若様武芸帳 尼崎編

薬草の香る町にて


 

昼下がりの陽が穏やかに街道を照らしていた。

若様一行がたどり着いたのは、職人と商人の活気に満ちた下町・尼崎。

瓦屋根のあいだから味噌と出汁の匂いが漂い、町全体がひとつの鍋のように温かかった。


「おお〜、ええ匂いやな!腹が鳴るわ!」

と川吉が腹を叩く。

「また始まった」ツララが呆れ顔。

「ここは“尼崎ちゃんぽん”が名物らしいで!」と猿之助。

「ほんなら食べるしかないやろ!」

くのいちこがぴょんと跳ねる。


若様は笑って首を振った。「まずは宿を探せ。腹より先に落ち着く場所じゃ」


だが、道の角を曲がったとき、ふっと薬草を煎じる香ばしい匂いが漂った。

白い暖簾、黒々と筆で書かれた「薬」の字。


「おや、ええ香りやな」

「これは……葛根と薄荷、それに生姜ですわね」

そう言ったのはサラだった。

まだ十七の少女だが、瞳の奥に静かな知性を宿している。

「さすがサラ、舌も鼻も鋭い」若様が微笑む。


戸を開けると、やわらかな声が響いた。


「いらっしゃいませ。旅のお疲れを癒す薬草茶をお淹れしますね」


現れたのは、淡紫の着物に身を包んだ婦人・お初。

年の頃は三十半ば、上品な立ち居振る舞いに、どこか貴族の香りがあった。


「道中でお疲れでしょう。お座りくださいませ」


くのいちこは湯気に顔をしかめた。

「あっつ……!猫舌やねん……!」

皆が笑い、お初も口元に手を当てて微笑んだ。

「熱いのも薬のうちですよ」


 


若様が茶を口にすると、香りがふっと胸を貫いた。

この香り……。どこかで嗅いだ。


――五年前の戦。


まだ若様同盟が結成されたばかりの頃。

他国より援軍として来日したのが、

デューク・ラインハルト。

堂々たる将であり、異国の誇り高き騎士。

その隣には息子のレオ、そして少女兵のような

サラ・ラインハルト。

彼らと共に戦場に立ったのが、  

リカルド・ヴァイスベルグ、

そして彼の恋人にして

薬師のエリザ・ローゼンタール。


彼女は戦火の中、恐れず薬を煎じ続けた。


> 「薬は人を救うものではありません。

生きようと思わせるものです」




その声が今も耳の奥に残っている。


 


町の外れで騒ぎが起こったのは、その夜だった。

偽薬を売る行商が倒れた者を出し、

「本物の薬師が毒を売った」と喚き散らしていた。

お初の店の名も巻き込まれ、町の者たちは

不安の声をあげた。


「嘘や!お初さんはそんな人ちゃう!」

川吉が立ちはだかり、猿之助も拳を構える。

ツララが刀の柄に手をかけたが、若様が軽く手を上げて制した。


「薬は金で売るものではない。心で効くものだ」


その一言に、町人たちの息が止まる。

若様の眼差しは凛として、火のようでもあり、 水のようでもあった。

やがて人々は口をつぐみ、

悪徳商人は足早に去っていった。


お初は深く頭を下げ、声を震わせた。

「ありがとうございます……でも、助けていただいたのは私ではありません。信じる心です」


 


夜。

お初は礼として

「薬膳尼崎ちゃんぽん」を振る舞った。

鍋の中で野菜が踊り、

湯気の中に薬草の香りが溶けていく。

川吉が嬉しそうに叫ぶ。

「うまい!うまいでこれは!」

「ちょ、熱い熱いっ……!」

くのいちこが涙目で舌を冷ます。

ツララは静かに笑い、サラは箸を止めて香りを嗅いだ。

「この味……どこか懐かしい。お父様と兄上が話していた“戦の夜の薬粥”の香りに似てます」


若様は静かに箸を置き、

「そうか……エリザ殿の調合を受け継いでおられるのか」

と呟いた。


お初は微笑んだ。

「はい。私の薬は、

すべて師エリザ・ローゼンタールの教えによるものです。

人は、誰かに癒された記憶を、また誰かに渡すのだと信じております」


湯気が上がり、笑い声が混じる。

戦場では決して聞こえなかった音だった。


 


翌朝。

若様は出立の支度を整え、静かに店を訪れた。

お初は薬包紙を差し出す。

「旅の疲れに。香りだけでもお傍に」

包みの端には小さく書かれていた。


> “師:エリザ・ローゼンタール”




若様は黙って一礼し、

「戦は終わっても、人の優しさは絶えぬものだな」

と呟いた。


川吉が肩を叩き、くのいちこが

「次はどこ行くん?」と笑う。

ツララは静かに頷き、

サラは朝の光を見上げていた。


彼らが歩き出す背後で、薬屋の煙突から湯気が

ゆるやかに立ち上る。

その香りは、確かにあの日のエリザのものだった。


癒しは、戦を越えて受け継がれる。

尼の町の空には、今日も穏やかな湯気が

立っていた。


 


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『若様武芸帳 ~戦国最強の俺がご当地グルメで世直し旅~』 休みたい @02501115

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