エピローグ――星明かりの下で

 東京郊外。夕暮れどきの高架駅から伸びるペデストリアンデッキを、人々が絶え間なく行き交っている。頭上では配送ドローンの航跡が淡い光の帯を描き、その軌跡はリアルタイムの交通管制AIによって滑らかに最適化されていた。駅ビルの壁面を覆うホログラムには世界各地のフェアトレード市況が映し出され、映像の端には子育て支援アプリの最新情報がスクロールしている。

 賑やかな流れを抜け、木立の影に入ると、そこだけ時間がゆっくりと逆流したかのような古い木造の居酒屋が現れる。提灯の橙色がそっと灯り、暖簾には「熊乃湯食堂」と染め抜かれている。路地裏のこの店は、最新技術と昔ながらの人情が同居する、不思議な空気をまとっていた。

 仕事の赴任先のベトナムからオンラインで参加している山城隼人のホログラムは、店の奥で手を振る桜井琴葉と西野翔平と、肩の力を抜いて笑っていた。

「また民部の奴、主催者なのに遅刻か。こっちは1時間も前からホログラム居酒屋で飲んでるってのに……」

「いいじゃない。今日は俺を励ます会なんだ……大目に見てくれって……」

 翔平が代わりに謝ると、琴葉が茶目っ気たっぷりに既に半分以上飲み干したグラスを掲げる。店の卓上端末は来客のバイタルを読み取っており、彼女のグラスにはカフェインを控えたハーブカクテルが注がれていた。翔平は二度の選挙落選を経てもなお、どこか楽しげに肩をすくめる。

「落ちるたびに得るものがあったよ。人生、予定通りにいかない方がドラマチックさ」

 言いながらも、彼の瞳には次の挑戦への揺るぎない意志が灯っている。隼人は苦笑しつつも、そんな翔平を眩しく感じていた。数年前は世界を転々とするだけで精一杯だった自分が、いまはサステナブル建材プロジェクトの現場監督として成果を出しつつある。努力は結局、誰かの背中を押すのだと悟れたのも、仲間のおかげだった。

 ふいに引き戸が開き、紺の作業着姿の民部陸斗が息を切らして飛び込んでくる。

「悪い、託児所で手間取ってさ……」

「ちゃんと子育てしてるじゃない」

 琴葉が親しげに声を掛ける。陸斗は照れくさそうに頭を掻いたが、表情はどこか誇らしい。古い小さな町工場を知り合いから引き継ぎつつ、新素材の試作ラインを軌道に乗せたばかりだ。かつて衝動だけで突っ走っていた少年は、仲間や家族を支える責任の重さを楽しむ余裕すら身につけていた。

 最後に現れたのは柔らかなベージュのニットを纏い、ゆっくりとお腹を撫でる神崎天花だった。

「みんな、久しぶり」

 穏やかな声に翔平が弾む。

「二人目、おめでとう!」

「ありがとう。今日はノンアルメニューで乾杯させてね」

 店のAIソムリエが即座に応え、天花の席には温かいコーン茶が供される。誰かの幸せを祝うこと、それ自体がこの店の価値観とよく似合っていた。

 グラスとカップが触れ合う澄んだ音が、木の梁に優しく反響する。

「かんぱーい!」

 香り高いビールテイストドリンクが陸斗の喉を潤すと同時に、思い出話が矢継ぎ早に飛び交った。巨大企業の陰謀に脅かされ、傷だらけで逃げ回った学生時代。それでも最後まで手を取り合った五人の日々は、今では信頼という静かな礎になっている。

 隼人がグラスを回しながら呟く。

「世界は相変わらず問題だらけだ。けど、人権や環境を無視した“繁栄クラブ”みたいなやり方は、もう昔ほど通用しない。欧州だけでなく、今はアジアの結束も高まっている。少しずつだが、確実に歯車は動いている」

 琴葉が微笑んで頷いた。彼女は報道の現場で、冷えた言葉ではなく温度のある記事を書き続け、社会を揺らす小さな波紋を起こしている。

 翔平は真剣な面持ちで言葉を継ぐ。

「バッジ制度も見直しが進みつつある。政策の先にあるのは結局、人と人との信頼なんだよな」

 その言葉に陸斗が深く頷き、天花は小さく笑った。天花は保健師を目指しながら、公的機関のヒューマノイド研究の審議委員として、かつての自分と同じ境遇の存在を守ろうとしている。世の中を一気に変える魔法はないが、彼女は一歩ずつ“普通の幸せ”を積み重ねていた。

 やがて話題はこれからの夢へと移っていく。翔平は自治体単位で始めるコミュニティ・プラットフォームの構想を披露し選挙では惜敗したが、手ごたえを感じたようだ。琴葉は発展途上国の医療施設と日本の設計技術を繋ぐ報道アプリの試作を語った。隼人は再生可能エネルギーと伝統建築を融合させた街づくりを目指し、陸斗は工場の人員をロボットではなく多様な人材で補完する仕組みに挑むという。天花は子どもを育てながら、人とAIの共生教育プログラムを立ち上げる予定だと静かに語った。

 五人の言葉はバラバラに見えて、不思議と同じ方向を指している――「誰かの未来を、少しでも良くすること」。かつて自分たちが救われたように、次は誰かを救う番なのだ。

 店を出る頃には夜気が街を包み、提灯の明かりが揺れる路地に優しい影を落としていた。舗道ブロックには蓄光インクが淡く灯り、星空へと続く小さなガイドラインのようだ。

 翔平の激励会も終わり、陸斗は天花の肩にそっと外套を掛け、「寒くない?」と囁く。天花は「みんなに会えたから温かいよ」と微笑んだ。

 翔平が照れ隠しに手を振る。

「相変わらず仲がいいねぇ。俺も負けてられないな」

 隼人が映像越しにからかうように肩を叩くような仕草をする。

「じゃあ、次の選挙でちゃんと結果を出せ。僕らも応援するからさ」

 翔平は目を細めて「任せておけ」と答え、五人は笑い合った。

 駅へと向かう途中、琴葉がふと足を止め、夜空を仰ぐ。都市のライトダウン施策により星々の瞬きがくっきりと浮かび、そこにドローンの航跡が細い光の筋を引いて交差していた。

「星とテクノロジーが一緒に見えるなんて、昔じゃ想像できなかった」

 彼女の呟きに陸斗が頷く。

「でも、どっちも未来に繋がってる。同じ空だよ」

 天花が柔らかく続けた。

「私たちも、違う道を歩いていても、同じ空の下で繋がってるんだよね」

 改札前で立ち止まり、五人は改めて向き合った。

「次はいつ集まれるかな?」

 隼人の問いに、翔平が笑う。

「すぐだよ。だって、その気になればホログラムでも会えるんだから」

 琴葉が指で夜空を指し、陸斗が力強く手を差し出す。

「じゃあ、次は翔平の当選祝いといこうか」

 皆が手を重ねる。温度の違う掌が触れ合い、確かな体温が伝わってきた。

「またな!」

 声を合わせ、五人は別々の道へ歩き出す。自動改札の光が緩やかに点滅し、その向こうにはそれぞれの未来へ続くホームが広がっている――新しい季節の、まだ見ぬ風景へ。

 世界は一朝一夕では変わらない。けれども、少しずつ、確かに良い方向へ歩き出している。五人の背中を押しているのは、昔から変わらぬ“友情”と、今この瞬間の形になあらない“約束”だ。

 淡い星明かりの下で、彼らはそれぞれの足で一歩を踏み出した。未来は白紙で、だからこそ優しい――そう信じられる夜だった。  


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神崎天花のABC ── AI, Bionics, Communication of Tenka Kanzaki 市野沢 悠矢 @yuya_ichinosawa

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