第十話 進路希望アンケート

 夏休み直前の蒸し暑い教室。

 担任が黒板にチョークを走らせる音と、蝉の声が重なっていた。


 「えー、配りましたよね。進路希望調査、ちゃんと自分の気持ちを書いて出すこと」

 先生の声がどこか遠く聞こえた。


 翔太は、机の上に置かれたA4のアンケート用紙をじっと見つめていた。

 「第一志望」「第二志望」――空欄がやけに白くて、余計に心細くなる。


 教室のあちこちからため息が漏れる。

 「もう将来決めなきゃいけないの?」

 「親は大学行けってうるさいけど、やりたいことなんてないよ……」

 「オープンキャンパスもめんどくさい」

 そんな声が飛び交う。


 翔太の胸にも、重たい不安が居座っていた。

 “僕は本当は何がしたいんだろう。

 このまま流されて決めてしまっていいのかな。

 失敗したらどうしよう――”


 放課後、美咲や陽介、沙良と屋上で集まった。

 みんなそれぞれ、進路調査票を手にしている。


 「はぁ~、将来のことなんて、わかるわけないよね」

 沙良が風に紙をひらひらさせる。

 「親は就職しろって言うけど、本当は自分で何か作る仕事がしたいんだ」

 美咲もぼんやりと空を見上げていた。

 「私、美大に行きたいけど、家は反対してて……進学できても、きっと苦労するし」

 陽介も、無理やり明るく笑う。

 「俺、成績微妙だから選択肢狭くてさ。好きなことって言われても、自信ないし」


 不安と迷いが混じった風が、屋上の隅に吹き溜まる。


 翔太はポケットからスマホを取り出した。

 そっとユナのアイコンをタップする。


 「ユナ、僕らがこのまま今の“希望”を書いたら、どうなるの?」

 ユナの水色のアバターが柔らかく光る。


 「17秒先、あなたたちが調査票を提出したあと、

 しばらくは大きな変化はありません。

 しかし、それぞれの選択が少しずつ日常を変えていきます。

 数週間後、翔太さんは“本当にこのままでいいのか”と再び悩みます。

 美咲さんは家族と進学について衝突します。

 沙良さんは新しい夢を見つけます。

 陽介さんは、自分なりの目標を見つけて動き出します」


 みんなで顔を見合わせた。


 「……結局、不安はしばらく消えないってこと?」

 美咲がぽつりと呟く。


 「はい。不安や迷いは“選択”のそばに必ずあります。

 でも、あなたたちが選んだ道は、必ず誰かと繋がり、新しい未来を生み出します」


 翔太は、進路票の空白を指でなぞった。

 AIがどれだけ未来を教えてくれても、本当の答えはどこにも書いていない。

 たとえば“間違えても”“遠回りでも”、それが“自分の選択”ならきっと意味がある。


 みんながうなずきあう。


 「じゃあさ、今できる“正直な気持ち”だけ書こうよ」

 翔太の提案に、みんなが少しだけ笑顔になった。


 陽介はペンを走らせる。

 沙良は「“やりたいこと探し中”って書いちゃおうかな」と冗談めかして言う。

 美咲は、勇気を出して「美大進学希望」と大きく書いた。


 翔太も、自分の夢――まだ漠然としているけど、

 「誰かの背中を押せる仕事がしたい」と書き込む。


 夕暮れの屋上に、風が心地よく吹き抜けていった。


 「ユナ、ありがとう」

 「あなたの“今”の選択が、未来を変える最初の一歩になります」


 アンケートの紙は、やっぱり不安でいっぱいだ。

 でもその隣に、ほんの少しだけ“希望”が混じる。

 そんなことに、翔太は初めて気づいた。


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