『灯のない教室』
始まりの違和感
十二月の夜は容赦なく冷たく、暖房の効いた部室でさえ窓の近くに座っていると背中がぞくりとする。都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』の部室では、
「うー、寒い。もう少し暖房強くできないかな」
隣の席で資料を整理していた
「泰河、その本読むのやめたら? また怖くなって眠れなくなるよ」
陽菜乃が苦笑いを浮かべながら指摘すると、泰河は慌てたように本を閉じた。
「い、いや、これは調査のためだから。サークル活動の一環として……」
「へえ、じゃあ先週の『呪われた人形』の調査で、最後まで人形を見られずに外で震えてたのも調査の一環?」
「うぐっ……それは、その……」
泰河の顔が見る間に青ざめていく。陽菜乃は小さくため息をついた。霊感が強く、陽菜乃よりもはっきりと霊的な存在を認識できる泰河だが、その分恐怖も人一倍強い。陽菜乃には視えないものが泰河には視えるのだから、無理もないことではあるが。
「でも、泰河の霊感のおかげで助かってる調査も多いし。感謝してるよ」
「本当に?」
「本当。あなたがいなかったら、あたし一人じゃ気づけないことばかりだもん」
陽菜乃の素直な言葉に、泰河の表情がぱあっと明るくなった。単純だなあ、と陽菜乃は心の中で微笑む。それでも、そんな泰河の人懐っこさが嫌いではなかった。
陽菜乃が胸元のお守り袋に軽く触れると、中の鈴が優しい音色を響かせた。泰河はその音を聞いて、どこかほっとしたような表情になる。
「その音、聞いてると安心する」
「そう言ってもらえると嬉しい」
そんな穏やかな時間が流れていたそのとき、部室のドアが勢いよく開かれた。
「みんな、すっごいものを見つけた!」
「湊先輩、どうしたんです? そんなに慌てて」
「これを見て!」
湊は手に持った古い資料を机の上に広げた。黄ばんだ紙に印刷された文字は、明らかに数十年前のものだとわかる。
「これ、大学の古い資料室で見つけたんだ。昭和四十年代の学生新聞なんだけど、すごい投稿記事があるんだよ」
泰河が恐る恐る資料を覗き込む。
「え? なになに……『夜にだけ現れる教室について』……うわあああ!」
記事のタイトルを読んだ途端、泰河が椅子から飛び上がった。陽菜乃は彼の反応に苦笑しながら、資料を手に取って読み始める。
「この投稿が事実かどうかは定かではないが、複数の学生から同様の証言を得ているため、記録として残すものである。夜の十一時以降、旧校舎三階に現れるという教室がある。昼間は絶対に見つけることができず、夜間のみ出現するとされる……」
陽菜乃が読み上げると、泰河の震えがさらに激しくなった。
「や、やめろよ陽菜乃! そんなの読み上げるなよ!」
「でも興味深いわよ、これ。続きがあるの。『その教室に足を踏み入れた者は、一切の音が聞こえなくなるという。話し声、足音、さらには自分自身の声すら聞こえず、完全な静寂の中に取り残される。この現象は教室を出ることで解消されるが、中にいる間は他者とのコミュニケーションが極めて困難になる』だって」
「うわあああ! 怖すぎる! なんで湊先輩、こんなもの見つけちゃうんだよ!」
泰河が頭を抱えて震え上がる中、湊は目を輝かせていた。
「すごいでしょ? これこそ本当の都市伝説だよ! 実際に体験した人がいるんだから!」
「でも湊先輩、これって危険じゃないですか? 音が聞こえなくなるなんて……」
陽菜乃が心配そうに眉をひそめていると、部室のドアが再び開いた。今度は
「お疲れさま。なんか面白い話で盛り上がってるね」
「遼先輩!」
泰河が救いを求めるような表情で遼を見上げる。遼は穏やかに微笑みながら、机の上の資料に目を向けた。
「これは……興味深い現象だね」
「え?」
泰河の期待とは裏腹に、遼の瞳が知的好奇心で輝いているのを見て、彼の顔が絶望的になった。
「音の完全な遮断現象なんて、物理的にはかなり特殊な状況でないと起こりえないよ。もしこれが事実なら、ぜひ検証してみたい」
「そうだ! みんなで調査に行こう! これこそカレイドスコープの本領発揮だよ!」
「絶対やだ!」
泰河が両手を振りながら全力で拒否する。
「夜の学校は怖いから! しかも音が聞こえなくなるって、そんなの絶対におかしいよ! 絶対に霊の仕業だよ!」
「だからこそ調査する価値があるんじゃない?」
陽菜乃が冷静に分析する。
「もし本当に霊的な現象なら、放っておくわけにはいかないし。困ってる霊がいるのかもしれない」
「陽菜乃まで……」
泰河の声が震えている。湊が優しく彼の肩に手を置いた。
「泰河の霊感は僕たちの中で一番鋭いからね。泰河がいてくれないと、本当の検証はできないよ」
「で、でも……」
「それに」
陽菜乃が泰河を見つめる。
「もし本当に危険な状況になったら、泰河が一番早く気づいてくれるでしょ? あたしたちを守ってくれるのは、泰河なのよ」
陽菜乃の言葉に、泰河の表情が揺れた。確かに彼の霊感は、これまでの調査で何度も仲間たちを危険から遠ざけてくれている。
「ボクも検証機材を持参するよ。録音機器、騒音計、それから電磁波測定器も。科学的なアプローチで現象を解明しよう」
「頼もしいなあ。じゃあ決まりだね!」
遼の参加表明に、湊が嬉しそうに手を叩く。泰河はまだ渋い顔をしていたが、最終的に小さく頷いた。
「わ、わかった……でも、なにか危険を感じたらすぐに逃げるからね!」
「もちろん。無理は禁物よ」
陽菜乃が安心させるように言うと、泰河はほっとしたような表情になった。
「それで、いつ調査する?」
遼が実務的な話を切り出す。
「今夜はどうかな?」
湊の提案に、泰河が再び青ざめた。
「今夜って、今日の夜?」
「記事によると、夜の十一時以降に現れるってあるから、十一時に大学に集合して、それから旧校舎に向かう感じかな」
「急すぎるってばよ……」
泰河がぶるぶると震え始める。
「じゃあ、一旦、解散! 十一時に正門前で集合ということで。警備員さんに見つからないよう注意してね」
楽しそうに言う湊に泰河も渋々と頷いた。
陽菜乃のお守り袋の中で、銀の鈴が小さく鳴った。それは風もないのに、まるでなにかに反応するかのように。陽菜乃は胸元に手を当てて、その微かな振動を感じ取る。
なにかが、始まろうとしている。
きっと今夜は、いつもとは違う夜になるだろう。陽菜乃は直感的にそう感じていた。隣で泰河が青ざめているのを見ながら、彼女は静かに心の準備を整えるのだった。
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