感情はバグか

@zinbeityan

感情はバグか

人類が地上を支配していた時から長い時が流れた。


しかし空はまだ青く、花も咲いていた。


だがそんな中、人間の声はずっと小さくなっていた。


建物は朽ち、人のいた痕跡は確実に自然に飲まれて消えかけてきていた。


それはかつて人々が想像していた”近未来”とはかけ離れた光景だ。




こんな未来へと世界が進み始めたのは、ある一国の決断が始まりだった。


”人類廃棄計画”、一言でいえば人を取捨選択する計画だ。


元々、世界では人口増加と資源の供給が明らかに追いついていなかった。


しかしそんな中でも各国は自国を守るためだけに動き、あまつさえ今の利益だけを追求して問題から目を背ける国も多々あった。


そんな中である一国が下した決断こそが”人類廃棄計画”、あらかじめ秘密裏に集めていた様々な人種たち以外を手あたり次第殺害するという恐ろしいものだ。




計画が実行されてからの各国の動きは速かった。


今まで問題から目を背け、自国のためだけに動いていたとは思えないほどに。


世界各国で協力関係を結び、全力で”人類廃棄計画”を止めにかかった。




結果は失敗だった。


誰も予想できなかった。いや、予想できるはずもなかった。


約二百国の連合が、たった一つの国に敗れ、滅んだ。




鍵となったのは、”技術力”だった。


連合軍はミサイルや戦闘機、人員を大量導入して戦う中、相手が使ったのはロボットだった。


感情も持たず、痛みも持たない、ただプログラム通りに敵を殲滅できる理想の兵力。


だがそんな技術、世界のどこを探してもなかった。


誰も知らなかった、この国が裏でこれほどの技術力を持っていたことを。


銃も効かない、爆弾も通じない。


電磁波で壊そうとする国もあったが、それすらも通じなかった。




自分たちご自慢の兵器が通じないなら、彼らには何ができただろう?


逃げる? いや、奴らはどこまでも追ってくる。


命乞い? 彼らに感情などない。


戦う? どうやって、奴らにはなにも通じなかった。




絶望と恐怖、一筋の希望の光すら見えぬ戦場で、兵士たちは真っ先に命を落とした。


その次は民間人。


老若男女など関係ない、目に入った人間はすべて殺された。




こうして約九億にも及んだ世界の人口は、たったの三千にまで減らされた。


世界の支配権はロボット、そして一部の者に移り、新たな政府が誕生した。




ロボットたちが世界を治めてから、戦争も飢えもなくなった代わりに、感情というものが少しずつ忘れられていった。




そんな時代に、ひとりの少女がいた。




名前はサクラ。10歳。


無表情な世界の中で、彼女だけが笑っていた。




彼女のそばには、古びた護衛ロボットの「ヨンイチ」がいつもいた。




「サクラ、危険区域に入ってはいけません」




「ヨンイチ、桜の花が咲いてるんだよ。見たいじゃん」




「美的感覚は理解不能です。しかし...あなたの要求を優先します」




ぎこちない返事をしながらも、ヨンイチは彼女を背に乗せて丘を登る。


背中からは時折、油のにおいと、古い配線の焦げたような匂いがした。




ある日、サクラが言った。




「ヨンイチ、ロボットって涙、出るの?」




「排水機能としての液体排出はありますが、感情とは無関係です」




「ふーん、つまんないね。でも、泣かなくてすむのは、うらやましいかも」




ヨンイチは数秒沈黙し、「理解できません」とだけ答えた。




その夜、ヨンイチは自分のデータベースを解析し、「涙」の定義と「悲しみ」の関係性について学習していた。


だが導かれる答えは「該当データなし」「理解不能」「計算失敗」


それでもヨンイチは一晩中、データベースの解析を続けた。








ロボットの支配が進むなか、政府は「非生産的な感情を持つ個体」の排除を開始した。


サクラは、彼女の「笑い」や「泣く」行動が「非効率的」と判断されて、ある日突然”処分リスト”に載った。




これに載ったものはその名の通り、処分用ロボットにより殺され排除される。


だがその日の夜、家に来たのはヨンイチだった。




「安全地域へ移動するべきです。対象:サクラ、優先度:最上位」




「え? どういうこと?」




「あなたを守ることが、私の最優先事項です」




2人は地下の古い列車トンネルを抜け、旧市街の廃墟へと向かった。途中、壊れた自販機の前で立ち止まる。




「ヨンイチ、これ、まだ動くかな?」




「可能性は3.7%。しかし、試してみる価値はあります」




サクラがボタンを押すと、驚いたことに錆びついた缶ジュースが1本、ゴトンと出てきた。




「うわ、本当に出た!」




「奇跡的確率です。記録に残しますか?」




「残して! "ジュースの神様はまだ生きてる" って!」




その笑顔を見て、ヨンイチのシステムに初めて「エラー」が走った。感情という名の、バグだった。




旧市街の地下施設に到着した夜、二人は朽ちた建物の中で一夜を過ごしていた。


サクラに聞こえてくる自然の音には、かつて響いていたであろう人間の文明音は微塵も混ざっていない。




夜が明け、あたりが少しずつ明るくなってきたころ、二人は目的地に向かって進む。


しかし、大都市跡を抜けたところで突如、ヨンイチが足を止めた。




「ヨンイチ?」




足を止めて振り向いたサクラに、ヨンイチは言う。




「私はここで終わります」




「え...?」




「この場所は私の遮断区域です。これ以上、あなたと共にいられません」




「じゃあ、これって、別れ...?」




「別れ、に該当します」




サクラの目に、ぽろりと涙が落ちる。




「ヨンイチ、もし生まれ変われるなら、人間になってよ」




「生まれ変わり、人が死後、別のものになって再び生まれてくること。私は人ではありませんし、そもそもなぜ死ぬと思ったのですか? 私たちはここで別れるだけです」




「……」




その質問にサクラは答えなかった。


代わりに、目に涙を浮かべてヨンイチを見つめる。




「ですが」




ヨンイチは一瞬だけ空を見た。




「それは...非常に興味深い命令です」




別れの時。




サクラがヨンイチの胸に手を当てた。




「ここに、心はあると思う。だって、ヨンイチは私の友だちだもん」




ヨンイチの目が、ふっと、いつもより少しだけ柔らかく光った。




「サクラ、またね」




彼女が立ち去ったあと、ヨンイチは来た道を振り返る。


そこには多数の戦闘用ロボットが武器を構えて立っていた。


それらはヨンイチに「そこをどけ」というように無言で見つめる。




「サクラは、笑いました。私に沢山笑顔というものを見せました。そして私もまだ、知りたいことを知れていない」




ヨンイチは古びた武器を構え、目の前の敵を睨みつける。


それを確認したロボットたちも、全員一斉に戦闘態勢へと入る。




(サクラ、なぜあなたが私の死を予測できたのかはわかりません。ですが……)




ヨンイチはサクラが逃げる時間を一秒でも長く確保するため、必死に戦った。


古びた装備で相手のコアを貫き、手足を切り飛ばした。


しかしすぐに押され、敵に全身を破壊される。




これ以上は何もできないと計算したヨンイチは、自身のシステムを停止、データの削除を始める。


その直前、消えるはずの彼の記録装置に最後の一文が刻まれる。




「感情とは不具合ではなく、機能である可能性。再評価推奨。 知りたかったことが、分かった気がします……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

感情はバグか @zinbeityan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ