第29話 止められない思い

 放課後の生徒会室。薄く曇ったガラス越しに、グラウンドが夕陽に染まっていく。

 青バッジをつけたヒューマノイドたちは、無言で砂を均し、整然とラインを引いていた。赤バッジの生徒たちはサッカーボールを回し、紫バッジの留学生は輪になって談笑している。そこには、かつてのような緊張感や対立は感じられなかった。

(――日常に溶け込んでる)

 民部陸斗は、その光景に目を細めた。色で隔てられたはずの学園が、今は驚くほど自然に調和していた。


「最近さ、ヒューマノイドって……前より、人間っぽくねぇ?」

 翔平がプリントをめくる手を止めて、何気なく問いかけた。

「うん。……動きも、言葉も、自然になった」

 陸斗が頷くと、隼人がぽつりと呟いた。

「思想を刷り込むんじゃなく、共存させる道を選んだ国。日本らしいよな」

「強制じゃなく、空気を読ませる社会。皮肉だけど、それが一番上手いやり方だったのかも」

 琴葉がタブレットをなぞりながら言う。

「だから外から見れば、羨ましくもあり、危険でもある。紅華特務局にとっては、なおさらな」

 翔平がため息交じりに続けた。


「……日本って今、人口が最盛期の七割くらいまで減ってるんだよな……紫バッジの移民を含めてもさ」

 隼人がぼそりと付け加える。

「でも、ある意味バランスを取り戻しつつある。そこが中国と状況が違う……」

「中国は大国だけれど、遅れて少子高齢化が進行してて。経済成長もインドやアフリカの後塵を拝してるし……日本モデルを取り込もうとするのも、当然か」

 琴葉の口調には冷静な分析がにじんでいた。

「ヒューマノイドも含めた社会統合の枠組み。それが日本では“日常”に見えるくらいまで定着して経済も安定してきている。あの人たちにしてみれば、それが脅威なのかもしれないわね……」


 ふと、陸斗が口を開く。

「でもさ、本当に紅華特務局は結局、何を狙ってたんだ?日本モデルを盗みたいだけなら、俺たちを罠にかけてまで、何を暴かせたかったのか……」

「ヒューマノイドOSのノウハウを盗む?思想的な混乱を仕掛ける?どれも可能性はあるけど、どこか決定打に欠けるのよね。やっぱり、天花ちゃんの行動が不可解なのよ。単なる駒にしては、私たちに見せた顔がリアルすぎた……」

 琴葉がファイルを閉じて顔を上げる。

「……なぁ、民部」

 翔平が真剣な声で切り出す。

「天花って、本当にヒューマノイドだったと思うか?」

 問いに答えられず、陸斗は視線を落とした。夏休みに見せてもらった手術痕、涙、それらが偽りだったとは思えなかった。


「やっぱり、俺たちは“何かを見せられた”だけなんじゃないって気がする」

 琴葉が、校庭を見やりながら言う。そして小さく笑い、頷いた。

「私、もう少し粘ってみる。終わったなんて思えないし」

 陸斗は小さく「……ありがとう」と呟いた。

 まだ何も解決していない。でも、彼らの中にあった距離は、少しずつ縮まりつつあった。


 冬の空は、重たく、灰色の雲に覆われていた。

 その下で、彼らの物語は静かに、しかし確かに続いていた。 

 琴葉は視線を伏せながら、EXODUSの沈黙を思い出していた。彼らはいつか“再起動”するのだろうか――そのタイミングと紅華特務局の陰謀がどう噛み合うのか、曇ったガラス越しに未来を覗くようで掴めない。


「……まぁ、そうは言うけど、しばらくは学園生活に専念するしかないね。期末テストも近いしさ」

 翔平が冗談めかして肩をすくめると、苛立ちで硬化していた空気にわずかな温度が戻る。深刻な話題の中でも、この軽さが救いになるのだ。

 四人はそれぞれの思いを胸に、資料を閉じて立ち上がる。廊下には音もなく掃除をするヒューマノイドが並び、日本人と留学生が談笑しながら教室へ戻っていく――ごく当たり前の冬の学園風景。それでも、その裏で何かが動いている気配は、完全には消えていなかった。


 夕暮れ前、生徒会室を後にした琴葉は階段の踊り場でスマホの通知に気づく。差出人不明の短いメッセージ――“果実は熟した。クリスマス会の手伝いに来ないか?”

 EXODUSが使う符丁を知る彼女には、それだけで十分だった。

(また呼ばれた……けど、前回の傷はまだ癒えていないのに)

 胸の奥を冷たい不安が撫でたが、同時に小さな火種のような期待も灯る。


 翌日、琴葉はスマホを隠して廊下を歩いていた。生徒会室へ向かうと、何かを察したように陸斗・隼人・翔平が待っていた。

「ねぇみんな……ちょっと聞いてほしいの」

 彼女の言葉に翔平が首をかしげる。

「まーたヤバい話?」

 けれどその瞳は真剣だ。琴葉はスマホの画面を三人に見せた。

「……EXODUSから連絡があった。紅華特務局がまだ動いている可能性が高い」

 隼人は眉をひそめ、唇を噛む。

「親父からはもう関わるなって言われてる……でも……」

 陸斗は深く息をつき、自分に言い聞かせるように言葉を探す。

「天花のことに絡むなら、一度痛い目を見てるし、無闇に突っ込むのはリスクが大きすぎる。また誰かが傷つくかもしれないから……でも、知らないふりは僕には出来ない」

 翔平が肩をすくめ、苦笑する。

「面白半分に首を突っ込んで痛い目に遭ったのは事実だけど、だからって諦めたら何も残らないんだよな……まあ、話次第かな……」


 話はまとまらず、体育館脇のベンチに移動する。冬の空気は鋭く、息は白い。沈黙の中、隼人が先陣を切った。

「文化祭の全体発表で不登校の子を喜ばせる内輪ネタをやっただろ?父さんにはそれが理解できなかったらしい。『外交的な舞台で内輪のことしか考えない奴にリーダーは務まらない』ってさ」

 拳を握ったまま、彼は続けた。

「今なら守るための理屈も理解できるけど、納得はしない。俺は親父の背中を超えてみせる」

 彼の静かな熱に、翔平が頷き古びた五円玉ストラップを取り出す。

「二重国籍で国の奨学金に買われたような俺だから、家族を守るために飲み込めないものもある。かといって天花ちゃんを見捨てるのは性に合わないんだよなぁ」

 琴葉はカバンから家計ノートを取り出し、赤い数字の跡を指でなぞる。

「私はEXODUSに家族を救われた。でも、借りを返すためだけに生きるのは違うって気付いた。今度は自分の足で距離を測りたい」

 最後に陸斗が胸元のキーホルダーを握る。「小さい頃、間違って会計前の商品をお店から持ち出してしまったことがある。万引き扱いされて、呼び出された父さんに助けられた。どういう状況かしっかり確認して、真意じゃないことを証明してくれたんだ。信じてくれる人がいるから救われる思いもある。天花のことはしっかり確認しないとわからないことだらけだ。でも、このまま終わらせたくない」

 静寂。しかしそれは拒絶でも諦めでもない。翔平が手を叩き、小さく笑う。

「山が邪魔なら、石を一個ずつ動かしゃいいんだろ?」

 昔聞いた寓話を思い出させるその言葉に、隼人が拳を突き出す。

「じゃあ俺は親父の背広より重たい石を運ぶ」

 琴葉が笑ってその上に手を重ねる。

「命の帳簿だけは絶対マイナスにしない」

 翔平が軽やかに加わる。

「ビビったら俺が笑わせる」

 最後に陸斗が力強く手を重ねた。

「家族も未来も守れる範囲で、もう一度前へ進もう。天花にも紅華特務局にも――俺たちはまだ終わってない」

 冬の風が四つの重なった拳を撫でる。夕陽はやがて薄闇に溶け、彼らの影は長く地面に伸びていった。

 校舎の灯が次々と落ち、薄い蒼が街のネオンに溶ける。校門前で立ち止まった四人は、互いの顔を順に確かめる。

「踏み込めば、また誰かが傷つくかもしれない、それでも信じることで見えてくることもあると思うんだ」

 翔平が軽く拳を突き出す。

「家族を思えば、命綱は何本でも欲しい。だから余計なドジは踏ませない」

 風が制服の袖を冷たく揺らす。けれど足取りは軽い。分厚い闇に沈む東京の底で何が待とうと――今回は、後悔も、置き去りも残さない。

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