第25話 突破
琴葉と隼人は知り得た情報から事前にパスワード突破ツールを用意していた。琴葉が、クレデンシャルスタッフィング攻撃用のキットを強引に接続させるとコンソールが不穏なエラーメッセージを立て続けに吐き出す。
翔平が画面をのぞき込み、「おいおい、そんな無茶して大丈夫か……」と素直な思いを口にするが、琴葉は翔平のセリフには直接は答えず、管理者IDでのアクセスにも成功したことを説明した。
「大規模攻撃で無理に突破したから、そのログが証拠になって攻撃方法も含めて確実に見つかる。今は時間との勝負……」
琴葉の言葉の意味にすら気がつかない様子の翔平が続けて呟く。
「何だ、この暗号化の多さは……。まるで何かに上書きされてるみたいだ」
ここに至って、琴葉が重い口を開く。
「……もしかして、紅華特務局のアクセス痕跡かもしれない。裏からヒューマノイドをコントロールしたデータが、誰かに“隠蔽”されてるんだ……」
琴葉は背筋を震わせるように言う。
「紅華特務局の痕跡は、誰かが設定した独自のパスワードが無いと開けない……」
隼人が画面の隅を指さす。
「ログイン履歴がオレンジ色になってるな。……“天花”じゃない別のIDが天花の端末ににある。このIDは、たぶん誰かが彼女に割り当てた新しいアカウントじゃないか?」
「ID名が変だ……。ヒューマノイド制御用の匿名IDかも。でも、ここにアクセスするには、もう一枚上の権限が必要か……」
琴葉が息を呑む。システムは厳重なロックをかけており、たどり着くたびに次の壁を出現させている。
「どうする……?理事IDだけじゃ足りないのか?」
翔平が焦燥をにじませながら視線を走らせる。
「そうね。これは、学園や理事じゃなくて、特務局が設定したパスワードらしいから……」
琴葉は腕時計を見て苦渋の表情を浮かべる。もう何分も経っている。理事室の父親がカードをなくしたことに気づけば、すぐに追って来るだろう。あるいは、理事のスマホにシステムエラーのメッセージが転送されている頃かもしれない。
一線を越えた者たちの共通した覚悟が、深夜の空気をさらに冷たいものに変えた。
四人はそれぞれの思いを胸に、コンソールに向かい合う――紅華特務局が何かを仕掛けていることはもう間違いないと認識できる。そして“何か”を知るために、開けない扉を開けようと苦悩していた。
ブース中央のコンソールに向かい合う四人
琴葉が意を決したようにエンターキーを叩き込み、行き詰まっていたアタック手法をブルートフォースに切り替える。
瞬間、ビーッ、ビーッと警告音を発しながら、モニターに警告ウィンドウが浮かび上がった。
「まずい!これで、確実に理事室に警告が行ったはずだ……親父か学園の警備員が来るはず……もう残り時間は3分も無いぞ……」
隼人が焦った声を挙げる。
「……何これ?ヒントみたいなログが出てきた。『新宿』『部屋』『二人だけの秘密』……?」
琴葉は思わず画面を凝視する。
翔平がひょいと隣から覗き込み、「ねえ、まるでラブロマンス映画のフレーズみたいだね」と気楽に口を挟むが、その声には、少しでも答えを導き出したい真剣さが滲んでいる。
「まさか……」
陸斗は息を呑んだ。脳裏を駆け巡るのは、夏休みの新宿で、天花と“二人きり”で過ごしたあの部屋の光景だ。
最後に会ったのは、まだ夏の余韻が残る頃だった。彼女は何かを告げようとしていたが、うまく言葉にできないまま別れてしまい、それきり行方がわからない。
不安と罪悪感。あの時、自分がもっと強く引き留めていれば、何か違う結末があったのではないか――そんな後悔が胸を締めつける。
「もし私に何かあったら……」
それが、あの夜、天花が小さな声でつぶやいた言葉だった。まるで遠回しな暗示のように聞こえて、陸斗は何度も記憶の中で反芻していた。
「もしかして、あの暗証コード……?」
陸斗の脳裏に稲妻のような閃きが走る。天花が夏の最後に示唆した“特別な文字列”があるのだ。彼女は当時、「ふたりだけの秘密」と言うように口ごもっていたが、その意図を聞き出す余裕もないまま離れ離れになってしまったのを、陸斗は今さら思い出す。
「陸斗?」
琴葉が怪訝そうに首をかしげる。隼人と翔平も何かを尋ねたそうな目を向けてくるが、陸斗は黙ってコンソールのキーボードに向かった。
かつて新宿の狭い部屋で、天花が教えてくれた天花の部屋に入るあの“暗証コード”。それは風鈴に引っかけた簡単な詩のフレーズのようにも見えたが、彼女のまなざしが真剣だったのを陸斗は忘れられない。
泣きそうな顔をして、「もし私がここから消えたら……」と小さく笑った天花。あの部屋の淡い照明と、壁際に置かれた風鈴の音。そして、抱き合ったときの温もり。
(天花……君が残そうとしたメッセージなのか? もしこれが罠でも、俺は賭けるしかないんだ)
胸を揺さぶる懐かしさと切なさ。それらを押し込めるように、陸斗は指先で数字とアルファベットを入力していく。
“#Hurin_0728>Windring_Fleur!”
思い出の断片を手がかりに、天花が仕掛けたパズルを解くのだと信じて。
そして、深い息とともにエンターキーを押す。
――すると、画面が一瞬暗転し、“ACCESS GRANTED”の文字が大きく浮かび上がった。
「嘘……!?」
琴葉が思わず呟き、隼人は背筋を震わせる。翔平も目を丸くして「そんな簡単に……?」と唖然としている。
先ほどまでいくら叩いても開かなかったファイルが、まるで最初からこの瞬間を待っていたようにあっさり解放された。
まるで「君だけが正解を知っている」とでも言わんばかりに。
「どうして……」
琴葉はモニターを覗き込みながら戸惑いの色を濃くする。明らかに先ほどまでの強固な壁が嘘のように消え去っており、警報すら鳴らない。
「……いいんじゃないの?見ろって言われてるみたいだし」
翔平が呟きながらも、不気味な静けさに警戒しているのがわかる。
「とにかく、いまアクセスできるうちに全部見よう。コピーも取れるなら取ったほうがいい。警備員が向かってきている。時間が無い!俺は扉に物理的なロックをかけて1分でも30秒でも頑張るから頼む!」
隼人が口調を強める。琴葉も素早く操作を開始し、ファイルの中身を一通り確認しようと試みる。
陸斗は何か物言いたげに唇を噛んでいた。心の中には、天花との思い出が波のように押し寄せている。
――あの夏、新宿の部屋に佇んでいた彼女の後ろ姿。部屋のカーテン越しに差し込む夕陽に照らされた、儚い笑顔。
「ごめんね、もし私に何かあったら……」と震える声でつぶやいたその人の存在を、いま痛いほど思い出していた。
(罠かもしれない。それでも、俺はこの扉を開ける必要がある。たとえそこに待っているのが“真実”だとしても、もう逃げるわけにはいかない)
画面に並ぶファイルが一つずつ解凍され、ページがめくられていく。紅華特務局の動向、ヒューマノイドOSのコード断片、謎の指示ログ。
そして、まるで嘲笑するような静寂が続くセキュリティルーム。四人は息を詰め、意識を極限まで集中させて解析を始めた。
闇の奥へ近づいた者たちだけが知る権利――それが、今まさに彼らの前に広がろうとしていた。
「開いた……!」
琴葉の声が響き、視線がモニターに集中する。
そこには、紅華特務局が天花を通じて学園のヒューマノイドたちに“違法OS操作”を仕掛けていた痕跡がまざまざと並んでいた。行動様式の制御から得られる情報を、中国の一部勢力へリアルタイムで送信する仕組みや、長期的には日本AIのOSに中国の規範を“刷り込む”ための実験プログラム――いずれも国際法レベルでアウトと言える、深刻なデータの数々。
「……本気でやばい。黒もいいところじゃん。これは、学園全体が国際犯罪のステップにされてたってことか」
「隼人来てみろ!証拠が出た!」翔平は、扉に机やらなにやら押し当てている隼人の姿を見ながらサムアップした。
陸斗が息をのむと、翔平は「やったな!これはもう大勝利ってやつ?」と勢い込んで叫ぶ。
「待て、みんな!落ち着こう。まだ学園側の被害をどう扱うかは別として……早く証拠を抑えよう。ここまで来て、自動消去なんかされたらたまらない……」
隼人の言葉に我に返った琴葉がモニターを操作しながら、汗を拭い去るように額を撫でながらバックアップをとる。そしてログをスクロールするたび、新たなファイルが次々と明るみに出るのだから、その衝撃は大きい。
「これなら、苦労が報われそうだ」
隼人が拳を握りしめる。父から盗んだカードキーでたどり着いたこの場所で、思わぬほどの“獲物”を掴んだ――そんな興奮が胸を突き上げる。
父を裏切った罪悪感も小さくはなかったが、いまは圧倒的な手応えが勝っていた。
「天花の動向についても、さらにデータを深追いすればきっと何かわかると思う。……まだ完全じゃないけど、ここまでやった価値はあったよ」
琴葉がほっとした笑みを見せると、翔平も「大・大・大勝利、キタコレ!」と手を挙げて騒ぎ立てる。いつもの軽薄に見えたそのテンションさえ、いまは心強い。
長い夜の苦労、闇に覆われそうだった焦燥、すべてが一転して明るい光を放ち始めた――
「ここまで来たら、あとはコピーを持ち出して退散するだけだ。……こんなに明確な物証があれば、絶対に見過ごせない」
隼人が意を決したように言う。父の叱責は不可避かもしれないが、それでもこの成果を手にすれば、学園を守る新たな道が拓けるはずだと信じた。
「よし、これでバッチリ。……行こう、次のステップへ」琴葉が作業終了を告げる。
陸斗は画面を見つめながら、心の奥で小さく拳を握る。天花がどう関わっていようと、ここからならきっと突き止められる。闇の中で行方を晦ました彼女も、この不気味な企みの中心にいるのなら――もう少しで届くかもしれない。
誰もが期待と高揚を隠しきれず、室内には、「勝った」も同然の熱気が漂い、いつ失敗の報いが来てもおかしくないなどという不安は、いまだけは忘れていた。
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