第17話 天花のいないクラス

 翌日、天花は学校に来なかった。

 その事実だけで、クラスの空気はあからさまに変わった。

「やっぱり逃げたんじゃない?」

「前の学校でも同じだったって話だよ」

 誰かがぽつりとつぶやくと、それを起点に冷ややかな噂話が一気に広がる。

 陸斗は、それをただ聞いていることしかできなかった。否定したかった。だけど、あのとき何も言わずに背を向けた彼女を、無条件に信じきることもできなかった。

 気がつけば、陸斗もまた“天花の仲間”として、目に見えない距離を置かれ始めていた。


「いや~今回は、大変だったね……」

 いつもなら軽口ばかりの西野翔平が、珍しく真剣な表情でそう呟いた。その隣では、琴葉と隼人が何も言わずに頷いている。

 この数日、彼ら三人はさりげなく陸斗のそばにいた。クラスの空気がピリついていても、当たり前のように一緒に過ごし、同じ目線で物事を見ようとしてくれた。それがどれだけ心強かったか──陸斗は、改めて思い知った。


「……天花ちゃん、どうしてるのかな」

 翔平の声は優しかった。決して疑うでも、責めるでもなく、ただ彼女の行方を案じているようだった。

 陸斗は、答える代わりにスマホを取り出してメッセージ画面を見つめた。そこには、何通もの未読のメッセージが並んでいた。

(読まれてない……でも、届いてないわけじゃない。きっと、天花の中にも何かがあるはずなんだ)


(……もしかして天花は、本当に“操られてる”のかもしれない。紅華特務局とか、AI回路とか……彼女の意思じゃない可能性もある)

 自分から湧き上がる疑問が、まるで胸の奥に棘のように刺さる。疑いたくなんてない。でも──あの日の冷たい沈黙が、それを否定しきれないでいた。


 クラスの空気はさらに悪化していた。

 ヒューマノイドへの不信感は根強く残り、些細なトラブルやすれ違いが誇張されて広がっていく。誰かが席を立っただけで、「また青バッジが勝手に動いてる」などという声が飛び交うようになった。

 天花がいなくなったことで、その不安の矛先は見えないまま教室に漂い続けていた。そして、陸斗もまた、その曖昧な不穏の中に巻き込まれていった。


 そんなある日の夕方。

 玄関のチャイムが鳴き、重い足取りでドアを開けた先に立っていたのは──桜井琴葉だった。

 制服の上に羽織った淡いベージュのカーディガンが、秋の夕暮れに溶け込んで見える。彼女の瞳は真っ直ぐで、でもその奥にほんの少しだけ揺れる迷いがあった。


「……民部くん、少し話せる?」

 落ち着いた声にうなずき、陸斗は彼女を家に招き入れる。

 二人はリビングのテーブルを挟んで座り、しばし沈黙が続いた後──琴葉が、口を開いた。


「クラスの空気、限界に近いと思う。天花ちゃんのこと、ヒューマノイドのこと、全部が誤解のまま進んでいってる。本当は、誰も天花ちゃんが犯人だって確証なんて持ってなかった。でも、天花ちゃんも否定しないで学校に来なくなるから……だから、私はちゃんと知りたい。向き合いたい」

 その言葉に込められた意志は、どこまでも真っ直ぐだった。しかし、陸斗には、その真っ直ぐさが不可解にも思えた。琴葉はそれを察したのか、独白を始めた……

「実は……私、あるNPOと協力していて。差別や社会構造の不平等、それにヒューマノイドの法的位置づけについても調査してるの。今回の改ざん騒ぎも、その視点から見てた」

「NPO……?」

 陸斗が驚いて聞き返すと、琴葉は少しだけ恥ずかしそうに笑った。

「うん。まさかって思うよね。でも、私……知ってしまったから、もう放っておけない。天花さんは、ただの転校生じゃない。民部くんも、そう感じてるんだよね?」


 陸斗は静かに頷いた。

「……天花を助けたいんだ。たとえ何があっても…あの夏の天花は、嘘じゃなかった」


「お願いがあるの。一緒に調べてくれない?私ひとりじゃ絶対に無理。でも、あなたとなら──真実にたどり着ける気がする」

 その声は決意に満ちていた。彼女の中にも、天花を想う強い気持ちがあるのだと、陸斗は感じた。


 その夜、陸斗のスマホにもうひとつの通知が届く。

 送り主は山城隼人だった。

「民部、親父のネットワークに“紅華特務局”っていう怪しい団体の名前があった。少し調べてみる。下手すると危ないけど、放っておけない」

 そしてそのすぐ後、翔平からもメッセージが入る。

「お前がしんどいの、なんとなくわかるよ。俺なりに、できることやってみる。あの子のこと……俺も気になるし」


 気づけば、周囲には頼れる仲間がいた。

 陸斗、琴葉、隼人、翔平──動機も方法もバラバラだけれど、それぞれの思いが天花という存在に向かって集まり始めていた。


 たとえ小さな灯でも、いまはそれが希望だった。


 天花がもう学校に来ないかもしれない。脳内で何が起きているのかも、紅華特務局がどこまで関与しているのかもわからない。でも、何もしなければ、すべてが“なかったこと”になってしまう。

「……あの夏は、絶対に嘘じゃない」

 陸斗は小さく呟きながら、スマホの画面を見つめた。

 開かれないままのメッセージ。その先に、彼女の“心”がまだ残っていると信じて。


 不安は尽きない。だが、怖さよりも“信じたい”という想いのほうが勝っていた。

 たとえ周囲が冷たくても、無視しても、目を背けても──たとえ数は少なくても、信じてくれる仲間がいれば、前に進める。

 風鈴の音が脳裏に浮かぶ。あの日の光、手のぬくもり。

 それはまだ、確かに残っている。


 こうして、民部陸斗は再び動き出す。

 たったひとつの想いを胸に、失われかけた真実を取り戻すために。

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