第3話2柱(A)_押しかけ女房の正体
家の居間。
普段は婆ちゃんがテレビを見たり、お茶を飲んだりしてくつろいでいる場所だ。
クーラーもよく効いており外の灼熱地獄が嘘のような天国である。
最も。
今はくつろぎとは程遠い時間が流れているが。
丸いちゃぶ台を挟んで俺と”俺の嫁と名乗る彼女”が座り、その間に婆ちゃんが座った。
3人の目の前に置かれた湯呑みからは微かに湯気が立ち、ちゃぶ台の中央には個包装の饅頭が菓子皿に積まれている。
婆ちゃんは茶を飲みつつ饅頭を摘みながらも、俺に厳しい目を向け続けてきていた。
目の前の彼女はというと、何を言うでもなく綺麗な正座のままずっと俺に微笑みを向け、時折湯呑みを綺麗な所作で持ち上げて口をつけている。
女性という生物との会話は慣れたと思っていたが、"嫁"というのはさすがに初めてだ。
俺は何と言って良いか分からず、無心で自分の目の前にある湯呑みを見続けてしまう。
あ。
茶柱。
遠くの蝉の鳴き声と、婆ちゃんの茶を啜る音を聞きながら、俺は意を決して顔を上げて彼女に話しかけた。
「あ、あの!」
俺が身を乗り出して話しかけると、彼女は微笑んだまま小首を傾げて反応した。
か!
可愛すぎる!!!
俺は思わず、ニヤケ顔を見られないように口元をてで隠し、バッ!と上半身を後ろに向けて身悶えた。
ドス!
「ぐふぉ!」
婆ちゃんが俺の脇腹に拳を入れてきやがった。
やめろババア!
何か出てくるだろ!
(気持ち悪い動きしとらんで早う喋らんか!)
婆ちゃんに小声で言われ、俺は改めて彼女に向き直った。
「えっと……まずは名前を聞いても良いかな? あ! 俺は尊。
俺が真剣な表情で聞いたからか、彼女も微笑んでいた顔をキュッと引き締めて反応した。
だが、なんだか彼女は困っているように見える。
俺、なんか聞き方を間違えたか?
「”名”ですか……。あなた様から名乗って頂いたのにも関わらず大変失礼なことですが、わたくしは私めの名を思い出せないのです」
「それって記憶が無いって事?」
「いえ、全てではございません。朧気な記憶もございます。ですが、名や生まれなどは何も……」
彼女はそう言うと、悲しげに目を伏せた。
あぁ。愁を帯びた表情すらも美しい……。
「そ、そうなんだ」
いきなりヘビー目な話題を出されてしまい何と返せば良いのか分からなかったから、思わず適当な返事をしてしまった。
こういう時に気の利いた返事ができたら良いのにと思う。
次に繋げる話題も思いつかないので、俺は思い切って最も気になる事を聞いてみる事にした。
「それで。俺に嫁入りするって話なんだけど。どうしてかなって……」
仲が良いと思っていた女の子でさえ俺に好意なんか持っていなかったというのに、話したことも無いこんな綺麗な女性が俺の事を好きだなんて信じられない。
正直今でも新手の詐欺かなんかじゃないかと思ってる。
「俺たちって初対面だと思うし君が記憶喪失だっていうなら尚更、何でなのかなと思ってさ」
「そんな事でしたか!」
彼女は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「それはつい昨日の事だからです」
彼女のその返答に俺はますます訳が分からなくなった。
昨日?
この子に会ったのか?
大学にはこんな子はいなかったと思うけど。
この子が遠くから一方的に俺を見たって事なのか?
それでいきなり俺の嫁に来た?
それはそれで怖いな。いや、こんなに可愛い子なら大歓迎かもしれない。
様々な考えと邪な思いが巡る。
「分からないのも無理はございません。わたくしは
ん?
彼女の言葉に疑問が浮かんだものの、彼女が急に語気を強めたため浮かんだ疑問を押し込んだ。
「わたくしは、いつ我を失うやもしれぬ永遠という恐怖の中、何とか意識を保っておりました。あと1日遅ければ、わたくしは自我を失い消滅していたやもしれません」
彼女は真っすぐ俺を見てくる。
真剣な眼差しも美しい……。
「そんな時でした。貴方様がわたくしの目の前に現れたのは」
やっぱりこの子と俺は会っているのか?
「暗闇の中から、その御手でわたくしをお救いくださり、丁寧に拭きあげて頂きました」
ふ、拭き上げて?! 生まれてこの方、母さんと婆ちゃん以外には触った事無いぞ?!
「丁寧に苔を取り除き、草を取り払ってくださったことで、わたくしを縛りつける鍵が解かれました」
……。
こんな事あるわけない。
そう思いたいが、それを知っているのは俺だけのはず。
つまり。
「あの地の”祠”に囚われていた、
間違いない。
この子は昨日の勾玉だ!
◼️
昨日の裏山でのことは婆ちゃんにも言ってないから俺しか知らないはずだし、この子が昨日の勾玉に宿っていたというのは間違いないだろう。
だが問題はもっと別の所にある。
「君にはどうしても聞いておかなきゃならない事があるんだけどさ」
「なんなりと」
「君はさっき"たましい"とか"実体を持った"とか言ってたけど、もしかして幽霊ってやつ……なのか? その割にはこうやって話ができるし、さっきお茶も飲んでたよな?」
そう言うと彼女は自分の体を確認しだした。
「そうなりますでしょうか。わたくしは確かに肉体が無かったのですが、何せ気付いたらこのようになっておりまして。わたくし自身も何が何やら」
「そ、そうなんだ」
その後もいくつか聞いてみたのだが、自分が死んだのは確かではあるものの、いつ、どこで、どのように死んでしまったのかは分からないとの事だった。
気付いたら勾玉の中に封じられており、意識もはっきりとはせず、ずっとふわふわ漂っている感覚の中にいたらしい。
「ですが。悪い事ばかりではございませんでした」
そんな中でも世の中の状況は遠視のようなもので見ていたそうで、今までのこの国の過去はもちろん。
現代の事もある程度知っているらしい。
「豊かな時、貧しい時、困難な時。どんなときも乗り越えてきた民草の移ろいゆく暮らし。それを眺めることだけが、わたくしの唯一の楽しみでした」
「そうなんだ……」
さっきから同じ相槌しかできていない事に自分でも気づいた。
仕事しろ! 俺のコミュ力! 会話を広げろ!
どうにか話を繋げようと唸っていると。
「うなーーん」
「モーセ?!」
普段は神社にしか現れないボス猫が、居間に面した庭に現れた。
ドンッ!
うお! ビックリした!
婆ちゃんが湯飲みのお茶を飲み切り、ちゃぶ台に勢いよく置いたみたいだ。
なぜだが険しい顔をしている。
顔中が皺だらけで凄いことになってるぞ。
「こうなれば……隠す方が危ういか」
「え?」
婆ちゃんはそう言って立ち上がると、庭に面したガラス戸を開けた。
開けた戸の隙間から、縁側にいたモーセが悠々と入って来る。
そしてちゃぶ台の前で胡坐をかくと。
……!?
猫って胡坐で座れるのか!?
「よぅ尊ぅ。こうやって話すのは初めてだなぁ。話せる猫なんてきみ悪りぃだろぅがぁ。今まで通りになでてくれて良いぞぅ。」
しゃ、喋ってる!
猫が喋ってる!
だがそんな事よりも!
「オッサン声! めっちやオッサン声じゃん!」
「オ! オッサンだとぅ!? このぷりちーな俺様に向かってぇぃ、なんてぇ言いぐさだぁ!」
おっさんと言われたのがかなりショックだったらしく、実にコミカルなショッキングフェイスだ。
だがそれは俺だって同じこと。
ずいぶんデカい猫だとは思っていたが、まさか喋るなんて予想外すぎる。
しかも予想以上のオッサン声だったし。
2人(?)してショッキングフェイスで見合っていると。
「ごほん!」
婆ちゃんの咳払いで俺たちはどうにか正気に戻った。
モーセはまだしょんぼりしているけど。
「この通り、此奴はただの猫ではない。”八塩”様と言うてな。創建当時よりこの神社の守護を司ってきた神様じゃ」
「神様……」
「なんでぇ?」
神様と言われても……。
目の前の猫には神々しさも威厳もあったものではない。
まだ”猫又”と言われた方が納得できるレベルだ。
当の本人(本猫?)は部屋の隅にある座布団を引きずってきて、自分の座る位置にセットした。
「立巳ちゃん! 茶ぁ!」
「わかっとるわい!」
婆ちゃんの名前、”立巳”だったわ。ほとんど呼んだこと無いから忘れてた。
台所で湯呑にお茶を入れた婆ちゃんが、お盆を運んできて俺たちの前に置いてくれた。
「ほれ。」
「おぅ、悪いねぇ。お! 冷てぇ! 分かってるじゃねぇかぁ」
「まったく。ちっとは遠慮を覚えんか」
「遠慮で腹ぁ膨れねぇぜぇ、立巳ちゃん」
何だこの熟年夫婦みたいなやり取りは。
モーセは目の前の湯呑みを両足の肉球で掴むと、ゆっくりと口につけて茶を啜り、一息。
「あ゛あ゛あ゛~~~」
やっぱりどう見てもオッサンだろ。
「尊ぅ。そして
”御姫様”って、この子の事か?
なんでモーセがこの子を知ってるんだ?
だがその疑問はこの後のモーセの話に全て吹き飛ばされてしまうことになる。
■
昔々。
世が乱世に入ろうかというそんな時代。
俺や婆ちゃんのご先祖様の
そしてモーセが
ここにいる彼女は、正真正銘の幽霊ということだ。
彼女と、当時の山門当主は結婚する予定だったのだが、政略結婚などでは無くお互い愛し合っていた。つまり当時としては珍しい恋愛結婚というやつだな。
家臣や領民はそれを自分の事のように喜び、皆がそろって二人の婚約を祝ったそうだ。
だがそれを良く思わない者がいた。
山門一族と同盟を結んでいた隣領の守護大名当主である。
その守護大名は二人の結婚を阻止するべく、なんと戦争まで仕掛けてきたという。
山門の一族達と彼らを慕う人々は、二人を守ろうと必死に奮戦したものの多勢に無勢、多くの家臣や領民の血が流れ、そしてついには二人も殺されてしまったそうだ。
生き残った山門一族と家臣そして彼らの領民は、彼女の亡骸だけでも相手の手に渡らせまいと逃れた山で密かに埋葬した後に祠を建て、
山門と彼女の一族はその後、生き残りがその山の麓に神社を創建して彼女を祀り、代々の山門家当主が神職を務め、彼女に祈りを捧げてきた。
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