第23話 文化祭のノリ
秋の気配が濃くなり、校舎の廊下には文化祭前日特有の浮き立つような雰囲気が満ちていた。色とりどりのポスター、ガーランド、立て看板の骨組み。どこを見ても、生徒たちは笑い声を交わしながら準備にいそしみ、教室の扉にはペンキの匂いが残る装飾が貼り出されていた。
しかし、そんな祝祭の雰囲気のなかで、民部陸斗、桜井琴葉、山城隼人、西野翔平の四人は、どこか場違いな空気をまとって歩いていた。琴葉が手にしているのはクラスの装飾案ではなく、通信ログのコピーと企業名リストが挟まったファイルだった。
「文化祭の前日だっていうのに、私たちは……ほんと、どうかしてる……」
琴葉は短く息を吐きながら、苦笑を浮かべた。
彼女は本来、生徒会の一員として準備を主導する立場だった。だが実際には、学園で起きている“静かな異変”に神経を張り詰めていた。しかし、最近のヒューマノイドたちは、あまりにも無機質で、無言で、従順すぎる。
「この前なんかさ、視聴覚室の機材を運んでたヒューマノイド、何も言わずに、流れるように片づけて消えたんだよ。まるで人間の気配に反応しない機械みたいで……怖かった」
琴葉の言葉に、隼人が同意を示すように眉をひそめた。
「理事会への報告では、“ヒューマノイドの安定化”って書いてあった。でも、どう見ても“統制強化”だ。自律性が削ぎ落とされてる……」
翔平が茶化すような口調で付け加える。
「まぁ、外から見れば“優秀な労働者”って評価されるんだろうな。文句ひとつ言わずに、黙って言われたことをこなすんだから……でも、おかげで僕たちは文化祭の準備に苦労することもなく作業に没頭できるわけだ……ヒューマノイド様々だね~」
だがその目は、言葉と裏腹に鋭さを帯びていた。表面では冗談めかしながらも、彼自身もどこか違和感を抱いているようだった。
廊下の向こうでは、紙を掲げながら歓声を上げる生徒たちの向こうで、壁のポスターを淡々と貼り替えるヒューマノイドがいた。その所作には迷いがなかったが、感情も、思考の痕跡もなかった。
それは、生徒会の通常の管理画面から、ヒューマノイド達が文化祭の準備を最適化し、問題なく進行している様子からも確認できた。
「翔平の言うとおり、おかげで私たちは文化祭の準備から解放されてるけど、……天花たんの痕跡は、結局つかめないままか……」
琴葉がぽつりと呟く。
その言葉に、陸斗の胸には複雑な思いが去来していた。天花が今もどこかで、こうした“制御”の一端に組み込まれているのだとしたら……あるいは、まったく別の存在として、もう戻ってこられない場所にいるとしたら。
「まぁ、下手に動くより、今は様子を見るのが無難ってとこだろうな」
隼人がまとめようとしたその時、翔平がひょいと指を立てた。
「様子見も大事だけどさ……こういう文化祭とか、浮かれたタイミングで“何か起こす”のって、ドラマとかでもよくあるじゃん?まさかとは思うけど」
「それがまさかで済めばいいんだけど」
陸斗は軽く言いながらも、心のどこかで“嫌な予感”を否定できなかった。
「……私は、見過ごせない。たとえ文化祭で周りが浮かれてても、終わったら本格的に調べるよ」
琴葉がきっぱりと言う。
「“何か”が近づいてる気がするの。紅華特務局がもし関与してるなら、次の動きは間違いなく来る」
その表情には、怖れを押し込めた強さがあった。
日が傾き、廊下に夕陽が差し込む。ポスターがかすかに揺れ、その裏に潜む影が一瞬だけ浮かんだように思えた。
放課後の生徒会室。校舎の喧騒から少し離れた一角に、陸斗たち四人は集まっていた。机の上には、ノートパソコン、通信ログの印刷資料、EXODUSから得た間接情報、それに海外サーバーのアクセス記録が並べられている。
「こうして見ると……やっぱり、ヒューマノイドの挙動が変わったのは、文化祭準備に合わせた“タイミング”からだよな」
陸斗が資料をスクロールしながら言う。
「それだけじゃない。“学園内の通信ログ”に、不審なやりとりが急増してる。しかも、暗号化のパターンが従来と違う」
琴葉がスクリーンを指差す。
「もしこれが紅華特務局の操作なら、文化祭は“実験”に使われる可能性がある。人が集まる、混乱が起きやすい、ヒューマノイドが大量に動く舞台としては完璧すぎる」
「……つまり、次の指令が出る可能性があるってことか」
隼人の声に、翔平が思わず肩をすくめる。
「だったら天花ちゃんも……どこかで、それに巻き込まれてるって可能性も……」
その言葉に、陸斗は口を閉ざしたまま、そっと拳を握りしめた。
確証はない。でも、そうだとしても、何も掴めない。
「……やるしかないな。文化祭が終わったら、全員で懲戒処分かもしれないけど……それでも……」
「やるだけやる、だな」
翔平がにやりと笑って拳を突き出す。
隼人も息を吐きながら頷き、琴葉は力強く応じた。
華やかな祭りの舞台の裏で、確かに蠢くものがある。その影に迫る覚悟を、四人は密かに胸に刻んでいた。
それぞれの想いを胸に次の“事件”が、目前に迫っていることを、彼らは直感していた。
そんな中、琴葉が視線を落とし、抑えた声で切り出した。
「……さっき、EXODUSから連絡があったんだけど――ここから先は、“自己責任”だって。外部ハッキングも、もうサポートできないって」
彼女の声音には、わずかに迷いと決意が混じっている。
「つまり、保証はないってことだな。向こうも、これ以上は踏み込むなって言ってるわけだ」
隼人が低く呟いた後、ためらいがちに言葉を継ぐ。
「……でも、もし学園内部のサーバールームに直接アクセスできたら、何か手がかりを掴めるような気がする。理事の息子って立場を使えば、ワンチャンあると思ってる」
その言葉に、場が一瞬沈黙した。誰もがその危うさを理解していた。
陸斗は険しい表情で口を開く。
「それって……バレたら退学どころか、最悪、警察沙汰になるよな。でも、正直――天花の件がなければ、躊躇してたかもしれない。けど、もう後には引けないって気持ちの方が勝ってる」
言い終えた後の空気に、誰も軽々しい返事ができなかった。琴葉は小さく頷き、唇を結ぶ。責任の重さを背負い込むように、彼女は静かに目を伏せていた。
「……ちょっと待ってよ。それ、まさに“あと一歩で成功”ってやつじゃん。詐欺師がよく使う常套手段だよ?“もうちょっとで真実に届く”って思い込ませて、泥沼に引きずり込む……みたいな」
これまで同調的だった翔平が口調こそ軽い感じで割り込んでくるが、その声には、明らかに違うステージに進む警戒心がにじんでいた。
誰も笑えなかった。軽口の仮面の奥にある、彼の慎重さと理性を全員が感じ取った。
「それでも、やりたいと思うから、こうして悩んでる」
琴葉が、静かに、けれど強く言う。EXODUSに警告されたことも承知の上で、それでもなお、彼女は一歩を踏み出そうとしていた。
「……まるで“文化祭ノリ”ってやつか」
翔平が肩をすくめる。イベントの準備で教師や運営も忙殺され、セキュリティが甘くなっている可能性は否定できない。
「けど、だからこそチャンスでもある。派手な照明と喧騒に紛れれば、足音はかき消される」
隼人の目が一瞬鋭く光る。表情こそ冷静だが、内心の緊張が言葉の端々ににじんでいる。
「……ごめん。みんなを巻き込んでるのはわかってる。でも、いま動かなきゃ、たぶん、ずっと後悔する。学園の平和も、天花も、戻ってこないんじゃないかって……」
琴葉の言葉に、誰も反論しなかった。陸斗の中にもまた、焦燥と迷いが渦巻いていた。だが、その迷いを越えて、行動を選びたかった。
「確かにチャンスかもな……。怖いけど、俺も目を逸らしたくない」
呟いた陸斗の手が、自然と拳を握りしめていた。
「仕方ないな、皆でそう言うならオレも乗っかるわ。文化祭のどさくさに紛れて、大暴れってのも悪くないしな……はは……」
翔平が、わざとらしく明るく言ってみせる。しかしその目は、誰よりも冷静だった。
こうして四人は、静かに次のステージに進む覚悟を固めた。
喧騒に包まれた学園の裏で、誰にも知られることのない小さな戦いが、今まさに始まろうとしていた。
そして、陸斗はその扉の先にある“危険”すらも、仲間とともに受け入れようとしていた。
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