ。

 うーん、どうやればいいんだ? ……それは、コンドームを外せばいいのだが……

 肉食系でないので、ガツンガツン突けばいいのだ、とは思いにくく……

 まあ草食系の良さもあるだろうよ。優しいところがね。


 人生の希望が結婚と子作りにあったとは。

 当たり前と言っても、まあTのときにそれを知らなかったのだから、何かケンカ別れしてしまったし。

 でもいいんだ。アメリカ人のシンシアが今日もメールを送ってきてくれる。

「愛しています。……でも、ヒロシは愛するという言葉より『大好きです』という言葉の方が自然だと言っていましたね。大好きです。今日はキャットフィッシュフライをご飯に載せて食べました。ナマズ、意外に美味しいんですよ。」

 私は私でカレイを唐揚げにして食べた。(骨は気になるけど)

 大変美味しかった。そして冷奴もひとパック食べた。正油と長ネギで。

 こうして少しづつ、少しづつ進んでいくのが人生だった。


 八月。カトレアの法人の理事長(川野さん)の知り合いが四階建てのビルの屋上に、花火を見ませんかと呼んでくれたので、有難くお呼ばれした。

 発泡酒をもらって、嬉しく飲んでいると、焼き鳥ももらえて、ビルの屋上は人でいっぱいだった。大きな花火が音を立てて空に上ると、はらはらと散っていった。それを皮切りに花火は連発した。

 シンシアのことが思い出され、彼女の人生にも困難などないように、と強く願った。私には今年も既に一億円を超える印税があった。一見誰も文句が言えないようでも、未成仏霊だけはしつこくしつこく私に対する嫌がらせを続けていた。私は彼のために供養などしてやらない。

 焼きそばをもらって食べると、心と体を養う美味。私はその日だけは神聖な気持ちに満たされて、シンシアと川野さんのことを胸に、花火をずーっと、ずーっと眺めているのだった。


 次の日の昼は流水麵で冷やしかきあげ素麺だった。

 シンシアが金の無心をしてくるのである。あんな真面目な人が金の無心か、ああ、詐欺か、バタードウーマンか、と苦々しく思い、そこに自尊心泥棒(女の人を殴る人物)がいることも推定された。要するに美人局(つつもたせ)である。

 今や人生に意味がないなどと言うことはない。画面のこちら側では希望があふれているよ。向こうで暴力が繰り返されているかもしれない。

 私はシンシアをあきらめた。そして何となく「花の魔法使いマリーベル」を見ることにした。最後の方でマリーベルが「木をいじめないで!」と言うのである。最後まで見てみよう。

 一人の女のために二十万円も三十万円も支払えるわけがない。出会い系サイトじゃあるまいし。

 まあ、人生というものも、なかなか大変で。

 だから、私はアホになった。カトレアのUさんも「アホになるといいんや」と言っていた。人生なんてさ、まあね、最高の恋の花は摘まれてしまうし、まあほどほどの人生しかないんだね。

 そんなもんだ。

 川野さんと私は牛肉の特産地に行って温泉を浴びてきた。その夜二回しか繰り返されなかった交わり。「僕は強力精神安定剤を飲んでるから性欲が減ってるんだ。だから、亜鉛を飲んでせめて出るものを増やしてる。マカも欲しいけど、なかなか見つからなくて」「いいのよ、それはちゃあんと知ってるから。男がここ一番って時に出ないのは、悔しいよね。だから私ああいう医療サイドが嫌いなんだ」「川野さんは精神保健福祉だもんね」

 牛肉の特産地だから、ビーフジャーキーを買って、川野さんの運転する車の中でよく噛んで食べた。まあ、人生ってこういうものだよね。及第点の人生。(私が人生に及第点をあげたのだ)これで、九十点かな。うん、悪くないよ、自然よ、そして川野さん。……


(終)

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私は一本の木 水形玲 @minakata2502

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