部長のスマホに恋の通知がきました

@warpstar8

第1話 ポケットの中で恋が鳴った

黒川圭介、42歳。広告代理店「アドプラネット」営業部の部長。

社内では“鬼の黒川”として名を馳せていた。

理由は単純。無駄を嫌い、甘えを許さず、笑わないから。

毎朝の通勤電車でも、彼は眉一つ動かさず、株価と天気だけをチェックしていた。


そんな彼のルーティンを、ある朝ひとつの通知が破った。


\ピロン♪/


スマホの画面に、見慣れないアプリから通知が届いていた。


📱【恋の予感】今日、あなたの運命が変わります。


──……は?


思わず画面を二度見した。

こんなアプリ、入れた覚えがない。

スパムか? それとも誰かのいたずらか?

眉間にしわが寄るのを自覚しながら、アプリ一覧を確認する。

……あった。ピンク色の、ハートのアイコン。名前は《恋の予感》。


気味が悪い。

彼は即座に削除しようとするが、なぜか親指が止まった。

ほんの数秒、画面をじっと見つめてしまう。

なんとなく、すぐには消せなかった。


ふと車内を見渡すと、スマホを覗き込む若者や居眠りするサラリーマンたち。

皆、誰かに追われ、何かを忘れ、何かを求めているように見えた。


「──俺には関係ない」


そう心の中で一蹴した時だった。


📱【恋の予感】社内の誰かが、あなたに心を動かしています。


──冗談だろ。


恋? この俺に?

恋、予感、運命──この年になってその語彙が画面に浮かぶと、むしろ悪質な冗談に見える。

いや、冗談を通り越して、もう呪いに近い。

黒川はスマホをスーツの内ポケットに放り込んだ。

通知がポケットの奥で震えている。

まるで、自分でも気づいていない感情をくすぐるように。


その日も、いつもと変わらず忙しい朝だった。

デスクに座るなり、資料の山と部下からの報告に追われる。

だが、ひとつだけ、昨日と違うことがあった。


「……部長っ!」


声の主は、入社2年目の山田美緒。

柔らかい髪をまとめたポニーテールが、軽く揺れている。


「少しだけ……お時間ありますか?」


黒川は視線を上げた。

彼女は、ふだん自分に近づいてくるタイプではない。

明るく、礼儀正しいが、どこか自信なさげで、すぐに周囲に遠慮するところがあった。


「……内容によるな」


「……実は……今日、小西先輩にコーヒーを渡したんですけど……

 私、なんか変なこと言っちゃったかもって……」


黒川は内心でため息をついた。

なぜ、自分にそんな相談を?

……だが、不思議と嫌ではなかった。


「何を言った?」


「えっと……“いつもありがとうございます”って、自然に言えた気がしたんですけど……

 先輩、ちょっと驚いた顔してて……私、余計なことしたかなって……」


美緒は不安げに唇をかむ。


黒川はしばらく彼女の顔を見つめた。

誠実で、臆病で、でも相手を大切にしたい気持ちが滲んでいた。


「……別に、変じゃなかった。お前の気遣いは悪くない。

 むしろ、小西は慣れてないだけだ。驚いたのは、好意に気づいたからだろう」


「……!」


美緒の目が、ふっと見開かれた。

一瞬、心を見透かされたような、そんな表情。


そのあと、ほんのわずかに、頬が赤くなった。


「……ありがとうございます、部長」


たどたどしく言って、ぺこりと頭を下げて去っていく美緒。

その背中を目で追いながら、黒川はふっと息を吐いた。


──なんだ、これは。


気づけば、スマホが震えていた。


📱【恋の予感】あなたの言葉が、ひとつの恋を前に進めました。


黒川は、スマホを持った手のひらをじっと見つめた。


(……くだらない)


そう呟きながらも、内側にじんわりと灯るものがある。


言葉が、誰かを前に進める感覚。

久しく感じていなかった、他人との“やさしいつながり”。


──まさか、このアプリが……。


けれど今さら恋など──

いや、恋でなくても、何かが動き出した気がしていた。


その“通知”は、彼の心にも静かに届いていた。


そして、次の通知が届くのは、3時間後のランチタイムだった。


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