呼ばれた者
風見鳥
1章
この世の不可思議が理知によって解き明かされる時代となって久しい。
かつては未知で理解不能だった多くのことに、人間の知性が追いついて解明されることで、自然の奥ゆかしい内面は徐々に人類へ明け渡されてきた。今はまだ分からないことも、何十、何百年の果てに人間の知性がその次元へ辿り着いたときに、ごく単純な言葉で解説される日が来るだろう。
だからこそ、
大学における有賀裕哉の研究対象は、初めこそ無害な彩りに満ちたものだった。専攻は生物史、民俗学、宗教学、世界史、考古学と多岐に渡っていたものの、一見奔放な履修科目の中に確かな一貫性があることは、学友である
一方、中谷は世界の戦争史を広範囲に渡って学んでいて、怪しげなアラビア半島の地理史の講義が、二人の大学生を引き合わせたのだった。二人は大学内での行動を共にすることが増え、それに伴って有賀の興味は、先に述べた学問だけでなく関連項目を大きく網羅するに至った。
「――ゾロアスター教の興味深い点は、」
あるとき喫煙所で、有賀が中谷へ語った。
「三大宗教に肩を並べるほど世界的に信者が多いにも関わらず、魅力的な神話のひとつも見当たらないということだね」
「なんだそれは。いかにも俗っぽい感想だな」
お気に入りの煙草へ火を点けながら、中谷は笑いながら返した。
「大事なことだぜ、イエスが産まれたところや、ブッダのヘアスタイル、ムハンマドの里帰りについては誰だって知っているが、ゾロアスター教に関して最も有名な逸話といえば、ニーチェの著作ぐらいのものだ」
「ある意味世界で最も有名な同人誌だな」
「それは言えてる」
二人の手から立ち上る煙が風に融けてゆく様を、中谷はぼんやりと見つめた。二人はよく、こうした冗談を言い合っていた。有賀は民俗学の観点から、中谷は戦争史の観点から、共通の話題として宗教に関する会話が多く、ややもすれば冒涜に繋がりかねない談笑に耽りながら、しかし時として次なる研究の手がかりを得ることもあった。
有賀は気候と地理が、そこに生きる人々の信仰に与える影響を理解していたので、世界中の国々が特色ある産業によって発展してきたことは、その国の宗教観と結び付けて論じられると信じていた。だからこそ、常人よりも少しだけ、伝説や奇譚の類を真剣に受け止める用意をしていたのである。
大学卒業後、中谷は都市部の一般企業へ勤め、有賀は図書館司書の仕事のため郊外へ引っ越したが、彼ら二人は暇を見つけては顔を合わせ、互いの啓蒙を深め合う学友としての関係を続けていた。学問が往々にしてそうであるように、彼らの興味は学術的な記録、信頼のおける哲学書など、多くの歴史を収める書籍に向かっていた。片方が興味深い書籍や記述を見つければもう片方へと共有され、それぞれの分野の視点から意見を出し合い、それぞれの分野へ持ち帰る知識を得る。
学友と呼ぶべき関係の、およそ考えられる最上の状態がそこにあり、純粋な学びの喜びが二人の青年の生涯を彩っていた。一度きりの人生が、与えられる以上の時間を有するかのような質量の知識で満たされてゆく営みは、ほかの何よりも生を愉快なものにしたし、同じほどの精力と、微妙に異なる興味を持つ友の存在は、こうした楽しみに付き従いがちな孤独を抹消し、日々をより輝かせて季節を巡らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます