第2話:仕事の顔合わせ



 ルーファス・ブレイブの心は、確かに砕けていた。

 神祖の言葉は彼の存在を根底から揺さぶり、英雄としての輝きを虚飾に変えた。


 それでも、仕事は仕事だ。どれほど胸の内で空虚が渦巻こうと、怠惰や逃避に身を委ねるわけにはいかなかった。


 現在の地位、名声、権力——それら全てを失うことへの恐怖は、彼を突き動かす最後の楔だった。 戦場での血と汗、女との甘い夜、称賛の声——それらがどれほど虚しく響こうとも、ルーファスは清く正しい騎士の仮面を被り続けた。


 内心では「怠い、面倒臭い、嫌だな、戦いたくないな、女の子とイチャイチャしていたい」と鬱屈した感情が渦巻いていたが、それを表に出すことはなかった。


 彼の敬礼は完璧で、動作は無駄がなく、会議室に入るや否や、敬礼してくる部下たちに、同じく非の打ちどころのない敬礼を返した。


 会議室の空気は張り詰めていた。定刻になると、すべての人員が揃い、静寂の中で神祖が口を開いた。

 少年の姿をしたその存在は、柔らかな声とは裏腹に、言葉に絶対の重みを帯びさせている。


「前提からの確認をさせてもらうよ。地球にいた僕たち神祖が大崩壊を引き起こして、現在の異世界に漂着してから数万年、異世界に漂着した旧西暦地球の残骸やリソースを回収して、国を設立。その結果が今のミッドガル聖教皇国だが、最近になって我が国の存亡を揺るがす研究機関の動きが活発になっている。資料を確認してくれ」


  ルーファスは渡された資料に目を落とした。そこには、かつて「黒龍」を討ち滅ぼすために設立された研究機関が、その死骸を再利用して非道な実験を行っている事実が記されていた。


 詳細は別紙に譲られていたが、知性体を道具のように扱い、倫理を無視した実験を、まるで遊び半分で進めている内容だった。


ルーファスの胃が締め付けられるように重くなった。金や女に溺れる日々を送りながらも、彼の中にはまだ、かすかなモラルの欠片が残っていた。犯罪は許されず、人の尊厳は守られるべき——そんな当たり前の感情が、彼の胸を締め上げた。


 どれほど神祖に操られていようと、彼はまだ、完全に達観するほどには堕ちていなかった。 神祖の声が会議室に響く。


「この研究機関は速やかに潰さないと、大崩壊の再来となる可能性もあってね。国際的な協力を仰いで捜査した結果、迷宮都市に本部あることが判明した。君達には、まずこれを討ち滅ぼしに行ってもらう」


  神祖の視線が、会議室の顔ぶれをゆっくりと見渡した。


「神の使徒ルーファス、厄災の魔女アロラ、魔剣騎士のクレア。スリーマンセルで構成された特殊チームだ。迷宮都市は無法都市とも呼ばれていてね、吸血鬼や九尾の妖狐などが争っているから、神の使徒を送り込むんだ。2人を守ってあげるんだよ、ルーファス」

「御意」


 ルーファスの返答は短く、機械的だった。心の奥で渦巻く葛藤を押し殺し、彼はただ任務を遂行する道具としての役割を果たした。 神祖は全員の顔を見渡し、続ける。


「じゃあ次は細かい作戦説明をするから、次の資料にいこうか」


  資料には、迷宮都市の現状が詳細に記されていた。暗黒期と呼ばれるほど無法者が跋扈し、人々は絶望に沈んでいる。

 都市の外壁は犯罪者によって占拠され、検問で物資が略奪され、物流は滞っていた。


 しかし、地下に広がる巨大なダンジョンから採れる魔石は莫大な資源となり、冒険者たちは奴隷のようにダンジョンに潜り続けることを強いられていた。

  数千万の一般市民が人質として縛られているため、どんな強力な冒険者も迂闊な行動を取れない。


 神祖は、迷宮都市の吸血鬼勢力と接触し、血の女王エリザが管理する「安息の地」を拠点として活動する計画を立てていた。その他、細かな戦略や現地の状況が説明された。

  神祖は、苦い顔で告げる。


「人類の可能性は良くも悪くも無限大だ。勝てるだろう。負ける理由がない。だけど、その程度は覆すのが人間だ。気をつけてほしい」


  説明が一段落すると、質問の時間が訪れた。ルーファスはまず口を開いた。


「私たちの任務は、研究機関の本部の壊滅。その過程で地球産旧西暦の神や、その眷属である冒険者達の妨害が入る可能性があると考えて良いのでしょうか?」

「そうだね。研究機関は迷宮都市に利益を与えている。もちろん法律としてはこっちが正しいけど、感情的な憎悪は引き受けることになるかもしれない」


  神祖の言葉は、ルーファスに冷たく響いた。

 世界のために憎まれ役になれ——それが神祖の命だった。だが、ルーファスは内心で割り切っていた。ミッドガル聖教皇国では英雄として讃えられるのだから、他の国での扱いなどどうでもいい。


 人間は所詮、自分の身近な者しか見ないのだから。 次に、厄災の魔女アロラが手を挙げた。彼女の声は、鋭くも冷静だった。


「質問するわ。その黒龍の死骸を利用して、何をしようとしているのか、具体的な情報はあるのかしら? それによって優先順位が変わってしまうと思うのだけど」

「黒龍の死骸は、不老不死や、能力の上昇、あとは無限のエネルギー生産システムの開発実験などに使われているようだ」

「なら、放置していても良いんじゃないかしら? 便利よ」


  アロラの軽い口調に、神祖は即座に反論した。


「不老不死も、能力上昇も、永久機関も、そんなものこちらではとっくに実用化され、安全管理もできている。こちらの技術とは別口で達成するのには興味があるのは確かだけど、大崩壊の二の舞があるなら論外だ。それにうち以外がそんな技術を所有してもらっても困るし」


  アロラは小さく頷き、皮肉を込めて言った。


「なるほど。単純に技術の優越性を維持したい神祖の個人的な欲望も混じっていると」

「それも護国の為を思えば、だよ。第二太陽という莫大なリソースと、それを管理する旧日本の新資源開発研究所の施設は独占している。他の国に物理法則を書き換えられても困るんだ」


  神祖の正体は、旧西暦の地球日本で新資源開発研究所に所属していた天才少年だ。だが、彼の言う「天才」には、常に上位の存在がいた。


 周囲の天才たちと協力し、世界を救うための新資源開発に没頭した結果が、大崩壊だった。物理法則は一変し、次元を飛び越えて『異世界』へ漂着する。

 そして漂着された側の異世界の物理法則も破壊され、文明は一掃された。


 旧西暦の日本は「第二太陽」と呼ばれる特異点となり、膨大なエネルギーを生み出し続ける存在となった。それゆえに異世界に漂着した神祖を含めた地球人は、新たな日本であるミッドガル聖教皇国を建造し、文明の復興を果たした。

 さらなる混乱を防ぐため、技術の独占は絶対だった。


  最後に、クレアが手を挙げた。彼女の声には、戸惑いが滲んでいた。


「最後に、私から質問するわ。なんで、私がメンバーに選ばれたの?」


  神祖は静かに答えた。


「君は黒龍の血を受け継ぐ人間だからだ。特に属性でいえば光側の人間だからね。ほどほどの覚醒を期待しているよ」

「ええ……?」


クレアの困惑した声が、会議室に小さく響いた。話はまだ、終わらなかった。

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