第9話 ピースの中身

台所シリーズ第4部「台所の世界をかえる」知覧

第9話 ピースの中身


1 父の傘と煤の宝石


忘れ物名人だった父の傘が、40年の時を越えて見つかったような気がした。

スーツケースの中にあった、母に「上野十猪」と白書きされたあの傘。

中東から戻ってきた時には、その場所がピスタチオの缶に変わっていた。


なんて、いとおしい傘だろう。

目の前に広がる影の中、ドバイの婦人が羽織ったシルクのショールに隠れるように、

手提げ袋の薄地の布のあいだに、ひっそりと記憶が宿っていた。


その手提げ袋の中に、たしかに父の傘が見えた。


40年の時を越えて見つかる傘──それは、「父の痕跡」だった。


そして、まさにさっき見つけたパズルのピースのかけら。

あきらめかけて、心の隙間を探し続けても埋まらなかったその断片が、

ついに、ここにあったのだ。



2 スーツケースの空白を埋めたピース


傘、父のわずかな着替え、喜ばれると信じて用意した日本製の黒ボールペンの束──そして、あの隙間に入れていたもの。


そう、それは「煤(すす)」に包まれた黄金の宝石。目の前の鰹節だった。


父は、母に頼んで知覧から取り寄せた、すす色の原石のようなこの鰹節を、丁寧にスーツケースに詰めていた。

一つ一つを新聞紙で包みながら、まるでパズルのピースをはめ込むように、収める場所を決めていった。


あの頃の新聞紙に包まれて、王貞治やパンダの写真と一緒に、いったいどんな言葉が綴られていたのか。

中東の未来について、なにかが記されていたのかもしれない。

平和の願いと希望に包まれていたかはわからないが──

削れば輝く、黒い鎧をまとった宝が、祖母の手、母の手、そして父の手によって、海を渡ったのだ。


外殻を削ると顔を出す輝きは──

・黒灰色の大地に隠された黄金の鉱脈

・削れば輝く、黒い鎧をまとった宝

・煤に包まれた黄金の宝石

・黒灰色茶の皮を削るたび、金の粉が舞い踊る

・漆黒の表面を削ると現れる、光を纏った金色の心


朝目新聞に包まれた、父が考えた中東へのお土産。

その言葉たちを、いまこうして並べてみる。


記憶の中でよみがえった。

父が中東に持っていったものを、こんなふうに言い表しても──

もう、少しも大げさには感じない。


あの黒い延べ棒は、まちがいなく、

「中東の未来はどこに」と見出しのついた、当時の朝目新聞に母の手でくるまれ、

父のスーツケースに収まり、同僚と母と私と弟に見送られながら、羽田の東京国際空港から空へ飛んだ。


あの頃は、ハイジャック事件も多かった。

父がいなくて寂しい思い出はあまりないけれど、飛行機のニュースがテレビで流れるたびに、

夜中でも、知覧のおばあちゃんから妙蓮寺ニューキャッスル205号室の黒電話に電話がかかってきたのは、今でも覚えている。


母はいつも、「どの国にいるのかもわからなくて」と、短く言って電話を切った。

鹿児島と横浜を結ぶ、当時の電話代を思えば、それはとても自然なことだった。


やがて、黒電話の時代が終わり、携帯電話が世間に広がっていく。

その頃、ちょうど父が仕事から引退することを決めた。


無理やり持たせた携帯電話。

父との、わすれられない唯一の長電話。

それは──知覧・枕崎と、岩見沢をつないだ


3 父の携帯電話がつないだもの



子どもの頃は、スマホどころか、携帯電話だって、ドラえもんのアニメに出てくる未来の道具のひとつだった。

携帯電話が普及しはじめたころと、父が仕事を引退すると決めた時期は、ちょうど重なっていた。

心臓に持病のある父に携帯を持たせようと話しても、

「仕事をやめると決めたのに、そんなもの、おとうさんにはいらない。」

父は、そう言って、最初はかたくなに断りつづけた。

それでも、哲郎が機種変更したいという口実で、無理やり旧機種を持たせたのだった。


──父との、唯一の長電話。

あのとき、父はきっと、この近くの道路を走っていた。


眠るおばあちゃんを乗せた霊柩車のなかからだった。

見ていないはずの父の無言の表情だけが、鮮明に思い出されるのに、

あんなに長く話したというのに、父の声の抑揚だけが記憶に残り、言葉はすべて、風にさらわれてしまった。

思い出そうとすると、心の波にさらわれそうになる。

でも、その波は──

この二月の南国の風に似ている。


やがてやさしく、

そっと、胸をなでるものに変わっていくようだった。




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