第11話 烙印
僕は、
見てしまった
隣の教室の
窓の下
赤い、
水溜りを。
ぎょっとした。はずみで手が滑り、階下に落ちそうになるのを窓の縁に手をついてなんとか堪えた。
ふぅ、と息を吐き出す。
風もなく止まった空気が僕の息でだけかすかに動いた。
不気味なほど静かだ。
……ぺらり。
紙のめくれる音が嫌に耳につく。
誰もいない、教室の中、僕の背後で。
僕は外を向いていた。
他に風通りは無かった。
どうして、教室の中にある日記がめくれるんだ?
僕は身体中の息を吐き出し、呼吸を整え日記を見た。
見開きで、赤黒く染まっている。
かつて美しかったであろう小さな花が
押し花のように潰れて、乾いている。
僕は指先で押し花をそっと拾い上げた。
ぬるりとした。
指先は赤いどろりとしたインクのようなもので汚れてしまった。
押し花ならペリペリ剥がれるものだと思ったがそんな事はなく、水面に浮かぶ船のようだ。
泥沼、だな……。
赤い、いや赤黒いそれは酸化してみるみる黒く固まっていく。
その様を何故か滑稽に思う自分がいて苦笑した。
昔、交通事故に倒れた猫を持ち上げたことがあった。
お店の前に倒れていたそいつは、引かれたばかりでまだ温かかったが明らかに救えなかった。
お店の小さな段ボールがあったのでそこに移してやると、手には生暖かい赤黒いどろりとした液体がついた。
ひどく懐かしく、それでいて鮮明なそれは今でも手に残っている気がするほどだ。
そう言えば、日記は固まり……いや、色が定着したと言うべきか。
ベトベトとしていたページが驚くほどサラサラの上質な、黒に近い赤の紙に変わっている。
僕の指先は未だドロドロとしてヌチャァと粘り気を帯び、中途半端に固まったところは硬いと言うより柔らかな塊と言ったところだ。
手を、洗おう……
廊下に続く床がやけに長く、ドアは見えているはずなのに遠く感じる。
このまま辿り着けないのではと言う錯覚さえ覚えたが、伸ばした手は無事ドアに触れる事ができた。
もう乾いていたのか触れたドアに色が付く事はなかった。
けれど、ドアに触れた指先は何故かまだぐちょりとした触感を残している。
早く手を洗おう。
咄嗟に水道を見る。
ぴちゃ、ぴちゃっ、と音を立てて水滴が落ちていた。
心なしか早足に水道に向かう。
手を伸ばせば指先には相変わらずの生々しい塗料。
そしてやはり蛇口にも色は移らない。
ひねれば水が出てくる。
良かった。
少し白みがかった水が勢いよく流れ出る。
じゃーじゃーと音を立てる水に手を突っ込めば塗料も落ちていくようで流れる水の色が変わった。
ほっと胸を撫で下ろすと、突然何かが指先を掠めた。
薄い小さな何か。
白濁とした水の中に、水道管の錆が剥がれ落ちたような赤茶けた、あるいは黒っぽいモノが混ざっていた。
慌てて手を引くと勢いで水を周囲に飛ばしてしまった。飛沫は赤茶けた点で線を描き壁を汚す。
……漫画とかで見る殺陣のシーンで一刀両断するとこんな線ができるような……考えすぎかな。
僕は視線を手元に戻し、濁りも多少マシになった水道水を見て蛇口を逆に捻った。
これで指先は元通り……
とはいかなかった。
確かにベトベトとした感じは無くなったが、代わりに指先が赤黒く変色していた。
昔見たゾンビ映画のワンシーンのようだ。
自分の手なのにどこか他人事のように感じてしまうのも何だかそれっぽい。
しばらくぼーっと手を眺めていたが特別それ以上変わる事は無かった。
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