第38話 七不思議の追体験2(人間怪談)
いよいよ音楽室の怪異、テイク3の始まりだ。
今度こそ、失敗は許されない……
音楽室に入るシーンから緊張する。
緊張する手が汗と震えである意味最高の演技に見えるのだから皮肉なものだ。
作り物の引き戸なのに、指先が滑って開かない。
あまりモタモタしているとまた怒られる……
僕はふぅと息を吐き、音楽室設定の空間に入った。
ガタガタ、ガタガタ
バーンッ
黒子達の完璧な怪音は今回も息の合った最高の出来。
そして僕の驚く演技……
あれ?今のは悪くなかったよね?
背後から刺すような視線を感じる。
舞台の中央に立ち、周囲を見渡す。
僕が中央に立った瞬間、怪音達はなりをひそめた。
一糸乱れぬ完璧な停止。
そんな揃い方にもギョッとする。
シンと静まり返った教室は、あたかも無人の実験室のようでどこからか僕を観察する無数の目が一層怖かった。
期待、不安?あるいは同情か、失望や怒気を孕んだ多くの目が僕に集中する。
……何がいけないのか分からない。
刺すような視線が僕を見る。
まだ誰も何も言わないのは、
まだ僕の演技が許されているからか。
じとりと汗が頬を伝う。
言い知れぬ緊張感が僕を襲う。
呼吸が乱れ、
心拍数が上がる。
心臓が、破裂しそうなほど鼓動し
血液の流れが耳元で砂嵐のように鳴り響く。
もう、限界だ……
背後に感じる刺すような視線。
怖くて振り返れないのに、逃げなくてはと僕の全身が警笛を鳴らすのに動く事ができない。
いつの間にか全身から吹き上がる汗で僕はびちょびちょに濡れていた。
超局地的な大雨に打たれたのかと思うほどにだ。
全員息を潜め、ただ一点、僕を見つめる。
次の、セリフだ……
台本なんか読んだ覚えも無いのになんとなく分かる。覚えてる。
「誰か居るのか?」
不思議とセリフは僕の口から滑らかにこぼれ出た。
この後は、音楽室の忘れ物を持ち帰り
僕は何事もなく音楽室を去っていくんだ。
背後にお化け役の子がついてくる。
頭の中でシュミレートした通り行動する。
……完璧だ。
裏にはけてから振り返る。
どうだ!
ドヤ顔決め込んで勝ち誇った気分になる僕が見たものは、イライラを抑えきれず吊り上がった目で睨みつける仁王立ちの彼女だった。
どうして?
「どうしてちゃんとできないの?」
……は?
「聞いてるの?ねぇ」
底冷えするような冷たい怒気を含む、低い声。
微笑めば可憐な美少女であろう彼女にはとても似合わないそんな声だ。
ポニーテールを揺らし、仁王立ちさせている。
そんな姿が許せない人も多いのだろう。
ほら、彼女を先頭に背後にそれとなく並ぶ生徒達の一個小隊みたいな姿。
これじゃまるで敗残兵狩りに遭った残党兵じゃないか。
「周りのみんなはちゃんとできてるの。どうしてあなただけできないの?」
周りを見る。
またか、とため息をつく者。
全くだ、と共感する者。
可哀想に、と同情する者。
そのどれもが、僕を助けようとは思っていない。
誰か彼女を止めてくれよ。
僕はちゃんとやっただろ?
けれど言葉は声には出ず、喉の奥でつかえたままだ。
次第に喉の奥がカラカラに乾き、張り付く感じさえしてきた。
ドンっと、彼女が一歩近付く。
僕は恐れ慄き、逃げ腰になって一歩下がる。
「ねぇ、何とか言ったら?」
また一歩近付いてきた。
「返事もできないわけ?」
息が詰まる。
声が出ない。
何と言って良いか、分からない……
口の中がどんどん乾いていく。
水分という水分が、口から逃げていくようだ。
周囲を見る。
助けてくれそうな人は軒並み目を逸らし、そうでない者は呆れ顔か攻撃的な眼差しを向けてくる。
四面楚歌。
周りはみんな敵だらけって事だ。
冗談じゃない。
ぐっと恐怖を堪えて声を絞り出す。
「……僕は、ちゃんと……」
「ちゃんと?ちゃんとって何?真面目にやってよ。みんなに迷惑かけてるの分かってないの?」
正直自信無い。
僕が立派な大根なのは分かってる。
それでもできる限りした。
まだ足りないって言うのか?
ちゃんとしたって言おうとした。
言葉に詰まったのは、自信がないからか。
僕はちゃんとやってるつもりでもできてないのかもしれない。そう思ったら言葉に詰まった。
そんな言い切らない僕に彼女は余計腹を立てた。
「あなた1人のためにみんなこうして時間を割いてるの。わかる?あなた、やる気ないの?」
僕は力無く首を横に振った。
「でも僕はちゃんと……」
「ちゃんと?あれで?本当に?もっとできるでしょ?ちゃんとやってあの程度なわけ?」
言い切れない僕に、彼女は更に捲し立てる。
「こんなに言われて努力しようとも思わないわけ?できない言い訳並べてないでもっと努力しようとは思わないの?」
努力ってなんだ?僕はいきなりやってこれだ。
今が練習の時間だろ?できないから練習してるんじゃないのか?
足りない。足りない……
彼女は、あるいはクラスメイト達は、そんな僕を責め立てる。無言のまま、その視線のみで。
足りない、足りない。下手くそ、大根役者。
無い声が喚き立てる。
下手くそ、下手くそ。
言われている事が理解できない。
どうして僕はこんなにも責め立てられなきゃいけないんだ?
足りない、足りない。努力してない。
言い訳ばかりで成果を出せない。
努力してないからだ、何もしてないからだ、みんなはちゃんとしてるのに。
練習した?台本読んだ?みんなしてた?同じ事?
視界が歪み、暗転する。
今が舞台の幕間のようで、
人々は再び影にもどる。彼女も含めて。
もう声も聞こえない。
もう表情もつかめない。
けれど彼女には僕が見えているようだ。
僕に向かってただひたすらに叱責する。
声はない、表情もない。
聞こえないはずの声が聞こえる。
見えないはず表情が見える。
色を失くしてなお怒気に歪む表情。
表情が固まり能面のようでありながら睨む目つきは般若のよう。
いつの間にか僕を残し、舞台は次のステージに向かっていた。
全員が色を取り戻しても、
もう誰も僕を見ない。
忙しく走る黒子達。
音楽家の肖像画はない。
あるのは無地のキャンバスだけ。
次のシーンは美術準備室。
僕にぶつかり倒れ込む黒子。
慌てて小道具を抱えて走る。
「ほんっとにもう、何やってんの」
怒声が響く。
僕は無意識に背を振るわせた。
例の女生徒がドスドスと近付いてくる。
ポニーテールを小さく揺らし、
重く冷たい声で僕を……
叱責する。
黒子は見えていないのか。
くどくどと吐き出される説教の数々。
僕の頭はついていけない。
心臓がどくどくと鳴り響き、破裂しそうなほど軋む。
息を吸うたびに胸が張り裂けそうになり涙ぐむ。
僕と、僕を責め立てる彼女を避けるようにみんなは準備を進める。
誰も僕と目を合わさない。
誰もが無言で準備して、空気だけは最悪だ。
「聞いてるの?返事くらいできないわけ?」
もう何を言われているかも分からない。
僕の存在など無視するかのように、
立ち尽くす僕を黒子が押し除ける。
肩が当たろうが僕がフラつこうがお構いなし。
最後のセットだ。
置かれるのは巨大なイーゼル。
イーゼルには巨大なキャンバス。
そして巨大な布を被せる。
石膏像役の男子生徒が定位置について準備完了。
早くしろと言わんばかりに僕を見る。
「早く準備して」
彼女の冷たい声が僕に浴びせられる。
嵐のような説教に僕は疲れ切っていた。
しかし、ここでまた失敗すればもう一度サンドバッグだ。
正直、これ以上耐えられる気がしない。
美術準備室では先生の絵を取りに来る設定だ。
どの絵か分からず件の絵の前に立ち、石膏像に襲われて布を剥がしてしまうというもの。
大丈夫、あの時の事は覚えてる。
失敗するはずがない。
「先生の絵はどれかな」
緊張でやや声が上擦ったのは大目に見てほしい。
正直本当に怖いんだ。
また、何か言われるのが怖い……
刺すような視線を背に感じながら、僕は演技を進めてく。
石膏像役の男子生徒が動いた。
メキメキと、本当に音を立てていそうな動き方だ。
あの時の石膏像を思い出して少し切なくなる。
本物の石膏像はおそらく、僕を襲おうとしたんじゃない。
守ろうとしたんだ。
思い出したら少し涙腺が緩んだ。
「ちょっと。本当にさぁ、やる気あるの?」
ビクッと肩を震わせた。
彼女だ。
感傷に浸ってる場合じゃなかった。演技をちゃんとしないと、また延々怒られる。
反射的に涙ぐむ。
彼女はそれすら気に食わない様子だ。
「泣いて解決すると思ってる?違うよね?」
圧がすごい。暗に泣くなと言っている。
逃げ場を失い余計に目頭が熱くなる。
僕の顔が歪む。
彼女は一拍起き、圧を弱めた。
「別に責めてるわけじゃないの、分かる?」
とても優しげな声だった。
人間、泣いている子には優しくなるものなのかな。
「やる気あるのかって聞いてるんだけど?」
表情は優しげで肩まで支え、遠くからは慰めているようにも見えるだろう。
けれど僕は息を飲み、答えに詰まった。
漫画とかでよく出てくる表現だけど、そんな事本当にできるのかって思ってた。
まさか体験する事になるとは夢にも思わなかったよ。
特定方向にだけ飛ばす圧力ってやつを。
「……やる気、あるよ」
絞り出した声に彼女は満足したのか離れて行った。
最後、チラリと僕を見るあの目。
言ったよね?次は無い。
そう言っているかのようだった。
正直、やる気が無いわけじゃ無いと思う。
確かに少し気を削いでしまったり、緊張したのは事実だ。
でもそれには事情がある。
聞いてくれ、僕の話……
言い訳だ。全部、全部言い訳だ。
言い訳なんて聞いてくれない。
彼女が欲しているのは結果だ。
緊張している場合じゃない。
集中できてなかったのも事実だ。
僕が並べるのは言い訳、
彼女が並べるのは事実。
……僕の味方は、いない。
僕を睨む目は、いつの間にか彼女以外にも増えていた。
とん。
「次は上手くやれよ」
石膏像役の男子生徒が僕の肩を叩いた。
彼の優しさに思わずイケメンだなとひとりごちる。
僕より頭ひとつ飛び出した大きな影がひどく頼もしく思えた。
僕は小さく頷くと涙を拭い、最初の位置に戻った。
さあ、テイク2の始まりだ。
今度は失敗しない。
他の誰にも見えないように石膏像役の男子生徒にだけ小さく頷いて見せた。
彼もそれに応え、小さく頷いた。
どの絵か話らない、というシーンは相変わらずな大根だ。
けれど絵の前に立ってからは一味違う。
あの時を思い出し、あの時のようにゆっくり後ずさった。
石膏像役の男子生徒の演技も上手い。
彼と息を合わせ、僕は思い切りキャンバスにかけられた布を引いた。
……!!
真っ白な無地のキャンバスだったはずのそこには、般若の形相の彼女が描かれていた。
振り返ると石膏像役の彼も、黒子のみんなも消えており周囲も含め色が無くなっていた。
全部が全部、影だった。
僕はゆっくりと視線を戻す。
見つめる先はキャンバスの絵。
般若ではなかった。
けれど無機質に睨みつける彼女の顔が描かれていた。
キャンバスと彼女の絵だけは色を失わず、鮮やかだ。
まるで全ての色を彼女が支配しているかのようだ。
キャンバスは僕より僅か小さいくらいなのにひどく大きく見えた。
彼女の顔が大きく描かれているせいだろうか、僕が小さく思える。
冷たい視線が突き刺さる。
上から降ってくるような圧迫感。
押しつぶされてしまいそうな僕。
もうダメだ、耐えられない……
誰か何か言ってくれ。
僕の何が悪かった?
真面目にやると答えれば良いか?
真面目にやってるのに?
足りない、足りない、まだまだ足りない。
真面目にやって。
足りてない。
声なき声が僕を責める。
絵画が喋るわけないだろうに、その声は確かに僕の耳を貫いた。
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