Fork in the road

@taidanokiyomori

Fork in the road


 四年の春、僕はサークル棟の前で立ち止まった。

 部活帰りの後輩たちが、自転車で笑いながら通り過ぎていく。ラーメンか、カラオケか、どこかへ寄るのだろう。

 そういう日々を、僕は一度も過ごさなかった。

 一年生の頃、飲み会や遊びの誘いを何度かもらった。でも、課題があるとか、バイトがあるとか、理由をつけて断ってばかりいた。

 本当は、輪に入るのが怖かっただけだ。

 勉強だけはちゃんとやった。バイトも真面目にこなした。奨学金も、なんとか返せそうだ。

 だけど―

 ポケットの中で学生証を握りしめる。少し角がすり減っていた。あと半年もすれば、ただのプラスチックになる。

 人生、楽しめていただろうか。

 誰かが言っていた。「大学は人生の夏休みだ」って。僕はずっと、その夏休みに宿題ばかりしていた気がする。

 海にも行かず、祭りにも行かず、恋もせず、声を上げて笑うこともなかった。

 遠くで、誰かが笑っている。

 夜風が少し冷たくて、ほんの少しだけ涙がにじんだ。

 それでも、歩き出した。コンビニの灯りが、遠くに滲んで見えた。何度も通った道なのに、ひどく薄暗い気がした。目線が自然と下がっていく。

僕はきっと、人生を味わい損ねたのだ。テーブルについても、皿を眺めるだけで、カトラリーに手を伸ばそうともしなかった。

知っているのは、後悔とか妬みとか、そういう味ばっかりだ。

ふと、コツンコツンと軽快な足音が響いているのが耳に入った。前を見上げると、若い女性が金髪のポニーテールを揺らし、ワルツでも踊るかのように楽しげに歩いている。思い返せばスキップのつもりだったのかもしれない。耳元からはイヤホンコードが伸びていので、音楽でも聞いているのだろう。

ピンクベージュのジャケットに、光沢のある黒のフレアスカート。手にした小さなショルダーバッグはラメが光り、自分と交わることはない側の人間なのだと感じさせた。

夜道には二人分の足音が響く。もっとも、僕の小さい足音なんて、彼女には聞こえないのだろう。

―ああ、人をすぐに測ろうとする自分に嫌気がさす。気づけば視線は足元に戻っていた。

その時、赤色のなにかがコンクリートの上に落ちているのが目に入った。拾い上げてみるとそれはハンカチで、細かいレースの縁取りがほどこされていた。

―あの人が落としたのかもしれない。声をかけるべきだろうか。

立ち尽くしながら一瞬悩んだが、すぐに答えは出た。彼女が落とした物とは限らないし、わざわざ届ける必要はない。夜道に話しかけて、怖がらせるのも忍びない。そっと見やすい場所において、また歩き出せばいい。

それでいい。それでいいはずなのに、ハンカチから手が離せなかった。

考える間にも、軽快な足音はますます遠ざかっていく。道の先は二手に分かれていて、自分の帰路とは異なる道に彼女は進んでいた。

もう一度ハンカチに目を落とす。よく見ると花柄の刺繍が刻まれていて、大切にされているのだと分かる。

―今日は遠回りをして帰ろう。

かすかに聞こえてくる足音に誘われるように、僕は走り出した。

久しぶりに手に取ったカトラリーは思った以上に軽かった。

一口目は、少し苦くて、それでもちゃんと温かかった。どうせなら、食べこぼしてでも笑っていたい。

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