第21話
「では、行ってくる」
支度を調え、香月を伴って屋敷を出た玄侑の行く先は、まずは帝の居城だった。
境界を定める『定めの儀』を行わなければならない自分と違って、彼女は神官たちのようにその場に臨めない。自分ひとりなら神宮に降り立てば良かったが、香月を人に任せる必要があったため寄り道をし、彼女を巫女に任せてから『定めの儀』に臨んだ。
いささか仰々しいとも思える神宮の奥の間で、それは行われた。玄侑の力で造られ、香月の力が封入された鈴鐘は、腰に斜めに掛けた帯革に差してある。それを一本ずつ抜き取り片手で高らかに持つと、ふわりと手から浮かせ、その鈴鐘が守るべき方角を命じる。
「汝、人世八方がひとつ、第一の際へ疾く飛翔せよ。行きし先で妖封じ止め、人世に平穏を」
静かな声に鈴鐘は、りりりん、と、まるで頷くかのように応じ鳴ると、玄侑が香月の力を得て炎を輝かせたように、明るく光りながら浮上していく。そして屋根などないかのごとくすうっと高い天井を突き抜けると、りんりんりん、というやさしい響きを響かせながら、命じられた方角へ飛んで行った。
際が定められたかどうかは、命じた玄侑自身が感じ取ることが出来る。今までどうにも不安定だった人世の際が、儀式を行うごとにどんどん形骸と化しつつあった鈴鐘の代わりとして収まるべき場所に収まり、堅く守られていくのが分かった。玄侑はひとつ責を果たせたことに安堵する。
そして全ての鈴鐘を配置し終わると、玄侑は厳かにそれを宣誓した。神官は恭しくこうべを垂れ、静かに言葉を発する。
「此度の神事、まずは我が主に変わって御礼申し上げます」
神官は再びこうべを垂れる。そして、ひそやかに申し述べた。
「ところで蓮平ですが、どうも第二の際の封印を解いたようで」
「なに」
玄侑は片眉をピクリとあげ、神官を見た。神官はその太く長い白の眉と口ひげに表情を隠し、更にこうべを低くして続ける。
「しかし、蓮平は今のところ無事です。おそらく、封印を解いたのは、あの一家のものではないかと」
「手引きしたものがいるのだな」
鋭い声で低く問う玄侑の言葉に、神官は慎重に続ける。
「断定は出来ませぬ……。しかし、非常に巧妙に、解いたことを隠されていたとのことでございます」
玄侑は難しい顔をして考え込んだ。奴を封印し、留めた第二の際を開けるには、かなり大きな力が必要だったはず。その力の代償に耐えられる人間というものに、玄侑は心当たりがない。
大きな力を得るには、相応の器が必要だ。普通の人間では、為し得ない。また、開けたことを悟らせないようにしてあった、というのも気に掛かる。
しかし、あの際が開けられたことが真実であれば、今回の儀式は間に合っていない。既に奴(・)が人世にいることを想定しなければならなかった。
神官が玄侑の言葉を黙して待っている。疑問を浮かべるのは止め、抑揚のない声で告げた。
「ならば、封印し直さなければならない。解決の暁には、蓮平の処罰は任せる」
帝も玄侑に頼むしかなかったのだろう。彼の意図通りとなって、神官は荷を一つ下ろした顔で、御意、と重々しく応えた。
せっかく香月の力を借りて万事を収めたと思ったのに、問題が起っていていささか憤りを感じる。しかしそれを表出するわけにはいかなかった。神宮から巫女たちの部屋に行くまでに気持ちを整え、出来るだけ平静な状態で部屋の中に声を掛けた。
「お帰りなさいませ、玄侑さま」
襖を開ければ、部屋の中で巫女たちにもてなされていた香月が顔を上げた。その微笑みに、若干神経が尖っていたのか、知らず肩の力を抜く。
卓には茶や菓子などが並べられており、いつも玄侑のために食事の支度を手伝ってくれている彼女には、良い気分転換になったのではないかと、少し安堵した。
「お疲れさまでございました。滞りなく終わりましたか?」
香月が立ち上がり、歩み寄って言った。
「ああ。待たせてすまなかった。何も不安なことはなかったか」
玄侑の言葉に香月は、はい、全く、と微笑んだまま言った。しかし背後の巫女たちの様子は、そのようには見えない。
(なるほど)
巫女は平素から神聖なものに接している。つまり普通の人間より黒の気配にも敏感だ。香月に傷の痕はないが、その身の内の黒の気配を彼女たちは察知したのだろう。彼女たちの気持ちは表情により明らかなのに、それを不服と進言しない香月が、少しだけ不憫だった。彼女はおそらく、人世で常にこうやって過ごしてきたのだ。
(力を持ちさえしなければ、蓮平でも、他の民と交わっても、このように忌避されることがなかっただろうに)
そう思うとずくりと体の奥の方が痛む。ひとつは彼女を擁護する立場として。もうひとつは……。
そこまで思い至り、ふるりとかぶりを振る。
(いや。全て上手く廻れば、香月も人世で俯かずに歩けるはずだ)
己にそう言い聞かせ、彼女に目配せをして歩き始める。香月は巫女たちに頭を下げてから、玄侑の後に付いてきた。
そうして役目を果たし終えた玄侑が香月を連れてきたのが、帝都の中心部である繁華街であった。
町並みは西洋風の建物が多く、それも香月の目を楽しませているようだった。興味深げにあちこちを見る様子は、隣を歩いていて微笑ましく感じる。
今し方に接してきたのが神職のものたちだったから、香月の出で立ちには安堵を覚える。やはり自分は闇の色が落ち着くようだった。それは香月の着衣についても言えた。
夜斗が選んだのは、やさしげな鉄線と鈴文を描いた楚々とした着物だった。帯は金銀の刺繍で花菱文があしらわれている。
そう。香月には控えめなものがよく似合う。着物や、帯、鈴鐘のかんざしや巾着に至るまで。しかし、それがうら若き乙女である香月の魅力を最大限に強調できているかと言われたら、夜斗に言われたときのように、それで良いとは強く言えない。自身の黒が、人世で忌み色として認識されていることを、玄侑もよく分かっていたから。
一緒に歩きながら初めて見る街並みを楽しんでいる香月に、問うてみた。
「どうだろう、香月。ひとつ華やかな着物をあつらえてみないか」
玄侑の言葉に、香月はきょとんとした。
「何故……でしょうか……」
香月は素直に、疑問のようだった。
「いや……、周りがハイカラで色鮮やかなものばかりなのに、君は俺に合わせて黒だから、気も沈むのではないかと……」
「そんなことはありません。玄侑さまのお色ですから」
玄侑の気後れした言葉に、香月ははっきりと笑みを浮かべてそう言った。その言葉は、玄侑の背中を強く押す。
「そうか」
「はい」
にこやかに言う香月に、しかし、と思う。
「だが、やはりあつらわせてくれ。俺が、君に、贈りたいのだ」
さらに言うと、香月はもう一度きょとんとした。
「何故……、ですか? 必要もありませんし、理由もありません」
理由。理由か。難しいことを聞くな、と思うが、ここで折れるわけにはいかない。玄侑は香月の手をぱっと握った。
「っ!? げ、玄侑さま!?」
「いいから、行くぞ。君は黙って、ついて来てくれればいい」
ぐいぐいと香月を先導して街を歩く。手を引かれている香月の顔が、朱に染まったのを見てしまった。
「……っ」
この時沸き上がった情動を、人は何というのだろう。
玄侑は、それを表す言葉を知らなかった。
ただ、思う。
いますぐ、彼女を抱き締めたい、と。
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