第7話 ゴブリン退治 2

「先生、足跡の数が増えてきましたね」

「ああ」


 ユニの言った通り、ゴブリンの巣の中心地へ近づくにつれて小さな足跡が増えている。先程よりも土が柔らかくなり、よりくっきりと足跡が残っていた。最近、この辺りで雨が降ったのか?これ以上地面がぬかるむと、戦闘の妨げとなってしまうかもしれない。


 だが、それ以上に気になるのは、さっきから対象の魔物に一切出くわさない事であった。そろそろ巡回するゴブリンに出会っても良い頃だと思うのだが。


 まさか、俺達が侵入がもうバレていて、どこかで待ち伏せされている?あるいは、息を殺して木々の影に潜み、もうすでに取り囲まれているのか?俺は周りを慎重に見まわした。しかし、彼らの気配は感じられない。


 警戒しすぎだろうか?元々彼らは、影に潜むという行動を取っても、基本的に大雑把な性格なので、姿を隠しきれていなかったり、息遣いで居場所がバレバレな事が多い。人の腰程に伸びた雑草の中に身を隠しても、大きく長く尖った鼻が丸見えで、それで隠れているつもりなのだろうかと、首をかしげる事もあった。


 このようなコミカルな姿を見ると、一瞬彼らも可愛く見えるかもしれないが、忘れてはいけないのが、ゴブリンが他の生き物をなぶり殺しにして、喰らう事を喜びと感じる残虐な魔物だという事だ。


 俺の緊張を感じ取り、ユニが静かに歩みを止めた。


「先生? どうし‥‥‥」

「静かに」


 彼女が俺に話しかけた時、奥の森の茂みで微かに声が聞こえたので、ユニの口を塞いだ。彼女はもごっと声にならない音を発すると、驚き、目を丸くさせた。しかし、ユニにも彼らの声が聞こえたのだろう。状況を理解すると、人差し指を唇に当て、沈黙の合図をした。


 聞こえてくるのは、やたら甲高い耳鳴りがしそう声で、とても不快感を感じる。一瞬、獣の鳴き声に聞こえるが、明らかに人とは違った自分には理解できない言葉で、意思疎通を図ろうとする声には、毎回ゾクリとさせられる。彼らが実際何を話しているのかは知りたくもない。


 俺とユニは、話し声のする茂みの中を気づかれないように近づき、そっと見た。そこには、二体のゴブリンが立っていた。何やら上機嫌に、人には理解できない言葉を喋っている。その様子に、俺は少し安堵した。


 少なくとも、すでに彼らに発見され、待ち伏せされている訳ではない事は分かった。そうなると、一つの疑問が浮かんでくる。なぜ、この森のゴブリン達はこんなにも警戒心が薄いのだろうか?すでに俺達は、巣の中心地にかなり近い位置まで踏み込んでいる。


 見たところ、この二体のゴブリンは、自らの巣を警備する見回り係ですらない。おそらく、食糧調達係だと思われる。一体が捕まえた兎の首を鷲掴みにして、上に掲げるポーズを取っている。


「先生、ゴブリン達は、一体何をしているんでしょうか?」

「分からない」


 としか、今は言えない。一つ分かるのは、仲間を呼ばれる前に、彼らを素早く始末する必要があるという事だ。相手は2体しか居ないし、ここで現状のユニがどこまで出来るか実力を試してみてもよいと思ったが、下手に逃げられて、応援を呼ばれても面倒だと考えた。基本的にゴブリンは臆病な性格なので、劣勢だと感じたら、すぐさま逃げ出すだろう。


 俺は、静かに懐から投擲用ナイフを二本取り出すと、二本同時にゴブリンに向けて投げた。投擲用ナイフは、一本ずつゴブリンの首にヒットした。彼らはぎゃっと声を上げて頭から地面に倒れる。片方は即死で、もう片方はもがき苦しんでいたが、やがてごぼごぼと口から血を吐き、動かなくなった。


「先生、凄いです」


 ユニが一瞬のナイフ投げ技術に驚嘆し、目を輝かせた。本当は、二体とも苦しませず即死させるつもりだったのだが。心の中でそう思ったが、口には出さなかった。


「大した事ないよ。長年【盗賊】をやっていればね」


 そう言いながら、ゴブリンの死体の傍まで行き、投擲用ナイフを抜き取りと、履いていたブーツに押し付け、血を拭った。ついでに、投擲用ナイフの状態も確認する。【盗賊】という職をやっていると、いかにナイフという武器が重要なのかが分かってくる。


 小回りが効き、咄嗟に自分の身を守ってくれるとても応用が利く小型の武器。他の職では軽く見られがちだが、俺は何度命を救われたか分からない。だからこそ、出来るだけナイフの品質を保っておかなければならない。


 よし、刃こぼれもないな。先程ブーツで取り切れなかった血を使い古したタオルで拭いた。気が付くと、ユニが俺の一連の動作をじっと見つめていた。何気ない自分の動きからも何かを学び取ろうとしているようだった。


「いい心がけだね。でも、ユニの職でナイフはあまり使わないかもね。‥‥‥いや、でも今度機会があれば、ナイフ投げのコツを教えてあげるよ」


「本当ですか?ありがとうございます」


 一瞬迷って言い換えたのは、今のユニにはどんな些細な事も大きな経験になるのではないかと思ったからだ。ナイフの扱いは【盗賊】といった一部の職でなければ、極めるのは難しいが、俺と同様にいつか彼女が自身を守る技術となるかもしれない。


 ナイフを懐に仕舞っている最中に森の奥から悲鳴が聞こえた。今度はゴブリンの声ではない。低い男の声だった。


「先生、今の声は‥‥‥」

「ああ、誰かが捕まっているようだ。急ごう」


 先程の悲鳴は、ゴブリンの中心地からのようだ。俺達より先に足を踏み入れた侵入者に気を取られていたから、警備が手薄だったのか?そうだとすると、今、多くのゴブリンが巣の中心に集まっている事になる。


 俺とユニは、少し早めの速度で、周りを警戒しながら移動し始めた。


「ユニ、今度は確実に実践に出てもらうけど、大丈夫かい?」

「は、はい」


 彼女の口ぶりから、緊張が窺えるが、ゴブリンの縄張りに入る前のように怯えた様子はない。覚悟を決めた蒼い目でじっと俺を見返してきた。どうやら準備は出来ているようだな。


 しばらく、人の腰程の茂みを掻き分け、前に進むと丸く開けた広場に出た。真ん中に巨大な岩が置かれており、それを取り囲むように、一見大きなテントのように見える粗末な家と、見張り台が設置されていた。


 しかし、いつ見ても酷い造りだな。ゴブリンの家は切り倒した太い木と枝がそのまま使われ、屋根の役目を果たす亜麻色の布は、所々破れていてまともに雨を防げるとは思えない。中央に置かれた巨大な岩は中が乱暴に削り取られて、岩窟となっていた。


 どうやら男の悲鳴は、岩窟の中から聞こえてくるようだ。よく見ると、中央にいくつもの太い薪が重なるように置かれ、大きな焚火が出来るようになっている。その中央に一本の丸太が突き刺さっており、一人の男がロープでグルグル巻きに縛られていた。


 その男の顔にはどうも見覚えがあった。そうだ、思い出した!ユウトと呼ばれたユニが所属していたパーティーメンバーの一人だ。


 近くにいた一体のゴブリンは、松明を持っていて何時でも重ねられた薪に火を付けられるようにスタンバイしている。まずいと思ったが、一度冷静になり広場全体を見まわしてみた。多くのゴブリンがこの広場に集合していると予測していたが、指で数えられる程の数しかいない。


「先生。あの人‥‥‥」

「ああ、分かってる。確か君のパーティーメンバーだったよね。」


 ユニも縛られているユウトに気づき、動揺している。


「早く助けないと」

「待つんだ。何かおかしい」


 焦る気持ちは分かるが、俺はユニの肩にそっと手を置き、落ち着かせた。数は少ないが、危険な魔物である事に変わりはない。一か所の固まっている訳ではないので、一体ずつ始末して数を減らそうか?


 俺の考えをよそに、いつの間にかユニが茂みから飛び出し、一直線に丸太に縛られている仲間へ駆け出していた。


 ちょ、ユニ?嘘だろ!あまりにも予想外の行動に一瞬、体が固まってしまったが、続いて俺も茂みの外へ飛び出し、彼女を追った。ゴブリン達は、ユニの姿を見ると邪悪な笑みを浮かべて彼女の方へ一斉に走り出している。


 くそ!俺は眼中にないってか?一体も俺の元へ向かって来ない。まずい、ユニの元へ辿り着く前に何体か数を減らさなければ。俺は走りながら先程使用した2本の投擲用ナイフをユニに一番近い位置にいる2体のゴブリンの首目掛けて投げた。


 ナイフはユニの被っている僧侶の帽子を掠りながら、目標に到達した。あ、危ないな。もう少しで彼女に当たるところだった。見事首にクリーンヒットしたゴブリンは絶命し、そのまま前のめりに倒れた。ユニの帽子を傷つけた事は申し訳ないが、おかげで彼女は冷静さを取り戻し、振り返って俺を見る。


「先生!」

「ユニ!一旦俺の後ろまで後退してくれ!」


 他のゴブリンが彼女の傍まで来ている。奴らは3体固まっていた。丁度いい、こいつの出番だ。俺は鞄から手製の煙幕玉を取り出し、ゴブリン達に向けて投げた。煙幕玉は奴らの前で爆発し、辺り一面黒い霧で包まれた。


 ユニが前方から俺の方へ走ってくる。彼女と入れ替わりに前線に出た俺は、ナイフを革製のシースから抜くと迷わず黒い霧の中へと突っ込んだ。


 霧の中では、視界を奪われたゴブリン達がギィギィと耳障りな甲高い声で叫んでいた。俺は、奴らの首に狙いを定めてスピードに任せ勢い良くナイフを振う。


 ゴブリン達は首から血を噴き出し、倒れ、事切れた。

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