第19話


神山から戻り、玄侑は白陽によってもたらされた原石を元に鈴鐘を造るために小屋にこもるようになった。時間が足りないと言って、昼間はずっと槌を打っているので、香月は玄侑の体調が心配になる。夜は人世へ神気を滅しに行っているし、一体いつ休むのだろうと思う。

しかし様子を見に行こうとする度、鷹宵に、元来玄侑はああいう気質であると諭され、心配をぐっと堪えて屋敷で待っていた。そわそわと落ち着かない香月とともに食事を用意する夜斗も、主の体調を心配していた。


「玄侑さま、ご自分のことはまったく頓着されないですからね……。鷹宵さんがそれを尊重するものだから、それが当たり前だと思っていましたけど、香月さまがご心配なら、私だって心配していいんだって思うようになりました」


同じ玄侑の眷属だが、鷹宵と夜斗はずいぶん主への接し方が違うようで、夜斗が香月の気持ちに寄り添ってくれたので、いくらか心が楽になる。不安や心配は、ひとりで抱えていると大きくなるものだと実感していたので、夜斗には感謝しかない。もちろん、鷹宵の意見も玄侑を中心に考えてみると頷くところがあるので、こちらも大変ためになる。

なので鷹宵の意見を重んじ、心配は夜斗と二人で打ち明け合っていたのだが、ある日鷹宵が大きな声で香月と夜斗に食事を用意するよう叫んだので、何事かと思った。曰く、


「度を超して熱中しすぎたようです。炉の前で腹が減って動けないようで」


と言ったから、香月は慌てて夜斗と一緒に握り飯をたくさん作って小屋に運んだ。鷹宵の言うとおり、玄侑は鷹宵にこんこんと説教を食らいながら、炉の前で力なく頭をうなだれて座りこんでいる。香月は夜斗と皿の上に積み上げた握り飯を玄侑の前に差し出し、声を掛けようとした。すると、玄侑が香月の名を呼んだ。


「香月。これでいくらでも練習が出来るぞ」


そうやわらかく言って、自らの陰になっている場所を見せてくれた。そこには原石を打ち込み、彼の力を加えて成形された黒々とつややかな鈴鐘が不規則に積み上げられており、ほら、とそのうちの一つを渡された。

鈴鐘を受け取ったときの玄侑の指先はやや荒れており、ずっと原石を触っていたからだと思うと、彼がこれを造らなければならない理由は理解していても、その一端に自分の失敗続きがあったからだと思うと、どうしても喉にぐっとこみ上げるものがある。


「玄侑さま……」

「なんだ」

「本当に、御身を大切になさってください……。玄侑さまが倒れてしまっては、人世を元に戻すこともなにも出来なくなります……」


香月の心配に、玄侑はなんだそんなこと、と息をこぼした。


「俺がやらねば誰がやる。全て俺の責任だ。先延ばしに出来ることではない」

「ですが……」

「いいか、香月」


思いのほかしっかりした口調で言われて、香月は居住まいを正す。


「そもそも人だってそれぞれ責任を負っているだろう。神たる俺がそうせずとも良いなどと思うな。俺たちは君たち人に、より多くの責任を負っている。そうであると定められているからだ」


それに、と玄侑は続ける。


「俺は君にだって、責任がある。これは定められたものではないが、俺の意思でそうしている。君だって俺との契約がなかったら、そこまで俺のことを気にせずとも良かっただろう。それに対しては、詫びる以外にないが」


言葉の最後を言いながら、玄侑がやや視線を下げた。そんなことをして欲しくなくて、香月は玄侑をまっすぐ見ると、背を伸ばし、胸を張った。


「玄侑さま。いつ私が契約のことを嫌だと申し上げましたか。私は毎日、神世に居られて……、いいえ、玄侑さまのおそばに居られて、幸せなのです」


そう、幸せだ。誰も香月をいじめたりしない。それどころか頼りにしてくれたり、力になってくれたり。出来損ないだった香月には、十分すぎる時間だ。


「それに、玄侑さまは人も責任を負っているとおっしゃいました。それを蓮平の娘として考えるのであれば、そもそも私は玄侑さまの手足となって働くことを帝から命として課せられております。私には破妖の才がありませんでしたが、別の形で玄侑さまのお力になるべく、頑張りたいと思っています。それは蓮平の娘としてであり、玄侑さまに助けて頂いたから恩義からです。契約が今の私を縛っているからではありません。わたしの、意思なのです」


はっきりとした香月の言葉に、玄侑は目を見張った。神世に来て最初に玄侑が驚いたらしい(鷹宵の言だったが)変化よりも、より分かりやすい表情の動きだった。その差異に、香月の心がどきりと反応する。

うれしいと。玄侑が感情を表出してくれることをうれしいと、感じていた。

彼になにかを欲していたわけではない。妖魔に身を差し出すことから救ってくれ、あまつさえ仕事を与えてくれた。それだけで十分であるはずなのに、自分の言葉に反応してくれる、その違いを目の当たりにして、喜びを感じてしまったのだ。


(玄侑さまは……、もしかして私にも少しは心を開いて下っているのかしら……)


神世における異物である香月の所為でそのようなことになっているのであれば、それが良いことなのかどうか香月には判断がつかないので、冷静な鷹宵に判断してもらいたいくらいだ。しかしその善し悪しの一方、香月自身が玄侑の変化を喜んでいる。


(どうしよう……。そうだとしたら、すごく嬉しい……)


心がぐずぐずに溶けてしまいそうな幸福感。誰かの反応がこんなに心の臓を高鳴らせるだなんて、香月は知らなかった。丹早の言葉から、それはいけないことだと思っていたのに。

香月がそんな風に落ち着かない心境で玄侑の瞠目を見ていると、彼はそうか、と穏やかに言葉を発した。


「君の口から、契約に縛られていないなどと聞くとは思わなかった。俺の方がよほど縛られているということか」


自嘲に聞こえる言葉も、声音がそれを裏切る。もしかしたらいつか彼も、負った責任のみではない時間を過ごしてくれるかもしれない。そのときに香月が立ち会えたら、それはとても嬉しいことだと思う。とても贅沢な願いで、口に出すことは出来ないが。

人と神では負う責任が違うかもしれないけれど、香月はそんな未来を、玄侑に望んでしまった。


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