第26話 むっつめ、13階段

 僕は驚き後ずさる。


 般若が、見ていた。


 僕の、ことを……見ていた……


 背筋が凍りつく。


 汗すら引いて、ゾクゾクと身震いするほどに。


 怨みがましく睨みつける般若に、これ以上ないほどの恐怖を感じた。


 僕は後ずさっているのに、般若顔の日本人形はこちらに徐々に近づいて来る。

 鏡の中では僕のなのか、日本人形のなのか、骨格標本と石膏像が肩を掴んで引いている。


 正直目が離せない。腰も抜けて立ち上がれそうにない。

 このままでは、あの般若顔の日本人形が鏡から出てきて僕を襲う事すら想像できてしまう。

 考えただけで恐ろしく、言う事を聞かない足が絡んでもつれ滑っては、立ち上がる事を拒んでいるようにさえ感じる。


 般若が、徐々に、近づいて来る。


 迫る恐怖に声も出ない。


 出たところで助けなど来ない。


 日本人形が古びた板を大事そうにかかえている。

 古びた板は少し焦げた色をしていた。

 端にはワイヤー……いや、弦?弦楽器の弦を思い出すテグスのようなものがついていた。


 どこかで見たような……


 何故か目を引く古びた板に、目が釘付けになる。


 恐怖すら忘れて凝視していると日本人形は般若の形相のままついに鏡に触れるように手を伸ばした。


  まずい。


 僕は直感し、横っ飛びに鏡の前から離れた。


 文字通り鏡は映さなくなった。


 僕は逃げるようにすぐ近くに見えた階段まで這って行った。


 急ぎたいのに身体は言う事を聞かず、立ち上がる事すらままならない。


 階段の前まで着いた時、手すりにつかまりようやく立ち上がる事ができて安堵した。


 だからだろう、階段についての話を忘れ、無我夢中にしまったのは。


 これで帰れる。


 早く帰ろう。


 はやる気持ちを抑えきれず、足は階下を目指して進むのに、どんなに歩いても先が見えない。


 昇降口を目指し、1階を目標に進んでいたはずの足は何故か騙し絵のように上向いている。


 いつから?何故?


 ようやく思い出した時にはもう遅い。


 日記の一文。


 『何度数えても13になる処刑人の階段だよね。下っているはずなのに、なぜか上ってるってところが1番怖いよね。』


 そうなのだ。今まさに、無限ループが如くいる。

 下っていたはずなのに。


 ……怖い。


 数えるのが、怖い……。


 でもおそらく数を数えなければ終わりは来ない。


 そして終わりは13段目、処刑人の13段目、だ。


 数えるべきか、戻るべきか。


 ……戻ろう。


 物理の法則を無視して捻じ曲げて、そんな事は関係ない。

 後ろを振り向けばほら……


 当然のようにそこにある上り階段。


  いやいや、嘘だろ?


 もう一度振り返る。


 目の前にあるのは、上り階段。


 目の錯覚か、あるいは何らかの法則に囚われてしまったのか、振り返るたび上下が逆転している。


 試しに片足ずつ違う段を踏んでみても答えは同じ。


 繰り返すうちに方向さえ見失い、僕はどちらから来たのかも分からなくなった。


  結局、数えさせられるのな……


 僕は深いため息をついた。


 もう疲れた。


 数えれば良いんだろ?


 ほら

  1、

  2、

  3、

  4、


  ……


  …………


  ………………


  ……………………


  …………………………。


  じゅう、さん……。


 13段目。

  僕は、最後の階段を踏み抜いた。



 振り返れば、そこには

  おぞましい光景が広がっていた。


 大勢の日本人形たちが、

  階下から僕の最期を待ち望むように整列して見上げている。


 みんな同じ柄の着物を着ていた。

  あの柄には見覚えがある。

   琴の上、不自然に掛けられた音楽室のだ。


 あの着物は彼女たちのものではない。普通の人間のサイズだった。


 それなのに、1体だけ着物を着ないで肌着姿で、テグスの伸びる古びた木の板を大事そうに抱える日本人形が、般若の面を捨て去り高揚するように、にこやかな笑みを浮かべて近づいて来る。


 この時を待っていたと言わんばかり。


 無音の中、それでも無数の視線に喝采を浴びるようにあるはずのないスポットライトを浴びて今…………


 僕の目の前には絶世の美女。


 肌着姿が艶めかしく、美しいまでに残虐な笑みで僕を見下ろす。


 僕は、いつの間にか座り込んでいた。


 妖艶な美女が抱えるのは、日本人形の持つ古びた木の……棒だった。

 木の板から引きずられるように伸びていたのはテグスのような細い紐。

 けれど棒から伸びるのは鋭利な刃物だった。


 美女はいつの間にか魔女のような真っ黒なワンピース、いや死神のごとき黒衣のローブを身に纏い、手には古びた木の棒。先端には鋭利な長い鎌。

 その様相に似つかわしくない美しすぎる白銀色の刃だった。


 僕は、美女を見た。


 狂気に目を光らせ口は裂けんばかりに弧を描き、それはそれは嬉しそうに……


 鎌を振り上げる様が嫌に遅く感じる。


 鎌の軌道すら目で追えそうなほどゆっくりと。


 最期の瞬間を、その目に焼き付けろと言うかのように。

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