茄子と俺

血飛沫とまと

茄子と俺

 僕は茄子人間です、と彼が言った。


「茄子人間?」


 と俺は問う。


「はい、茄子人間です」


「いや、ただの人間に見えますが」


 目の前の男は紛れもない、一般的なアジア人成人男性のように見えた。そもそも、茄子人間って一体何なのだ。


「じゃあ、僕は茄子です」


「はい?」


「僕は茄子なんです、もはや」


 だめだ、全く理解ができない。もうこいつと話したくない。


「茄子ってね、お兄さん。茄子って、なすびっていうでしょう? なすびって、元は『なつみ』って発音してたらしいんです。夏に実がなるから、夏実。『なつみ』が訛って『なすび』。そういうことらしいんです」


「はあ……」


 まったく話が読めない。何の話をしようとしているのだ。


「僕、本名がなつみって言うんですよ」


 彼は言ってやったぞ、という具合のドヤ顔をしてみせる。なぜそんな自慢げなのか、俺には理解ができなかった。それだけではない、俺にはもはや彼の言動が何一つ理解できなかった。


「なつみ、可愛い名前でしょう」


「可愛いですね、あまり男の子っぽくないくらいには」


「そうなんです、家族にも可愛がられました。幼いときの僕って、それはもう美少年で」


「うおお、流れるように自慢話に……」


 ちくしょう、油断してた。


「それはもう可愛くて、まるで女の子みたいで、だからなつみなんて名前も違和感がなかったんです」


「この年齢になるとキツイっすねえ」


「やかまし。……僕の実家ってね、ちょっとお金持ちなんです」


「また自慢か⁉」


「まあまあ。金持ちは苦労を知らないだとかみなさん仰りますがね、僕はおよそその苦労に値するものを経験しているんです。それを聞いてほしいんですよ」


「聞いてやりますか」


「貧乏人には理解できないと思いますけどね」


「ああ、もう聞きたくねえ」


「僕の実家にはお手伝いさんみたいなのがいたんですよ。僕の苦労というのは、要は、お手伝いさんに関わることでして。お手伝いさんというのが、もう中学に上がるくらいの娘さんのいる女性だったんですが、旦那に逃げられて、女手一人で娘を育てていまして、その娘さんというのも可愛らしい子でね」


 いったい、いつ苦労話が聞けるのか、俺は期待して彼の話を聞いていた。


「お手伝いさんも、その娘さんも、僕のことを『おなす』なんて呼んでね、昔の女房言葉というやつらしいんですが、可愛がってくれたんですよ。でもそのお手伝いさん、旦那に逃げられたということだけ知っていて、僕はその旦那さんがどんな人かは知らなかったんですが、随分と若い人だったらしくてね、お手伝いさん、離婚してから、かなり不満が溜まっていたらしいんですよ。いわゆる、シモの不満が」


「…………」


「僕は可愛い上に、優しかったんです。……お手伝いさんはたまに、鬼ごっこに僕を誘いました。お庭に日本庭園がありまして、その周りは少し背の高い木々な並んでいましてね、それはもう趣があって、大好きな風景だったんです。今ではもう、大嫌いな風景になってしまいました」

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