第24話 山城隼人と父

 夜の校舎は、文化祭前夜の興奮に包まれていた。

 あちこちの教室から聞こえてくる笑い声、装飾の準備に追われる作業音、そして控えめな音楽。普段なら警備員の目が光り、生徒たちを早々に帰宅させる時間帯。それが今夜だけは、特別に許されていた。


 そんな喧騒から離れた薄暗い渡り廊下の影で、四人の影が身を寄せている。

 山城隼人は、いつになく重い空気をまとい、口を開いた。

「……俺がやるしかない。セキュリティルームのカードキーは、普通の鍵とは違うし、父さんが絶対に手放さないよう管理してるから」

 その言葉に、民部陸斗、桜井琴葉、西野翔平が一瞬息をのむ。

 セキュリティルームは、学園の要。重要な監視設備や内部サーバーにアクセスするための中心部だ。そこに入るには、特別な権限とカードキーが必要で、たとえ教師であっても自由には使えない。

「おまえの父さんが、そんな簡単に貸してくれるとは思えないけど……大丈夫か?」

 陸斗が慎重に尋ねる。隼人は、小さく、しかし確かな意思を込めて首を振った。

「無理だよ。だから、盗るしかないんだ」


 その言葉に、一瞬空気が凍る。

 冷たい夜風と、隼人の真剣な表情が相まって、三人は言葉を失った。

「……本当に、やるの?」

 琴葉の問いかけに、隼人は深く息を吸い込む。

「うん。父さんが守ろうとしてる“学園”を、俺も、違う形で守りたい。だからやる」

 声は穏やかだが、内に秘めた覚悟がはっきりと伝わる。


「父さんはずっと仕事人間でさ。『学園を壊すわけにはいかない』って、よく言ってた。子どものころは、それが怖くてたまらなかった」

 隼人の声が、過去をたどるように静かに続いた。

「でも、中学生の頃、一度だけ夜の校舎に連れて来られたことがある。帰り道、父さんが言ったんだ。『この学園は、未来の人材を育てる砦だ。俺が守らなきゃ、誰が守る』って」

 それが、初めて父の本音に触れた瞬間だった。

 それまでずっと怖いだけの存在だった父に、隼人は初めて“尊敬”の感情を抱いた。

「……だから、裏切りたくなんてない。本当は、こんなこと、したくない」

 だが、父は今、学園の混乱の渦中にいた。買収話、スポンサー交渉、国際契約の見直し。理事として最前線で戦う父を、隼人は誇りに思っている。

「それならさ、隼人が父さんに説明して味方になってもらった方がいいんじゃね……俺たちだけでこんな危ないことしなくてもさ……」

 翔平が念押し気味に確認するが、隼人は同時に、思っていた。――それでも、今は、別のやり方が必要だと。

「父さんは忙しくて時間が無い。今は、これしか、手段がないんだ。あと三日あれば、それも十分可能だったけれど…」

 視線を落としながらも、その言葉は揺るがなかった。

 琴葉も翔平も、何も言えなかった。陸斗はただ、静かに頷いた。


――夜も更け、学園内の一角にある理事室には、まだ明かりが灯っていた。

 山城理事は電話を握りしめ、スクリーン越しに次々と舞い込む要件に応対している。

「……頼む、このタイミングで条件を変えるなんて無茶だ。明朝までに契約文書を――」

 疲労と苛立ちの混じった声。デスクには書類が積み上がり、メッセージ端末からの着信通知が鳴りやまない。

 そんな中、扉の外に隼人の姿があった。

(今しかない)

 ドアの隙間から中をうかがい、隼人は息を整える。そして、ゆっくりと扉を押し開けた。

「隼人?こんな時間に何の用だ。今、立て込んでるんだ」


 父は書類とスマホを抱えたまま顔を上げ、厳しい目つきで睨むが、対応に追われるあまり、深くは気に留めていない。

「先生に、備品室の鍵を借りてこいって言われて……どこかわからなくて……」

 隼人はなるべく自然を装いながら、机の端に置かれた小さなポーチに目をやる。そこには、いつも肌身離さず持っているはずのカードキーが……

(……あった)


 父の注意がスマホのメッセージ確認に移った一瞬を突き、隼人は静かにポーチのチャックを開けた。中には複数のカード類。クレジットカードの奥に、それがあった。銀色のICチップが光る、セキュリティルームのカードキー

「……何をしている!勝手に机を探るな!……」

 父がスマホから手を放し視線を戻す中、隼人は素早くカードキーをポケットへ滑り込ませ、わざとらしく備品室の鍵を手に取った。

「じゃあ、これ借りていくね。ありがとう」

 そう言って一礼し、理事室を後にする。


 廊下に出た瞬間、隼人は足を止め、深く息を吐いた。

 ポケットの中、冷たく硬いカードキーの感触。

 それは、父の信頼を裏切る“証拠”でもあった。

(すまない、父さん。でも、俺も学園を守りたいんだ。あなたとは違う手段だけど……きっと、目的は同じなんだ)


 深夜の廊下を一人歩き出す隼人の背中に、迷いはなかった。

 足取りは静かだが、心の中では小さな誓いが燃えていた。

 日付が変わろうとする深夜。学園のセキュリティルーム前に、民部陸斗・桜井琴葉・山城隼人・西野翔平の四人が佇んでいた。普段なら厳重に管理されているはずのその扉を、隼人が“父から盗んだ”カードキーで開けたばかり。

 無機質な電子ロックが解錠されるときの低い音が、やけに大きく響いた。


「……本当に入っちゃったよ」

 陸斗が声を落とす。緊張に満ちた空気の中、遠くから文化祭準備の騒がしさがかすかに感じられる。だが、ここだけは別世界のように静まり返っていた。

 扉を開くと、冷たい空調の風が吹き出し、まるで映画に出てくる管制室のように何列ものモニターが並んでいる。床に並んだラックにはLEDが点滅し、システムの動作音が微かに耳をくすぐる。

「……すごいな。理事の父上が守ってきた場所は伊達じゃないね」

 琴葉が硬い調子で言う。画面に表示されるメニューは高度なセキュリティ機能で固められ、一般の職員や教師が簡単に触れられる領域ではなかった。

 隼人はカードキーを握ったまま、静かに息をつく。退路はもう絶たれている。引き返すことを考えれば考えるほど、四人は同時に「いま一歩踏み出さなければ何も変わらない」と思い知っていた。


「……こっちのメインコンソールから、学園サーバーに直接アクセスできそう」

 琴葉が机の端末を操作しながら言う。モニターが次々に画面を切り替え、ログイン画面へたどり着いた。

 翔平はごくりと唾を飲んで「じゃ、やるしかないか」と言いかけ、陸斗は頭の奥に警報が鳴るような不安を感じながらも黙って見つめている。

「どうにかして、“紅華特務局”絡みのデータや、ヒューマノイドOS改変の記録を掘り起こすしかない。ここに天花の手掛かりが残っている可能性もある」

 琴葉が素早くキーボードを叩く。指先の動きは、EXODUSで仕込まれたスキルを彷彿とさせる滑らかさだ。既に通常権限でのシステム起動に成功していた。


 一方、隼人は管理者権限を追加で呼び出そうとするが、段階的なパスワード認証が重くのしかかる。

「この理事ID……父さんが独自ロックをかけてる。父さんのかけたロックを息子が破るのか……」

「……今さら止まるかよ。行こう」

 翔平が促すように言う。

 胸の奥には「本当にこの先に手掛かりがあるのか?」という疑念が渦巻いているが、同時に「ここで諦めればすべてが無に帰す」という焦りがそれを追い払っていた。

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